5/1(月)ー5/8(月) 「実家に帰省」
実家では、やりたかった
外でケンタッキーを食べながらビールを飲むとか
外でお弁当を食べながらビールを飲むとか
10円ゲームをしに行ったりとか
ほうじ茶シェークを飲んだりとか
南インドカレーを食べたりとか
0歳の赤ちゃんを抱っこしたりとか
弾いてみたかったピアノの曲を練習したりとか
して過ごした。
しかし、本当は2日目にもう帰りたくなった。
実家はクセの強い人が多いので、一緒にいたらパワーを吸い取られる。
(↑これはだいぶポップに説明しているけどガチやばいんや)
疲れて果ててしまって
父がしょうもないことすぎることを話しかけてくるのに対して
「疲れすぎて会話できません」って言って部屋を出たくらいだ。
なので、本当は5月4日に帰りたいしその予定だった。(住む街に好きな芸人さんたちも来るし)
でも、母が長くいてほしそうにしていて
妹も「いてあげることが親孝行なんだよ」と言うので8日まで伸ばしてあげた。
わたしの優しさ。
祖母と過ごす時間も多かった。
認知症が進んでいるため、会話がままならないことが多々あったが
その中で印象的な出来事が2つあった。
1つは
「ごはんを食べに行こう!久しぶりにいとこの○○も誘おう!」と祖母に誘われたのだが
実は2日前に〇〇とは祖母も含め、みんなでごはんを食べに行っていた。
「○○とは2日前に行ったじゃん」と言うと「そうだったかな?」と全く覚えていない様子だった。
その時の状況を詳しく説明しても、祖母は思い出せなかった。
そして5分後くらいにまた「久しぶりにいとこの○○も誘ってごはん行こう!」と言われた。
わたしはまた、「○○とは2日前に行ったじゃん」と言うと「そうだったかな?」と全く覚えていない様子だった。
また、同じように説明すると祖母は
「最近、物忘れが酷くて。どうすればいいかわからんのよ。この頭が」
と頭を叩いていた。
わたしは「叩いたら余計によくないよ」と少し笑いながら言ったけど
とても切ない気持ちになった。
「日記でも書いたらどう?」とその場しのぎのアドバイスをしたら、話が変わってしまったのだけど
後になって、もしかしたらわたしの説明の言い方がきつくて(説明が2回目だったし)祖母は気にしたのかな…と不安になった。
しかし、きっとこの一連の流れさえも、もう忘れているように思う。
「自分が覚えていないだけで、実は経験していた」というのって
考えたらとても恐ろしいことだなと思う。
認知症ってどうにかならんもんかなー。医学の進歩よー。
もう1つは
テレビでの台湾特集を一緒に見ていた時のこと。
わたしが「台湾行きたいなー」と言うと、祖母も「わたしも行きたい」と言い出した。
祖母はそういうタイプではないので「うそー?」とわたしが言うと
「本当よ!」と祖母は真剣に言った。
そこから旅行の話になった。
祖母は海外に行ったことがなく、飛行機も1回しか乗ったことがないらしい。(それも親戚の結婚式で東京に行っただけ)
祖父との旅行は1回しか行ったことないと言っていた。(しかも祖父の仕事の都合)
ひいおばあちゃん(祖母の母)が寝たきりに近かったので、旅行というものに行けなかったらしい。
「わたしはもう海外に行けんかったし、今は身体も動かんから飛行機に乗ったり、遠くにも行けんわ。諦めた。あんたは身体がちゃんと動くうちにいろいろ行っておいた方がいいよ」
と祖母に言われた。
わたしは衝撃を受けた。
祖母は海外に行くことも、この先、飛行機に乗ることもなく
人生を終えるのか
しないままで人生を終えることを受け入れて(受け入れざるをえないのだけど)いるのか
なんだか言葉が出なかった。
わたしは「ここ行きたいねー」って気軽に言うけど、それって「いつか行けたらいいね」の希望を数パーセントでもある状態で言っているが
祖母は0パーセントなのに言っている。
そうか…
歳をとる(身体が動かなくなる)というのはそういうものなのかと
改めて実感した。
そう考えたら、祖母も行ける範囲であちこち旅行するべきだし
わたしも行ける時にあちこち行っておくべきだなと思った。
海外も行った方がいいな。
いやはや歳なんてあっという間にとりますしね。
実家は不便で疲れるけど
歓迎してくれたりごはんをたくさんご馳走してくれるから
それはうれしいです。
よ!