自己紹介
初めまして。自己紹介を書いてなかったので自己紹介を。
1979年生まれ
東京生まれ東京育ち現在、2児の父。
趣味
不動産/三度の飯より不動産というくらい不動産大好き。なんでかなって自分でも思います。
サーフィン/15歳からずっとやってるけど、うまくはない(笑)
料理/これは結構自信ある。なんでも作る。イタリアン・韓国料理・タイ料理など
旅行/上の子供が小学校卒業するまでに全国制覇(各都道府県で御朱印をもらう)を目標に旅行中。マガジンで公開中
20歳の時 ブラック企業に就職
スーツを着た仕事をしたいと、軽い気持ちで不動産会社(賃貸仲介業)に就職。当時の不動産業は悪いことして稼ぐことが当たり前で悪の巣窟でした(笑)うちの母親は不動産屋さんが大嫌いで、そんな悪いことするはずはないだろうという思いでしたが、勤めてみたら超ブラック企業(笑)不動産て楽しいなと思っていたが、さすがに辟易することも多くなり、1年半くらいで退社。ただ、不動産は面白いなというのと、真面目にやっても儲かるんじゃないかな?という思いで、1年くらいはIT企業勤めたり、色々な仕事をしながら宅建の資格をゲット。
23歳の時 挫折からの独立決意
再度不動産業界へ。今度は賃貸管理を中心に大家さん相手の仕事をしてきました。不動産屋の私よりも、大家さんの方が不動産に詳しく、このままではダメだという思いが強くなってきていました。そんな時に、父親の紹介でビルを売りたいという人を紹介してもらった。売買をやったことがなかったが、興味本位でやりますと言って引き受けました。とんとん拍子に物件が売れました。
が・・・そこで待っていたのは売却するための調査という難題・・・賃貸しかやってない人って、売買の調査なんて絶対できないんです。宅建とったくらいでは調査はできません。
正直、それまで不動産屋名乗っていましたが、調査の難しさに、こんなに俺って仕事できないんだなって…自分の不甲斐なさに、不動産屋を名乗るのが恥ずかしくなりました。
ブラック企業に勤めたことや、自分の不甲斐なさから、人のためになる不動産会社をやろうと、不動産を極めることを決意し、売買の方へ転身。売買を覚えて30歳になったら独立して会社をやろう。それが24歳の半ばくらいだったかな。
25歳の時 死ぬほど仕事したNYのエリートサラリーマン
そこから死ぬほど仕事しました(笑)当時勤めてたのは、中堅の戸建てデベロッパーで分譲住宅の仕入れ〜企画〜販売まで一貫してやっていたので、遊びよりも仕事が楽くて、すごく充実してました。3年で課長になり、5年目で会社を辞めるという目標を立て、朝7:30にジム言って、8:30出社、23:00帰宅、そんな生活を毎日続けていましたね。なんだかわからないですが、その当時は、NYのエリートサラリーマンに憧れてて、エリートになるんだったらこのくらい当たり前でしょくらい思ってました(笑)若いっていいですね、今考えると吐きそうです(笑)でもその甲斐あって、目標通り3年で課長になることができました。
29歳の時 リーマンショックがあって
会社勤めて4年目に差し掛かった頃にリーマンショックがあました。そこで、始まったのが一斉在庫処理です。当時勤めてた会社だけでなく、不動産会社はどの会社も、仕入れストップ。そして毎日毎日不動産会社が倒産していて、今日はどこが潰れるか?・・・毎日そんな状態。当時、ブイブイ言わせてた会社がどんどん潰れて、ほんと不動産業界終わったなって感じでした。どんどん潰れていく不動産会社をみて、色々考えました。潰れない不動産会社ってどう言った会社だろう?理想的な不動産会社ってどんな会社だろう?って。理想的なのは、漠然と、人のためになることだなって思っていました。
30歳の時 1番景気が悪い時に会社を辞める
私がいた戸建分譲事業部の在庫が全部無くなったと同時に、先行きが見えない戸建分譲部門の閉鎖が決まり、マンション開発事業部に移動となり、それをきっかけに私は独立をするわけです。みんなに止められました。当時結婚もしてたので、独立はもう少し後にしたらとか?今は給料もらえるんだから辞めるべきじゃないよとか。でも、5年目で辞めるって決めてたことだからっていう理由でやめたのと、もう一つ理由がありました。
それは、誰に言われたか忘れましたが(笑)景気の悪い時こそ独立しなさい、そうすると、昇るだけだから。そして、景気の悪い時でも独立したいと思えるほど、意志が強くないとやっていけない。そう言われました。
確かに、不動産バブル崩壊時期に始めた会社はリーマンショックでもなんとか持ち堪えていました。潰れる会社は新興系だったんですね、だから、これがきっかけなんだろうなとも思いました。
でも、まだまだ、修行が足りないこともわかっていました。自分に足りないのは、経験と知識。そこで、取引先でお世話になっていた不動産会社で不動産に関する税務や問題解決を中心に仕事にしていた会社に丁稚奉公(フルコミッション)で雇ってくださいとお願いしに行き雇ってもらいました。
そこで色々経験しました。細かい仕事で言えば、1ヶ月3万円の家賃滞納の回収から、10億円の収益不動産の取引まで、仕事を自分で取ってきて自分で決めて。少しずつ、信頼を得て依頼されるようになり、税務や権利関係、事業承継など色々トライして勉強しました。そして、お金を貯め、いざ法人化というタイミングに来ました。
32歳の時 会社設立!企業理念
2012年2月14日ティガリアルエステート株式会社を設立。どう言った会社にしようか色々考えました。
不動産で困っている人から、信頼してもらい任せてもらう、そして問題を解決し目的を達成する。
このプロセスがすごく楽しくて、それが人のためになってるなという実感から会社の企業理念は
『不動産で人助け』
にしました。これは今でも変わらずあります。そして私たちのミッションは
不動産の問題を解決することで心の負担を払拭してもらい
より充実した社会生活を送れるように手助けすること
その為に私たちの使命は
惜しみなく知識と行動を提供していくことです。
そうした会社をやっております。ぜひ皆さんも不動産で困ったら弊社へご相談ください。