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2024年8月17日の日記

この1週間、取材が入らなかったことをいいことに、まるまる休みをとって大阪の実家で過ごした。

大切な旧友とあの頃と変わらない熱量で何時間でも話せたり、10年以上会っていなかった懐かしい顔ぶれと再会できたり、うれしいことはたくさんあったけど、何より心を休められたのは、ただただ自分の文章と向き合えたことだった。

前にも書いたけど、ちらちらと小説を書きはじめていて。帰省の目的も、じっくりと小説を書く時間をつくりたかったのがほとんどすべて。正直、進んだ量だけでいえば、そこまでではないのだけど、そんなわかりやすいノルマよりも、自分が文章を書くのが下手くそなんだと、改めて気づけたことがめちゃくちゃ有意義だった。

文章を書くというのは、絵を描くの近い。まっさらなキャンバスに、頭の中で思い描いているイメージを形にしていく。でも、自分の言葉が足りなさすぎて、おぼろげに揺れる蜃気楼をうまく捉えることができない。その結果、自分の書きたい気持ちとか情景に半歩届かないような文章ばかりを量産して、己の無力さにのたうち回る。

この1週間はその繰り返しだった。

でも、そのすべてが楽しかった。

できないことがあること。指先をほんの少しかすめて、でも届かなかったあの感触を掴みたいと思うこと。言うことの聞かない暴れ馬の手綱を必死で振るうこと。何もかもが楽しくてしょうがない。

当たり前だけど、この歳になると、できることしか仕事を振られない。だからこそ、できないことに直面できることが新鮮で。走り高跳びの選手が、1cm上げられたバーをクリアするために何度もマットに沈んでは拳を叩きつけるように、パソコンの前でDeleteキーを連打しては頭を抱える自分にいとしさと頼もしさのようなものを感じている。

自分の人生に、文章があってよかった。ほしいものなんて、ほとんど手に入らなかった人生だけど、こんな最高の暇つぶしのおもちゃを与えてもらったことだけは、神様に感謝したい夏休みだった。

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横川良明
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