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紅蓮の炎、群青の月 第三話

 日曜日の昼下がり、玄関のチャイムが鳴ったので敦が出ると大男が立っていた。轟天丸と見まがう分厚い胸板で鬼の仲間かと思ったが、男はきちんとしたスーツを着て眼鏡をかけていた。
「お父さんはいるかい」
 スーツは地味だったが、冷たい目と右の頬に走る大きな傷跡は、男が正業に就く者ではないことを語っていた。
「え、あ、いや、ちょっと待ってください」
 敦はリビングのソファで横になってゴルフ番組を見ている父親に声をかけた。
「父さん、ちょっとまたこれが」
 敦は自分の頬を人差し指でひと撫でした。
 均は舌打ちを一つして立ち上がった
「もう終わった話だろうあれは」
 敦は父親の後ろから玄関に向かった。
「これはこれはお休みの日に急に押しかけてもうしわけない。わたくしは坂田と申します」
 坂田と名乗る男は、恐ろしい風貌とは裏腹に、実ににこやかに名刺を差し出した。「足柄興業 坂田金一」とある。会社のものらしき住所と電話番号が書いてあった。裏を返すと手書きで携帯電話の番号らしきものが書かれていた。
「その坂田さんが、どういったご用で」
 均もにこやかに応じた。怯む様子はまったくない。敦は中年サラリーマンというものを少し見直した。
「玄関先で立ち話も何ですから、国道沿いのカフェでお茶でも飲みながらお願いできますか。車で来てますので」
「ここで結構です。手短にお願いしたい。敦、スマホでこの場の録音だけしてくれ」
 均はにべもない。坂田は少し鼻白んだ。坂田の表情が明らかに変わった。
「じゃ、単刀直入に聞くけど、こないだの山奥の五人殺し、あんた何か知ってるだろ」
 やはり、連中の一味かと敦は思った。バックに大きな組織があるとややこしいことになるかもと、均が言ったとおりだ。
「それはもう何度も警察に話しました。何も知りません。そりゃ、私も産廃処分場の一件で、あいつらには困らされてましたけど、私にはあんなことができるわけないし、できる知り合いがいるわけでもない」
「うちは警察じゃないんでね。もうちょっと他の聞き方もできるけど」
 脅迫にも聞こえたが、均は涼しい顔で無視した。
「こちらも質問していいかな。それを聞いてどうしようと。仕返しでも?」
 坂田はにやりと笑った。頬の傷が斜めにゆがんだ。
「産廃業者のあけぼのクリーンと、殺された連中のいたあの組は、表でも裏でもうちの商売敵でね、潰すとしたら、このあたりではうちしかないはずなんだ。それがあれだろ。あそこまで荒っぽいことができる組織なら、お近づきになりたいと思ってね」
 もう坂田は危ない業界の人間であることを隠す気はないようだった。
「なるほど。しかし、残念ながら本当に何も知らないんだ」
「いや、あんたがやったとかやらせたとか、そんなことは言ってない。何か知らないかと聞いている
「だから何も知らないと言ってるだろう」
 二人はしばし睨み合いになった。眼力はさすがにプロだ。坂田の迫力は圧倒的だった。
 敦は、睨み合う二人に背を向けて、天井を見上げた。小声でつぶやく。
「轟ちゃん、来てくんないかな」
 鬼に聞いた話が本当なら、すぐにでも出てきてくれるはずだった。少なくとも声は届いて、じきに応援に来てくれるだろう。
 しかし、敦が言い終わらぬうちに玄関のドアが開いた。太い腕が扉の向こうから伸びてきて、坂田の襟首を後ろからつかんだ。坂田の巨体が、引き抜かれるように玄関から飛び出して行った。
「いきなりかよ!」
 敦と均は声をそろえて玄関を飛び出した。
 表の道路で、高校生姿の轟天丸と坂田がにらみ合っていた。身長も分厚さも、体格は優劣つけがたく見えた。
「なんだてめえ」
 坂田はスーツの埃を払った。
「渡辺さんに迷惑をかけんでくれるか」
「だからって、いきなり放り出すことはないだろう。一発殴らせろ」
 言うやいなや、坂田は腰の入った左フックを轟天丸の脇腹にたたき込んだ。もちろん、轟天丸は蚊に刺されたほどにも感じるまい、と敦は思ったが、轟天丸は一歩後ずさっていた。目を丸くしている。
「なんだお前。今のパンチでなんで立ってるんだ」
 坂田は立ったまま背を丸め、額に右手を当てた。
「かーっ、俺も衰えたか」
 その場にがばと轟天丸が土下座した。顔を上げて坂田を見た。
「坂田様ではありませんか」
「お前みたいなのに坂田様と呼ばれる覚えはないが」
「金時様のご子孫では」
 坂田はいきなり轟天丸の頭を踏みつけた。
「名前が似てるからって、俺を金太郎呼ばわりして無事だった奴はいねえんだ。口の利き方に気をつけろ」
 均と敦は目を白黒させていた。このやばいのが坂田金時の子孫? 綱の仲間だって?
