「三四郎」あらすじ解説【夏目漱石】5・絵画
前回はこちら
素性不明の人物・原口
画家の原口のみ金銭やり取りの中に入っていません。その原口は美禰子と親しく話します。つまり冒頭集約の列車の、お灸の爺さんに該当する人物です。列車の中に登場する以上、作中有数の重要人物です。しかしなぜか姓のみで名前がなく、素性もよくわかりません。
わかっているのは里見兄妹には亡くなった長兄がおり、原口はその彼とヨーロッパ留学していたことだけです。存命中の里見家次兄である里見恭介と留学した可能性も少しありますが、世代が合いません。亡くなった長兄と留学、と考えたほうが自然です。広田先生とも古い知り合いです。ただ広田は留学していません。この三人はおそらく同級生でしょう。広田先生の弟子の野々宮宗八が里見次兄と同級ですから、そう考えるのが自然です。
美禰子疲労の原因
第十章、原口が美禰子の絵を書いています。三四郎が来ます。三四郎は金を返そうとします。美禰子は受け取りません。そのうち美禰子が疲れてきます。原口は不思議がります。体調不良の原因は作中では明快な説明ありません。読者が考えなければいけません。
実は美禰子が体調悪くなるのはこれで2回目です。1回目は第十章と対称になる第五章です。菊人形デートの時です。
第五章で、与次郎除くみんなで菊人形を見に行きます。本命恋人の野々宮宗八が美禰子の相手をしてくれません。美禰子は失望して疲れて三四郎と会場の外にゆきます。雲を見て、迷羊(ストレイ・シープ)とか言い出します。
第五章と第十章、両者で共通するのは、男性が美禰子の意のままにならなかったことです。第五章では野々宮が自分に食いついてくれませんでした。第十章では金を渡して手下にしたと思った三四郎が、返金してきて自分の支配から離れる意思を示しました。美禰子の立場から見ると、二つの選択肢が閉ざされました。実際当時の日本にはそのような選択枝もあったのです。
物理学者野々宮(こちらが本命です)のような、科学技術立国を目指す道、あるいは地主にして文科の学生三四郎のような農業、文化立国を目指す道です。美禰子にはいずれの道も閉ざされました。返金の時点では三四郎はまだ美禰子が好きですが、美禰子は自分の支配下を外れた男を婿にするようなソフトな人間ではありません。
共通点がいまひとつあります。固定された人間像です。菊人形は人形ですから動きません。絵画の中の美禰子も動きません。その時まだ流動的だった美禰子、すなわち日本の未来はしかしながら、徐々に固定されて徐々に身動き取れなくなってきています。列車のお灸爺さんが列車女の状況を固定していったように、原口は絵に描くことによって日本の未来を固定してゆきます。それはいつからでしょうか。原口の家から出た後に、美禰子が証言します。病院を退院してすぐくらいのタイミングです。半年前看護婦に連れられて、三四郎に目撃されたその時の格好をした絵なのです。恐ろしい原口の計画性です。美禰子は物語を通じて、絵にされていたのです。品のない言い方をすれば、カタにはめられていました。
そもそも美禰子と、美禰子とペアになるよし子の二人は、なぜ入院していたのでしょうか。日露戦争です。支配者階級の美禰子も、庶民階級のよし子も戦争の被害によって傷んでいたのです。無論立ち直りは美禰子のほうが早くなります。よし子の退院は少し遅れます。
軍部・原口
では原口はどんな人物でしょうか。フランスに留学した時には鰹節を買い込んで下宿に籠城することを宣言しておきながら、パリに到着するやいなやたちまち豹変しました。フランスにかぶれたのです。軽薄です。音楽の好みは一中節やら馬鹿囃子やら日本風です。かなり下品です。自宅のアトリエには矢と鎧が置いてあります。つまり原口は軍部なのです。西洋かぶれした軍部です。原口は鼓のようにぽんぽんした調子を好みます。ぽんぽん鳴るのは無論大砲です。
実は漱石は、イギリス留学の途上でパリに立ち寄って居ます。おりしも1900年のパリ万国博覧会が開催されていました。漱石は熱心に見物したようです。
少なくとも、「西洋かぶれしてしまうメンタリティー」は完全に理解したはずです。
原口は日露戦争が終結して、ペリー来航以来の課題が解決したのに、戦争の痛手から立ち直るやいなや再度日本を軍事国家にデザインしようとしています。型にはめ込められた日本、すなわち美禰子は当然疲弊します。野々宮路線も三四郎路線も頼りになりません。両者とも熱烈求愛できる人間ではないからです。ああ、既定路線しかないのか。本当にそれでよいのか、迷羊(ストレイ・シープ)、迷羊(ストレイ・シープ)。
原口は三四郎に笑い話をします。かみさんが強くて亭主が出てゆく話です。だから結婚なんかすべきではない、と結論づけます。狡猾です。なぜなら美禰子の結婚相手を探してきたのは原口だからです。結婚が悪いとは本人思っていないのです。三四郎が美禰子にちょっかい出して破談、という流れを断ち切るためにした話です。
原口のみが一連の金銭やりとりの外に居ます。金持ち里見恭介さえ関係するのにです。誰にも動かされない人です。そして金銭世界を支配する美禰子をも制御する力を持ちます。当時の山縣有朋などの元老の権力は、今日からは想像もできないほど強力だったのです。
漱石はファウストの主題である通貨発行はさほど理解できていないと書きましたが、経済活動の外に存在し、それらを制御するのが軍事権だということは理解できています。これはゲーテやワーグナーや三島にあと一歩に迫っています。よく考えました。寿命が長持ちしなかったのは当然です。少々頭を使いすぎています。
次回に続きます。