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全人類『永遠の昨日』を観てください

新年早々、どえらい沼にハマってしまった。

全8話を浴びるように一気見し、放心状態になった挙げ句、この夢から醒めるのが嫌で、そのまま全8話を2周目した。年明けからいい感じにとち狂ってる。

でも沼っていうどろっとした単語は、この作品には合わない気がする。もっとなんだろう、森の奥にある誰も知らない泉のように透明で、教会から聴こえてくるピアノの調べのように僕の心を掴んで離さない。

言うなれば、聖域。新しいサンクチュアリを見つけたような気持ちです。

何の話かというと、そう、ドラマ『永遠の昨日』のことです。

たった一人の大好きな人が、死んだ。もうその心臓は二度と拍を刻まない。だけど、大好きな人は何もなかったように起き上がり、昨日と変わらないように笑っている。

『永遠の昨日』は、〝生きる屍〟になった大好きな人との数日間を描いた感涙ラブストーリーです。

残念ながらすでに放送は終了。なぜ僕はリアタイをしていなかったのだ……と今すぐタイムマシンに乗って去年の自分を殴りたい気持ちでいっぱいです。しかし、Huluでは全話絶賛配信中。月額1,026円(税込)のHuluですが、初回登録時に限り2週間無料です。『永遠の昨日』は1話約24分で全8話ですから、2週間あれば余裕で完走できる。何なら1/7〜1/9あたりの3連休を利用すれば、どっぷり300周くらいはできます(暴言)。

これはもう『永遠の昨日』廃人を増やすしかないというオタクの布教精神で久々にnoteを書きました。とりあえず第1話だけでも観てください。開始1分10秒で「何が起きた????」と衝撃を受ける。で、そこからはもう最終回までノンストップです。約200分後、抜け殻になったあなたがそこにいることでしょう。

ということで、早速、『永遠の昨日』の素晴らしさについて語っていきます。ここからの文章は布教が目的なので、重大なネタバレは避けますが、記事の性質上、いくつかのネタバレが含まれます。親の仇よりネタバレが憎い人は、何も言いません、今すぐHuluへ。一生分の涙を使い果たす200分が待っています。

これは、誰かの一番になりたかった少年たちの物語

誰かの一番になりたい。そういう気持ちって大なり小なり多くの人が持ち合わせているものだと思う。この物語の主人公である山田浩一(小宮璃央)と青海 満(井上想良)も、それぞれある理由から、ずっと誰かに必要とされたかった。

『永遠の昨日』は、誰かの一番になりたかった少年たちの物語だ。

山田浩一は、本人も認める、ありふれた名前。でも、そんな普通の名前が、青海にだけは〝特別〟になる。そして、人付き合いが苦手な青海のことを「みっちゃん」と呼べるのは浩一だけ。彼が「みっちゃん」と呼ぶたびに、その音が、その響きが、自分は〝特別〟なんだという優越感を疼かせる。

浩一と、みっちゃん。こうやって書き並べてみると、なんだかそれは和歌の上の句と下の句みたいで。彼らのことを知ってしまったら、もうこの組み合わせ以外考えられない。みっちゃんの左には、いつも浩一がいて。字面を眺めているだけで、まるで小学生のときに書いた相合傘みたいにドキドキする。

〝生きる屍〟となった浩一は、自分がいつかこの世界からいなくなることを勘づいている。他の誰に忘れられても、みっちゃんにだけは自分のことを忘れてほしくない。そう願う一方で、そうやっていつまでもみっちゃんの中に居座り続けることは、みっちゃんの未来を縛ることだともわかっている。みっちゃんを自分と同じ〝生きる屍〟にしちゃいけない。

だから言った、「同着1位じゃダメですか」と。

一番になりたい浩一が、一番愛している人のために、1位の表彰台を半分こする。その一途で、献身的で、つらすぎる我慢に胸が潰れそうになる。

『永遠の昨日』は、誰かの一番になりたかった少年が、一番愛している人のために、一番をひとりじめすることをあきらめる物語でもあるのだ。

そして、もう一つのキーワードが〝奇跡〟。

みっちゃんは「奇跡なんてのは思考停止ワードだ」と考えていた。気づいたらいつも浩一と目が合うのも、偶然や、ましてや奇跡なんかじゃない。ただずっと浩一を見つめていたから。それだけのことだと自分に言い聞かせていた。

そんな奇跡を信じないみっちゃんが、奇跡を知る。そこにこのドラマのクライマックスがある。では、みっちゃんが知った奇跡とは何か。それは、死体になった浩一が動くことじゃない。奇跡の正体が明かされた瞬間、オタクの涙で琵琶湖の水位が2ミリくらい上がった。何も考えられないくらい悲しいのに、不思議と心に優しい風が吹いている。

