さあ、クリスマスを祝おう!
さて、クリスマスである。
日本はキリスト教国でもないのに、なぜクリスマスを祝わなくてはならないのか?
などと、日本人の宗教観を忘れた日本人と思しき連中が知った口を叩いているが、そんな連中の言葉を信用してはならない。
思い出して欲しい。
日本は神の国である。
イエス・キリストはそのはっぴゃくまん、もとい、やおよろずのかみさまの一柱として、既に日本に広く受け入れられている、と考えるべきなのである。
日本人の、キリスト教信仰者の割合は、それは消費税にも満たない、とはいえ、ひろく認められた宗教であることに相違はない。
となれば、はっぴゃくまんぶんのいち、として、日本の神様のひとりにお迎えするにやぶさかではない。
他宗教の神様を日本で受け入れるなんて、という拒否感を持つ方もいるかもしれない。
しかし、ヒンドゥー教の神様であるシヴァ神は、つまり七福神の大黒天として祀られているように、日本では他国の宗教の神様も伝統的に祀ってきたわけで、イエス・キリストが近年、その一柱に入ってきた、という説明は非常に合理的である。
だから、日本のはっぴゃくまんのかみさまのおひとりとして、イエス・キリストを盛大に祀るのは、きょうびの日本人として非常に伝統的な態度、といえるのである。
……だからといって、他の神様の誕生日は祝ったりしないのに、なぜイエス・キリストだけ祝うのか……
これは疑問であるが、「わたしの誕生日を祝ってくれないなんて」という、記念日好きのオンナと同様の性格の持ち主だとすれば、これは非常に合点がいくものである。
つまり、
イエス・キリストの誕生日を祝わないと祟られる
という可能性が非常に高いのである。
どんな祟りがあるか、ということで、一番可能性が高いのが
恋人ができなくなる
というものであって、実例としては、
クリスマスの中止を求める連中は揃いもそろって彼氏・彼女がいないのである。
これは非常に恐ろしい祟りで、イエス・キリストに祟られると子孫が残せなくなる、という、生命体の本能を根源から祟る非常に厄介な神様だ、と断言することができるのである。
だから、クリスマスを祝わなくてはならない。
祟りから逃れなければならない。
ほら、おまえたち!