僕と政治~衆院選の振り返りとして~
もう1ヶ月以上たってしまいましたが、衆院選の振り返りをいま一度・・・。
前回の衆院選後からの3年間、浪人期の1年間はろくに活動できませんでしたが、岡山一区で原田ケンスケ衆議院候補の応援をしてきました。長期休みの度に岡山にいき、日々の地元の活動、辻立ちから、ポスター開拓から、ビラまきまで、色々な活動に同行しました。
今回の選挙も、忙しい大学の秋学期真っ盛りではありましたが、東京にいるうちから、政策の発信の整理から始まり、選挙期間中は二度、週末+αを確保して岡山入りし、選挙カーの前を走る先導車に乗って一緒に走り回ったり、長時間ビラをまくなど、全力で共に闘いましたが、残念ながらあと一歩のところで落選となりました。
※詳しい選挙結果は本人のnoteをどうぞ⇩
曽祖父、祖父が国会議員という家庭に生まれた僕にとって、政治は昔から身近な存在でした。はっきりと興味を持ち始めたのは中学生の時、周囲の人たちが大反対をしていたいわゆる安保法案が可決成立をしたというニュースを目にしたときからだったと思います。身近ではあったものの、強い関心はなかった政治や社会問題について知らなくてはならない、という強い衝動にかられ、まずは戦争に関する本を読み漁るところからはじめました。次第に国会にも関心がいくようになり、一時期は嬉々として国会中継を聞くおかしな小僧だった時期もありました。地元の政治家の街頭演説にも頻繁に足を運んでいました。
※祖父が僕にとってどんな人だったのか、何を学んだのかについてはこちらの記事をどうぞ⇩
高校生の時、周りの社会問題に対する関心の薄さや、当時通っていた学校の「主権者教育」の不備に危機感を感じ、自分の周りの人を集めて「Colorful democracy」という小さな団体を立ち上げました。最初は月に一度、皆で集まって話をするだけでしたが、途中からは地元選出の与野党の政治家をはじめ、新聞記者など、社会問題に関わる現場で働いている方達をお呼びして話を聞かせてもらう会を開催するようになりました。
※Colorful democracyの活動の記録はこちらのアカウントから!⇩
そんなころ、議員を引退していた祖父に紹介されたのが、最初の参議院への挑戦で敗れたばかりのハラケンこと原田ケンスケさんでした。以下、親しみを込めていつも通りにハラケンと書かせていただきます。
ハラケンは、「若者と政治をつなぐ活動」の先駆け的存在で、インターネット選挙の導入や18歳選挙権導入を目指す活動で中心的な役割を果たしてきた方です。初めは、Colorful democracyの活動についてアドバイスをもらったり、人を紹介してもらったり、岡山の祖父母の家を訪ねる時にたまに会う程度でしたが、3年前、ハラケンの衆院選への出馬が決まり、たまたま学校の秋休み、かつ18歳になり選挙活動ができるようになったばかりだった僕は1週間弱、ハラケンの選挙活動に関わりました。丁度、政治に人生をささげた祖父が他界した直後でもありました。残念ながらその時も当選はかないませんでしたが、それを機にハラケンの国会を目指す活動により深く関わるようになりました。
ハラケンの選挙に関わった高校3年生の頃、僕は自分が囲まれて育った「リベラル」な政治的価値観や、「リベラル」な政治勢力の在り方について、強い疑問を持つようになっていました。強い理想を持つことは大事だけれども、そのあまりの強さに「リベラル」は現実を直視できていないのではないか、自分たちの信念を叫ぶことに一生懸命になって、現実を変革する意思を失ってはいないだろうか、他者を声高に批判することには長けているが、自分たちを批判的にみつめ、絶え間ない自己改革を行うことができていないのではないだろうか、その結果、今の現実に生きる市民が思い描き共感できる未来の青写真を失い、ただただ盲目的に信念を叫ぶ存在になってはいないだろうか。
かつて、日本社会党に所属しながらも、自党の教条主義化を批判した曽祖父・江田三郎は次のように書き残しています。
まさに、この「社会主義」を「リベラリズム」あるいは「日本国憲法」、など、「リベラル」な勢力の中心的価値観に置き換えたような精神を日本の「リベラル」勢力は持たなくてはならない、そうでなければ自分たちに未来はない。そんな危機感を持つようになっていたのです。この感覚は今でも変わっていません。
そんな感覚を持ちだした僕にとって、ハラケンの存在は大きなものでした。「リベラル」勢力の代表格である立憲民主党に所属し、同党の根源的な価値観には同意しつつも、それを他者を批判することよりも、社会保障制度改革を代表とする現実に根差した政策と未来へのビジョンを描くことによって語ろうとするハラケンの姿勢に、僕は強く共感しました。
先に述べた「リベラル」勢力への違和感から、かつてはある程度頻繁に関わっていた東京の地元の政治活動からは少し距離ができたり、政治そのものにうんざりする時期もありましたが、それでも政治を信じてみよう、政治には未来を創る力があると信じてみようと思えたのは、ハラケンが身近にいたからだと思っています。ですから、今回の敗戦は悔しくてたまりませんが、ハラケンに対しては「ありがとう」の一言につきます。
ハラケンの今後の進路に関する決断もまだですし、僕自身も今後政治にどのように関わっていくのかわかりません。それでも、この数年間、ハラケンの周りで活動を共にさせてもらって得た経験や、仲間や、思いは大きな財産になると、とりあえず悔しさを飲み込み、僕自身も今後の自分の行く末をのんびり考えていこうと思っています。
以上、とりあえずの2024年衆院選の総括でした。