『永遠の昨日』は、僕たちの人生に訪れる〝奇跡〟を描いた物語だ。


笑わないみっちゃんの笑顔に、日経平均株価が爆上がりする

幼い頃に母を亡くしたみっちゃんは、病院長の父と二人暮らし。でも、仕事に追われる父とは親子らしい思い出なんてひとつもない。そんな愛情に飢えた生活が、いつしかみっちゃんを笑わない男の子にしてしまった。無愛想で、無口で、周囲に壁をつくりがち。みっちゃんの笑っているところなんて、クラスメイトは誰も見たことがない。

だけど、浩一だけは違う。浩一は、可愛げのないみっちゃんのことを心の底から可愛いと思っている。みんなの前で臆面もなくみっちゃんの可愛いところを自慢する。そして、そんな浩一にみっちゃんは鬱陶しそうに蹴りを入れる。みっちゃんは、浩一の前でさえろくに笑わない男の子だった。

そんなみっちゃんがはたしてどこで笑顔を見せるのか。それが、第1話を観たときからの僕の注目ポイントだった。

その解が訪れるのは、第3話。詳細は省くが、ある場面でみっちゃんは浩一に向けて笑顔を見せる。もうその瞬間のめでたさと言ったら、日経平均株価が爆上がりするレベル。

交差し合う視線に、綻ぶように浩一とみっちゃんが笑う。柔らかい笑い皺が、大人びたみっちゃんをいつもよりずっと少年っぽい表情にさせる。そして、もう一度甘い幸福を噛みしめるように、口角を上げる。バックできらめくイルミネーションよりもずっとキラキラとした目に、僕は彦摩呂ならこう叫んだに違いない、「瞳のエレクトリカルパレードや〜」と…!


泣かない浩一の涙に、今年の年賀状は喪中で行こうと決意した

一方の浩一はというと、自分がすでに死んでいるにもかかわらず、表面上は悲壮感ゼロ。拍子抜けするくらいにケロッとしていて、死体であることを忘れるくらい元気だ。

基本的に、浩一はネガティブな感情を見せない。自分を轢いた加害者と対面したときでさえ、恨み言のひとつも口にしなかった。生きてるときから常に陽気で、海に行けば大はしゃぎし、歳の離れた弟妹の前では面倒見のいいお兄ちゃん。

だからこそ、きっといつか浩一が自分の死と向き合う場面がやってくるだろうと覚悟していた。そして、その覚悟は的中した。

もう多くは説明しない。最終回で浩一が泣きじゃくる場面は、情緒がベルリンの壁くらい崩壊した。今までずっと明るく振る舞っていた分、吐き出す本音の一つひとつが余計にブッ刺さる。浩一の涙が苦しすぎて、今年の年賀状は喪中で行こうと決意するレベル。今も喪失感が長雨のように僕の心のアスファルトを打ちつけている。

あんなふうに浩一が泣けるのは、みっちゃんの前だから。人に気を遣いがちの浩一は、いつも自分の感情より周りを優先してしまう。そんな浩一にとって、みっちゃんは自分の弱さを吐き出せる場所だった。

何があってもみっちゃんを守ると誓っていた浩一が、みっちゃんに守られているみたいで。そんな二人のすべてがいとおしい。

僕はこの二人を思い出すとき、いつもボトルシップが思い浮かぶ。みっちゃん家のテーブルに飾られていたボトルシップのように、二人だけを瓶の中に閉じ込めて、時を止めてしまいたい。そして僕たちは褪せることも朽ちることもない二人の世界を、永遠に見守り続ける。

永遠なんてない世界で、永遠を信じさせてくれるのが、『永遠の昨日』という作品なのだ。


物語と俳優たちを信じたクライマックスの4分50秒

実際、〝視点〟というものを小林啓一監督は大切にされているように感じた。引きを多用した画づくりは、なんだか少し離れた場所から、浩一とみっちゃんの過ごした時間を見守っているみたい。

さらに決定的なのは、長回しの活用だ。あまり細かくカットを割らず、浩一とみっちゃんをしっかり捉えた構図で勝負する。そんなシーンが劇中、多くあった。

その最たるが最終回。まさにクライマックスとなる名場面で、4分50秒にわたり一度もカットが変わらない。

スマホの浸透により現代人の集中力は低下していると言われており、なるべく飽きさせないために細かくカットを割って緩急をつけるのが、今の日本のテレビドラマのセオリー。4分50秒を一枚画でやり切るには、それに足るだけの物語の強度と俳優の地力が求められる。