「すまないが」
 均が声をかけた。
「ちょっとこれはわけありでね。うちの息子は、渡辺綱の子孫なんだ。ひとまず、その子から足をどけてやってくれるか」
 仁王のような形相の坂田に穏やかに声をかけた。敦はますます父親の度胸に感心した。
 坂田は黙って轟天丸の頭から足を下ろした。
「あんたが本当に金時の子孫なら、山奥の事件の話をしてやらなくもない」
「聞こうか」
 均はあらためて坂田を家中に招じ入れた。
 リビングのソファで、坂田は黙って均の説明を聞いた。轟天丸が頭を一振りして、角の生えた素顔を見せると、さすがに否定のしようはないようだった。
「俺が金太郎の子孫だってのは知ってたのか」
「御意」
 轟天丸が答えた。
「この千年というもの、皆さんを見失うまいと、里を挙げて追うておりましたゆえ」
「気分悪ぃな」
 坂田は腰を上げた。
「五人殺しの一件はよくわかった。俺もシマ荒らしじゃないことがわかってよかったよ。誰にも言わねえから安心しな。ただな」
 坂田は三人を均等に見た。
「俺は桃太郎とやらの退治には興味ねえよ。一銭にもならねえ、命は危ない、誰がそんな話に乗るかってんだ」
「しかし」
「しかしも案山子もねえ。とにかく俺は関係ないと思ってくれ」
 坂田は振り返りもせずに玄関から出て行った。
「そりゃそうだよな」
 均は肩をすくめて、坂田にすげなくされてひどく落胆している敦と轟天丸に声をかけた。

 坂田は力を貸さないと言っていたが、敦はもう一度話をしてみることにした。翌日、学校の帰りに、轟天丸と姫夜叉を連れて、名刺の住所を頼りに坂田の事務所を訪ねた。敦の地元を縄張りと言うだけあって、坂田の事務所は敦の高校と目と鼻の先にあった。
 坂田の事務所は産廃業者も兼ねるとあって、だだっ広いスクラップ置き場の奥にあった。プレハブ造りの建物で、アルミサッシの引き戸に「足柄興業」と大書してあった。暴力団を示すようなロゴや代紋は、見えるところにはなかった。
「ごめんください」
 敦が声をかけて引き戸を開けると、事務所には五、六人の体格のいい男たちがたむろしていた。「はい、なんでしょう」
 敦とさほど年の違わないだろう青年が、礼儀正しい口調で話しかけてきた。眉毛はなかったが。
「坂田金一さんに用事があって。いますか?」
 その言い方が気に障ったのか、男の目に固い光がさした。
「どちらさんで」
「渡辺と言います。先日坂田さんがうちに来たのです」
 男は黙って奥に消えた。ほどなくして坂田が現れた。
「おう、あんたらか。なんだ用事って」
 敦たちは事務所に招じ入れられ、応接セットのソファを勧められた。今までそこに座っていた男たちは、壁際に直立不動で並んだ。
 目の前に高級そうな湯飲みに入ったお茶が置かれた。
「力を貸してくれませんか」
 敦は今一度頼んでみることにした。二匹の鬼たちも口々に同じことを言った。
「それならもう断っただろ。俺はしつこい奴ぁ嫌いなんだ」
「だから、桃太郎が……」
「だから、その桃太郎ってやつが面倒なんだろ。その昔は、お前らみたいな鬼をつかまえて、片っ端からぶっ殺したって言うじゃないか。そんなやつを敵に回して、なんかいいことがあるのか」
 敦は怯まずに説明した。世界の危機が迫っていること、今こそ頼光と四天王の力が必要なことなど。
「いい加減にしろよ。ヤクザに正義の味方なんか期待すんな。その桃太郎とやらが天下を取ったら、それに食らいつくのが俺らの商売なんだ」
