2024年6月29日の日記
9:00起床。差し迫った原稿もないので、江ノ島にでも行こうかなと前日から考えていたけれど、曇り空だったのでやめる。インドア派は些細な現象から家に引きこもる理由を見出すので本当にタチが悪い。
ひとまず洗濯機をまわして、食事をつくって、植物に水をやって、と生活に必要な最低限のことをやっていると、あっという間に午前中が終わる。午後は午後で原稿の修正依頼が来たりして、その対応に追われる。江ノ島、行かなくてよかった。もし江ノ島で仕事のメールなんて受け取っていたら、そのまま湘南の海の藻屑となって消えるところだった。根っからのインドア派に救われることもある。
これはもう今日は家に引きこもるしかないなと腹を決め、プライベートで進めている書きものに手をつける。
特に隠していることでもないし、親しい友人には打ち明けていることなので普通に書くけど、最近は小説を書いている。40代を迎えたとき、もう少し正確に限定するとエッセイ本を出したとき、さて次はなにをやろうかと思案して決めたのが、小説を書くことだった。
正直、すごく小説を書きたいわけではない。なんなら小説家でメシを食べていこうとはまったく考えていない。一応、出版業界のすみっこに足を突っ込み、文筆で生計を立てている人間として、小説がいかに儲からないかは手にとるようにわかる。よほどのベストセラー作家にならない限り、小説だけではたぶん今の年収ほども稼げない。それなりのローンを背負っている身として、お金は大事。預金通帳の残高が精神安定剤になるタイプです。
じゃあ、なぜ小説を書いているのかというと、理由はふたつ。ひとつは、できることをやり続けるだけでは、人生は長すぎるから。
ライターという仕事は自分に合っているし向いているとも思う。10年以上も続けていると、さすがにちょっとしたハプニング程度ではうろたえることもなくなった。めちゃくちゃ売れっ子というわけでもないけれど、満足する仕事もできて、今の自分は相当安定しているし恵まれていてるんだとも思う。
でも同時に、退屈も感じている。ダンベルと同じ。容易く持ち上げられるダンベルでずっとトレーニングしていてもつまらない。段階的にちゃんと重量を上げていくからこそ、できないことができるようになる楽しさを味わえる。たぶん僕はできないこと、やったことのないことに魅力を感じるタイプで、それが今の自分にとっては小説を書くことだった。
もうひとつの理由は、これからも長くライターをやり続けたいから。
どこかの日記でも書いたけど、インタビューの環境って悪いときはものすごく悪い。ついでに言うと、カメラマン、スタイリスト、ヘアメイク、ライターの中でも、ライターはいちばん軽んじられやすいポジションだと思う。話を聞くとか、文章を書くって、日本語をネイティブレベルで扱える人なら誰でもできることだし、加えて他の3職種と違って編集者が代行できるスキルだから、どうしても扱いが悪くならざるを得ない。それはまあ、ある程度は納得のできることでもある。
だからこそ、この仕事をなるべく長く、そして自分が胸を張れる環境とクオリティで続けていこうと思ったら、代行できない付加価値を得るしかなくて、僕の場合、それは作家性を磨くことだった。だから、自分の作家性たるものがいちばんわかりやすく表出される小説というもので、自分の価値を試そうとしている。
おそろしく不純だけど、「昔から小説家になりたくて」なんてキラキラした理由をとってつけるよりは生々しいし、ちゃんと現実を見据えている分、地に足がついていて、持続しやすいモチベーションではある。
書き終えたらどうするかはまだ決めていない。どこかの賞に応募するルートもあるけれど、これまでも僕はずっと読者に見つけてもらう形でライターとしてのポジションを得てきたので、ネットで自主発表して、審判を読者に委ねるほうが自分らしいかなと思っている。
ま、まずは書き上げることがなによりも大事なんだけど。結果がどうなるにせよ、40過ぎても目指すものがある人生を、僕はわりと気に入っている。