でも、小林監督はこの二人ならできると思った。その決断に、俳優への信頼と視聴者への信頼の両方を感じた。

鍵盤の毛布で二人を包むような坂東邑真の音楽も良かったけれど、そうしたサントラの良さがあるからこそ、際立ってくるのはむしろ無音の場面。『永遠の昨日』ではドラマティックな場面ほど、あえて劇伴に頼らず、実音だけで見せることにこだわっていた。

二人の初めてのキスもそうだし、〝特別なこと〟の場面もそう。雨の音や虫の声。聞き慣れた日常音が独特の緊張感と生っぽさを生む。そして、その中で響く浩一とみっちゃんの声に、思わず耳をそばだてたくなる。

あくまで見せたいのは、この二人。不要なものはできる限り削ぎ落とし、浩一とみっちゃんの関係性にこだわり抜いた演出が、他に誰も踏み入ることが許されない二人だけの世界を築き上げた。


〝りおそら〟が出会ったことで生まれた、浩一とみっちゃんの世界

そして、そんな二人を演じた小宮璃央と井上想良がとても良かった。

雨がキーとなっているだけあって、ずぶ濡れになるシーンが何度か出てくるのだけど、濡れ髪の二人は特に色っぽくて、もしも願いが叶うなら二人専用の雨降らしになりてえ。

最初にグッと惹き込まれたのは、出会いの場面。

突然の通り雨。学校の昇降口で雨宿りをしているみっちゃん。そこへ部活仲間と一緒に駆けてくる浩一。交わる視線。そのときの二人の目が僕を射抜いた。

目が合った瞬間、もう離せない。瞳が熱をはらんで、喉が渇くようにジリジリする。恋におちた瞬間を目撃してしまったような甘酸っぱい背徳感に、僕の鼓動まで速くなる。あのとき、二人と同じように僕たちも恋におちた、小宮璃央と井上想良がつくり出す、浩一とみっちゃんの世界に。

小宮璃央は、屈託のない笑顔がとにかく印象的だった。

男の子としては少し高めの声が、無邪気な浩一によく合っていて。そんな明るい笑顔が、不意に翳りを覗かせるところが、たまらなく苦しかった。風邪をひいているみっちゃんを見つめる眼差しは慈愛に満ちていて。みっちゃんの手首を掴んで押し倒すシーンは荒々しさがみなぎっていて。小宮璃央は明るい笑顔のカードの裏側にいろんな表情を隠し持っていて、裏返すたびに見たことのない表情で、僕の全身に電撃を走らせる。「みっちゃん、耳たぶ噛んでいい?」のささやきなんて僕の鼓膜がシュープリームサンダーだった。

井上想良は、瞳で語る男の子だった。

声は低めで、それが小宮とのいい対比を生んでいたのだけど、そんな深みのある美声を上回るくらい、目にいろんな感情を宿していた。役に入り込んでいくほど、どんどんハッとするような目を見せてくれて。内視鏡室に入ってきた看護師が浩一に気づかなかったときも、トラックの運転手に再会したときも、寿美子にこの奇跡のタイムリミットを告げられたときも、胸の中に吹く嵐のような感情を、瞳にたたえて表現した。溜め込んだ感情を安易に爆発させず、表面張力ギリギリの極地を見せることができる俳優だと思う。

そんな〝りおそら〟だから、溺れるように夢中になった。どうやら年末には〝りおそら〟がインスタライブをしていたみたいで、「実はあのシーンは本番のものではなく、テストのものが使われていた……」など、いろいろと裏話を語ってくれていたらしい。そういう脳みそがひっくり返りそうな情報に直撃できるのは、リアタイしていた人たちの特権。なんで僕はちゃんと本放送時から追っていなかったのか。三井寿くらい「なぜオレはあんなムダな時間を……」と悔やみたくなる。

でもどんなジャンルも、出会ったタイミングがベストタイミングというのが僕のモットー。遅れて入ってきた分、これから新鮮な気持ちで既出の情報に感激できるかと思うと、人生の楽しみが2倍くらい増えた気持ちになる。

ここまでですでに5000字。知りもしないコンテンツの感想をここまで読んじゃうあなたなら、きっと今すぐ履修してくれると思います。

聖域への入り口を再び置いておくので、この悲しくて優しくて美しいラブストーリーを一緒にとことん味わいましょう。

とりあえず未視聴勢にひとつだけアドバイスをするとしたら、サブスクってエンディングに入るとスキップを推奨してくるじゃないですか。でもこのドラマだけは絶対にエンディングをスキップしてはいけない。必ずエンディング込みで観てください。

すると、最終回の感動が7兆倍くらい増幅します。以上、『永遠の昨日』廃人からのダイイングメッセージでした。

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横川良明
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