「あんたが知らん顔するのもいいけど、桃太郎はそんなこと気にしないからね。各個撃破しやすそうだって、きっとあんたを真っ先に殺しに来るよ」
 姫夜叉の口調もいつの間にかぞんざいになっていた。
 坂田の目が光った。
「俺を脅そうってのか」
「ちがう。ここであたしたちと組まないと、死ぬことになるよって教えてあげてるの」
 坂田が立ち上がった。
「表へ出ろこの野郎。俺が簡単にやられるかどうか試してみるか」
 壁際の男たちも身構えていた。何人かはジャケットの内ポケットに手を入れるそぶりを見せた。
 敦たち三人も思わず立ち上がった。
 そのとき、姫夜叉がちらりと事務所の入口を見た。
「この臭いは」
「猿だな」
 轟天丸が応じた。
「敦さんはこれを」
 轟天丸は肩にかけていたバットケースから髭切を取り出して、敦に渡した。
 敦は鞘をベルトに差して下緒で結びつけた。
 二人が体を揺すったように見えた。轟天丸は身長二メートル半、筋肉の塊のような半裸の赤鬼に変じた。手には愛用の金棒、炎嶽を提げている。姫夜叉は二メートル弱の青鬼、水着に等しい姿の超グラマーになった。
 事務所の若い衆は、あんぐりと口を開けて二人の姿を見つめた。。
「猿が来ました」
 姫夜叉が坂田を見た。
「気をつけてください。猿がやって来ます。一匹一匹は取るに足りませんが、数で来られるのは厄介です。とくにそちらの仲間のみなさん」
「猿ってのはなんなんだ」
 坂田が聞いた。当然だろう。いきなり猿が来るから気をつけろ言われても、何に気をつければいいのかわかるわけがない。
「桃太郎の手下、犬猿雉の猿です。猿とは名ばかりで、子どもくらいの大きさの、鋭い爪と牙を持った化け物と思ってください。大変な数で敵を押し包んでなぶり殺しにします」
「そりゃおっかねえな」
 坂田は言葉とは裏腹に、まったく恐れる様子はなさそうだった。
「大丈夫だ。荒っぽいことで引けを取るような奴らじゃねえ。しっかしお前ら、本当に鬼だったんだな」
「表へ出ましょう」
 坂田を先頭にして敦たちは事務所を出た。組員の男たちも後に続いた。
 敵の姿はまだ見えなかったが、敦は腰を落として髭切の鯉口を切った。実戦で真剣を使うなどもちろん初めてだ。しかし、斬れるものはすべて斬るつもりでいた。
 猿が来るとなると数で押してくると聞かされて、坂田は革の手袋をはめた。拳を覆う部分が膨らんでいる。
「ああ、ここには鋼のウエイトが入ってる。チャカや刃物は嫌いなんだ」
 そう言って拳を打ち合わせた。敦は、こいつなら電柱ぐらいワンパンチでへし折るんじゃないかと思った。
 ガチンという響きが消えぬうちに、すさまじい地響きがあたりを襲った。目の前の広場がみるみる猿とも人ともつかぬ異形の矮躯の生き物で埋め尽くされた。
 敦は、二匹の鬼を前に立てて、髭切を抜いた。 坂田も同じように、子分たちを背後に回らせて仁王立ちで猿の方を睨んでいた。
「猿だ!」
 轟天丸が叫んだ。
「望月」
 姫夜叉がつぶやくと、手の中に四メートルを超える豪槍が現れた。
 視界を埋めるような異形の猿の群れを、轟天丸は炎嶽で薙ぎ払った。
 びしゃびしゃびしゃ。
 一気に十数匹の猿が、血飛沫とともに破裂するようにはじけ飛んだ。
 姫夜叉も冷静に槍を振るっている。穂先に貫かれるもの、物打ちで叩き潰されるもの、石突きで抉られるもの、瞬く間に猿の死骸が積み上がった。
 敦は二匹の後ろで壁を背にして震えていた。髭切を青眼に構えたものの、膝が震えるのはどうしようもなかった。
