黒岩くんに愛されたい人生だった。

何この破壊力。完全に「もうやめて!僕のライフはゼロよ!」状態。ヒリヒリしすぎて心がついてこない。高校生編に突入して以降、やや停滞感のあった『中学聖日記』。だが第8話で臨界点突破。高梨沙羅かな?っていうくらい軽くK点を超えてきた。

あらん限りの語彙力を尽くしてこの面白さを表現したいのだけど、どんな御託を並べたってこの一言にはかなわない。


無理。


聖ちゃんと黒岩くんの前では、僕の陳腐な言葉など、美空ひばりの前で素人が『愛燦燦』を歌い上げるようなもの。人は哀しい 哀しいものですね。


何て言うんだろう。永く慈しむようにして見守ってきた雛鳥が、ようやく空を飛ぶ瞬間を迎えたような、そんな、指先がしんと冷たくなるような不安と、どうか自由に羽ばたいてほしいという願いが、胸の中に入り混じる。

聖ちゃんと黒岩くんを乗せた山江島行きのフェリーは、ふたりだけの未知なる楽園への片道切符だった。世間なんてどうでもいい。家族や職を捨てたっていい。ふたりが、ふたりでいられる場所があるなら、どうかそこで幸せに暮らしてほしい。ふたりの行方を興信所なり探偵なりが突き止めようとするならば、僕がスナイパーとなって阻止してみせる。常識という荒波がふたりの間を引き裂こうものなら、僕が防波堤になってみせる。

それぐらい、聖ちゃんと黒岩くんがいとおしい。


なんでこんなにハマっているのかと言うと、僕はもう完全に聖ちゃん目線。これから横川・聖ちゃん・良明ってミドルネームに入れてもおかしくないぐらい、完全に聖ちゃんにシンクロしてる。


基本的に聖ちゃんはいい子で、そして主体性がない。毒母気味の美和(村川絵梨)に公衆の面前で淫行教師扱いされても何も言い返せない聖ちゃん。と言うか、聖ちゃんはもうすでに8話も経ってるのに、ほとんど本当のことを話していない。言葉を選んでいるうちに誰かが庇い立ててくれたり、何か話したとしても、どこか理路整然としすぎて、本心に聞こえなかったり。それはもう聖ちゃんの中に「こうありたい理想の私」というものがあって、それに追いすがろうと必死だからだ。

いい先生である私。いい恋人である私。いい職場の同僚である私。いい娘である私。

その「いい」は何目線なのって言われたら、もうそれはバリバリの「世間」であって、物差しというものがまったく聖ちゃんの中にない。

聖ちゃんが黒岩くんに惹かれるのは、黒岩くんが何にもとらわれていないから。黒岩くんの物差しは常に自分。自分の好きという感情に一直線。これがマリオカートだったら、黒岩くん、10回くらい沼に落っこちてる。そこ車道じゃないから。減速するから。ってとこも、黒岩くんはお構いなしで突き進む。何なら時たまキノコとか使って駆け抜ける勢い。

こっちはちょっとでもラップタイムを上げようと、うまく減速しながらコーナリングしたり、テクを磨こうとしているのに、黒岩くんはまったく決められた道を走る気がない。すぐ壁にぶつかるし、ジュゲムに引っ張り上げられてるし。本当バカじゃないの? これでイケメンじゃなかったら完全にストーカー案件だし。って呆れるというより、もはや引いた目で見てしまうのに、心のどこかでどうしようもなくそんな黒岩くんに惹かれている自分がいることに気づく。

無茶で、向こう見ずで、無軌道な黒岩くんを見て、一生懸命決められたルートを走ろうとしている自分に疑問を持ってしまう。道からはみ出さないよう、壁にぶつからないように、コーナリングばかりが上手くなって。でもそれって誰のため?っていう話。いざ何も障害物がない一本道に差しかかったときに、全力でアクセルを踏む勇気をどこかに置いてきてしまった自分に気づいて、無性に叫び出したくなるのだ。


でも、黒岩くんは、そんなズルくて、弱くて、未熟な自分も含めて好きだと言ってくれる。全肯定してくれる。黒岩くんといると、自信なんてまるでなくても、ほんのちょっとだけ自分に価値があるように思えてくる。

泣きたいくらい、黒岩くんに愛されたい人生だった。


『中学聖日記』を見て、これだけ胸が疼くのは、黒岩くんの、後先なんてまるで考えない、無防備なくらい今しかない生き方が、いつの間にか立ち回りばかり上手くなって、たった一度の人生のはずなのに、自分のためじゃなく、誰かのために生きてしまっている自分には眩しくて、苦しくて、いとおしいからだ。

そして、そんな黒岩くんにいつか自分の浅薄さを見透かされるのが怖くて、余計にバリアを張ってしまう。

あんなふうにまっすぐに愛されたら、逃げるしかないじゃないか。

だって、彼は幼くて、まだ世界というものを知らなくて、これから先、たくさんのものを見聞きして、たくさんの素晴らしい人たちに出会っていけば、きっと自分なんて取るに足りないつまらないものだということに気づいてしまう。彼を取り囲む世界が色鮮やかであればあるほど、自分がなんて地味で冴えない色をしているのだとはっきりするだろう。それが怖くて、間違っても好きだなんて言えない。

世間も怖いし、大好きな職を手放すことも怖いけれど、一番怖いのはこの衝動みたいな恋愛感情が、決して永く続くものではないと、無駄に経験を積んで大人になってしまった自分は知っているから、踏み出せない。

泣きたいくらい、黒岩くんに愛されるのが怖い人生だった。


だから聖はいつもギリギリのところでストップをかけてしまうんじゃないかな、と思う。聖はいつも傷つくことから逃げている。でも、聖が本当に変わるためには、愛されることを恐れないこと。その愛をまっすぐ受け止めて、信じることが何より必要な気がする。

つまらない大人になってしまった自分と、まだ小さな世界しか知らない子どもの黒岩くん。その壁をこえて、ふたりが笑って生きる未来を信じたい。そのために、最終回まで息を止めるようにして、僕は画面にかじりつくだろう。


この恋は、禁断でもなんでもない。すぐにレッテル貼りする世の中で。他人への攻撃性ばかりがエスカレートし、過ちを許さない不寛容なこの社会で。私が、私らしく生きていくこと。そのために必要な「愛すること、愛されること」を『中学聖日記』は教えてくれる。

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横川良明
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