 そこへ、鬼の攻撃をかいくぐって一匹の猿が飛び込んできた。黒く醜い顔貌、長い鉤爪、動物園の猿とは似ても似つかない。両腕を振り上げて、敦の眼前に迫った。
 それでも真正面から飛び込んでくる敵である。敦は出合い面のタイミングで、髭切を猿の眉間に振り下ろした。
 猿は敦に派手な返り血を浴びせて真っ二つになった。敦は絞った両手に斬った感触がなったことに驚いた。髭切の軽さはもとより、包丁で豆腐を切るほどの抵抗もない。
 一匹斬って、敦に落ち着き出てきた。鬼たちの取りこぼしを片っ端から斬り捨てた。
 無数の猿が後から後から湧き出すように現れ、猿は坂田一味にも襲いかかった。
 坂田金一はシャドウボクシングでも楽しむように拳を振るっていた。しがみつく猿の鉤爪のせいで満身創痍に見えたが、岩のような拳で確実に猿を仕留めていた
 坂田の子分も、拳銃で片っ端から撃ち殺していた。しかし弾には限りがあるはずだ。
「富田!」
 坂田が叫んだ。富田と呼ばれた男は、拳銃の弾倉を使い果たし、無数の猿の群れに飲み込まれるところだった。
「兄貴!」
 坂田を呼ぶ声は悲鳴に変わった。
 坂田の子分が次々と猿の餌食となっていった。町では喧嘩自慢のはずのごつい男たちが、数多の猿に飛びつかれ噛みつかれ、肉体を切り裂かれながら死んだ。
「てめえらっ!」
 雷鳴のような坂田の怒号は、猿に向けたものか、斃(たお)れた子分に向けたものか。
 それでも猿とて無限ではない。広場が血の海になり、猿の死骸で埋め尽くされる頃には、飛びかかってくる猿の数も明らかに減ってきた。
 重い槍を置いてレイピアに持ち替えた姫夜叉が、最後の猿を突き殺したとき、全員返り血で真っ赤に染まっていた。
 坂田は生き残った仲間とともに、子分の死体を集めて、事務所の前のスクラップの集積場に丁寧に横たえた。全身を咬みちぎられ、鉤爪で切り裂かれ、手足を引きちぎられ、眼を抉られた無惨な死体ばかりだった。
「なんだあれは」
 坂田が敦に聞いた。歯を食いしばったままの静かな物言いがよけいに、心中の怒りを感じさせた。
「あれが猿だ。千年前にも鬼の仲間を多く殺された。久しぶりに見たわ」
 敦の代わりに轟天丸が答えた。
「今日はあたしたちの様子を見に来ただけでしょう。昔に比べれば、一匹一匹は小ぶりで取るに足りなかったし」
「んなこた聞いちゃいねえ。これは誰の仕業なんだ」
 これは敦が引き取った。
「桃太郎だよ。桃太郎が魔力を与えた猿使いの仕業さ」
「さっきの話か」
「ああ、きっとね。ぼくも最近聞いたばかりだけどね」
「そいつは俺がぶち殺してもいいのか」
 轟天丸が炎嶽を肩から下ろした。
「手強いぞ」
「関係ねえよ」

「どうだった? 猿」
 薄暗い座敷の奥から桃太郎の濁った声がした。
「全滅しました。三百匹ほど出したんですが」
 答えたのは猿田申介。千年前に桃太郎と共に鬼を襲った猿田彦という盗賊の子孫である。蘇った桃太郎に、新たに祖先同様の力を与えられた。
 猿田は己の毛を抜いて息を吹きかけると、自分の毛一本あたり三十体の短躯異形の化け物を出すことができる。その化け物を猿と呼んでいるが、かつて鬼の里に攻め込んだときはその猿の大軍勢を率いた。
「全滅した? 金時は人間だろうが」
「鬼がついとりました。赤いのと青いのが」
 桃太郎のそばの暗がりから声がした。この屋敷の持ち主でもある雉牟田喜十郎だ。これもかつての桃太郎の眷属の子孫だ。先祖は雉牟田季順という山岳信仰の修験者で、鬼ヶ島の掃討戦では斥候と後方攪乱を受け持った。
「すでに鬼がそばにいるのか。こちらの狙いは読まれているのかもしれんが、気にすることはない。所詮、遅かれ早かれというやつだ」
「しかも、刀を振るって猿と闘う若者がおりました。学校の制服だったので高校生でしょう」
「何者だそいつは」
「刀を持つことから、おそらく頼光か綱の子孫かと」
「雉よ、上出来ではないか。頼光どもの居場所は、金時しかわからんのではなかったのか」
 雉子牟田は桃太郎に向かってあらためて頭を下げた。
「その通りです。頼光と四天王の子孫については調べに調べましたが、系図がはっきりと追えたのは、坂田金時だけでした。あとは、伝承が多いわりに家系の分岐も多く、歴史の中に埋もれてしまって……」
「かまわぬ。金時の子孫が知れただけでも上々だ。おかげで猿を送り込めたし、鬼がついていることもわかった。しかも、もう一人の子孫の居場所がつかめそうではないか」
「ひとまとめにして潰しますか」
 問いかけたのは犬飼狗美だ。その名の通り「犬」の子孫である。人の姿のときは妖艶な美女だが、暴れるときは象に倍するような巨躯に変じて、目の前の敵をすべて咬み殺す。千年前は桃太郎にとって最大の戦力だった。
「そうもいかん。鏡を見つけるには、我々だけでは難しい。必ず奴らが先に発見する。それを奪う。皆殺しはその後だ」
「御意」
「雉よ、ゆめゆめ監視を怠るな」
 暗がりで雉牟田が平伏する気配がした。
「猿、鏡が見つかるまでは、綱だけは見つけても殺すな。あとはなんとしてでも力を削げ」
 猿田は黙って座敷から姿を消した。
「犬よ、少し出かけてくるぞ。二、三人食って帰ってきたら、抱いてやるから待っておれ」
 桃太郎はゆらりと立ち上がった。桃太郎は全裸だった。窓から漏れる月明かりが、股間に屹立する巨大な陽根を照らしていた。犬飼狗美は頬を赤らめて俯いた。
 桃太郎は隠れ蓑を羽織って姿を消した。一陣の風が桃太郎が窓から外へ走ったことを知らせた。

 敦たちが猿に襲われる数週間前のことになる。
 犬飼狗美はマンションに帰って部屋のドアを開けた瞬間、かすかな違和感を覚えた。狗美は名前の通り鼻が利くのが自慢だった。覚えのない臭いがかすかに漂っていた。生ゴミではない。生き物の臭いだ。自分の汗の臭いでもない。
 野良猫でも紛れ込んだのなら追い出さないといけないし、侵入者がいるようならすぐに逃げられるよう、玄関のドアをストッパーで開け放した。傘立てから金属製の長い靴べらを手に取った。ローヒールのまま廊下に上がった。
 リビングに通じるドアをそっと開けて、気配をうかがう。窓から入る外の明かりにすかしても、変わった様子はない。ただ、異臭は強くなった。やはり生ゴミか何かなのか。
 狗美はそろりとリビングに入ってソファにバッグを投げた。
「ひさしぶりだな、犬」
 何者かが後ろから覆い被さってきた。獣の臭いがした。狗美は首に腕を巻き付けられて、悲鳴どころか声すら出せなかった。右手の靴べらが床に落ちた。
 失神寸前で腕は解かれ、強い力で両肩を摑まれて振り向かされた。恐ろしい顔をした生き物がいた。
「ひっ、お、鬼」
 首が折れるかと思うような平手打ちが飛んできた。
「おれを二度と鬼と呼ぶな」
 異相の男は、肩を摑んだまま狗美の目をのぞき込んだ。
「しかし、犬の子孫が女だったとはな」
 笑った男の目が光った。狗美の背筋に衝撃が走り、思わずその場に座りこんだ。
「も、桃太郎様……」
 桃太郎の視線で精神を支配されたまま、狗美は意識を失った。
 桃太郎の体内には馗毘虫(きびちゅう)という、小さな百足のようなゲジゲジのような黒い虫が犇(ひし)めいていた。口の中や肺の中でも常にあふれんばかりに蠢(うごめ)いていたが、皮膚の下にも廃屋の白蟻のようにびっしりと貼りついていた。
 それを取り出して捏ねたのものが馗毘団子(きびだんご)である。桃太郎は己の体から出た汚らわしい虫を人に食わせることで、特殊な能力を与えて眷属とすることができた。
 桃太郎はかつての眷属の血に混じった馗毘虫の臭いを辿って狗美を見つけた。桃太郎に馗毘団子を与えられて無事だったばかりか、特殊能力を得られた血統は、それだけ貴重で特殊な臭気をまとっていたのだ。
 桃太郎は意識を失った狗美を、寝室のベッドの上に放り出した。その弾みで狗美がぼんやりと意識を取り戻すと、ベッドの上に座らせて、目の前に馗毘団子を突きつけた。青黒い団子の表面で、無数の節と脚を持つ馗毘虫が、何匹も潜り込むようにして蠢いているのが見えた。
「さあ食え」
 桃太郎にしても狗美が無事に済むという自信はなかった。千年前も、何百人もの犠牲者を狂い死にさせて、やっと捕まえた犬と猿と雉だったのだ。すでにその血も薄まったのなら、この場で血反吐を吐いて死んでも不思議ではない。
 狗美はぼんやりとした目つきのまま、桃太郎の差し出す団子を手に取って口にした。もぞもぞと唇にまとわりつく馗毘虫も気にならないのか、数度に分けて飲み込んだ。
 狗美は最後の一口をゴクリと嚥下すると、ベッドの上に正座したまま目を閉じた。
「がはっ」
 次の瞬間、狗美は刮(か)っと目を見開いて仰向けに倒れた。苦しげに喉をかきむしって体を丸めた。
「ごあああぁぁ!」
 狗美は顔面を紅潮させて、体を曲げては伸ばし、眼球も飛びださんばかりに苦悶の表情を浮かべてのたうち回った。
 桃太郎はじっとその様子を見下ろしていた。これでこの女が死ねばそれまでのことだ。何人殺すことになろうと、次の犬を見つけるしかない。
 十数分も経っただろうか、狗美の苦悶は次第に収まってきた。眉根を寄せた苦しげな表情のまま、意識を失ったように寝息を立て始めた。
 桃太郎は、ほくそ笑むような表情を浮かべて、狗美を引き起こした。派手な音を立てて頬を叩いた。
 狗美は目を覚ました。さっきまでのような恐怖や朦朧とした気配はすでになく、まっすぐに桃太郎を見つめた。
「お前は犬だ」
「はい。桃太郎様」
「鬼退治に行くぞ」
「お供します」
 桃太郎は身につけていた漆黒の長衣を足下に落として全裸になった。ベッドの上に座り込んだ狗美の目の前で仁王立ちになった。
「よし、褒美をやろう」
「うれしゅうございます」
 狗美はそう言って、目の前に突き出された桃太郎のごつごつとした巨大な物に白い指を絡めると、赤い唇を開いてゆっくりとかぶせていった。

 猿田申介は、中学デビューの非行少年がそのまま大人になったような男だった。
 凶悪犯罪こそ今のところ無縁だが、不良相手のカツアゲや万引きは日常茶飯事で、新京極のパリピ相手に毎日遊んで暮らしていた。暴力団や半グレグループとはかろうじて距離を置いていたが、それは本能寺のそばで代々和菓子屋を営む父親に対する義理立てでもあった。おかげで小遣いには不自由しなかったし、いずれ自分が店を継ぐのだろうとも思っていた。
 そろそろ終電もなくなろうという時刻だった。猿田は手近の路地に入り込み、今しがた殴り倒した酔っ払いから奪った財布を改めた。
「お、五万もあるじゃん。こりゃついてる」
 そのとき、路地の出口から人影が近づいてきた。大通りの灯りで逆光になって顔までは見えないが、ひょろりと背が高く、異様に手の長い妙なシルエットをしていた。
「取り返そうったってそうはいかないよ」
 猿田は手に残った財布を投げつけて、反対方向へ脱兎のように駆け出した。
 はずだった。しかし猿田は、ものすごい力で襟首を摑まれて、傍らの壁に叩きつけられた。
 背中から壁にぶつかって、猿田の肺からすべての空気が出て行った。猿田は息が止まって壁の下にうずくまった。
「いきなり何を」
 やっとのことで呼吸のできた猿田は、自分を襲った存在を見上げて息をのんだ。灰色の肌に包まれた長身の怪人は。明らかに人間ではなかった。
「猿。探したぞ」
 強い視線で睨みつけられて、猿田は意識を失った。
 ここでも桃太郎は、意識を取り戻した猿田申介に馗毘団子を与えた。猿田も死に瀕するほどの苦痛を経て、かつて猿田彦と名乗った盗賊が桃太郎から得た力を手に入れた。
「貴様も死なずにすんだか」
 桃太郎は満足げに呟いた。
「御意」
 猿田は桃太郎の前で片膝をついて答えた。
「さあ、鬼退治に行くぞ」
「我が猿どもの手でひと押しに押し潰して見せましょう」

 雉牟田喜十郎は、権力に憧れていた。戦中戦後のどさくさで財をなした祖父の力で代議士になった父は若くして死んだ。
 雉牟田は祖父から先祖の話を聞かされながら育ち、いくつもの会社を経営しながら県会議員にまで上り詰めた。しかしそこまでだった。県議会でこそ重鎮と呼ばれたが、大臣どころか国会にも出られなかった。
 近頃は議会がなければ、比良山系の山麓にある別宅で過ごすことが多くなった。県民の陳情など秘書で十分だ。会社経営も子飼いの役員が多くいるので心配ない。夜遊びもすでに倦んで久しい。
 夜も更けて月も高い時刻にもかかわらず、喜十郎は離れの茶室でひとりお茶を点(た)てていた。
 柘榴(ざくろ)口(ぐち)の外に何者かの気配がした。
「さて誰だろう」
 思う間もなく、音もなく扉が開いて、異相異形の大男がするりと入ってきた。雉牟田の目の前に立て膝で座った。
「これは行儀の悪い」
「雉よ、なんだこの狭い部屋は」
 棗(なつめ)の脇に置いた袱紗(ふくさ)の下の拳銃に手を伸ばしかけて、雉牟田は今一度男を振り返った。この大男は佗茶(わびちゃ)の茶室を見たこともないようだ。無教養なのか、それとも。
 はっと気づいて雉牟田は座をすべり、男に向かって平伏した。
 しゅんしゅんちんちんと湯の沸いた釜が立てる音だけが茶室の中に響いた。
 雉牟田は畳に額を押し当てながら、感動に打ち震えていた。修験者の祖とも乱波の原型とも言われる先祖の雉牟田季順より三十余代、雉牟田家はこの日を待ち望んでいた。
 雉牟田は幼い頃から、自分の先祖がかつて桃太郎と共に鬼退治を果たし、藤原道長とともに世界を手に入れる一歩手前で頼光四天王に敗れたことを、幾度も幾度も聞かされてきた。また、桃太郎が二十一世紀に復活して雉牟田の者に再び声をかけようとするであろうことも、雉牟田の胸中では事実として記憶に刻まれていた。だから雉牟田は政治の世界に身を置きながら、桃太郎と再び見(まみ)えることを切望してきたし、その仲間に加わって今度こそ世界を手に入れたいと願い続けてきたのだった。
「桃太郎様」
「いかにも。今生の雉は爺であったか」
「恐れ入ります」
 雉牟田は顔を上げた。桃太郎の射るような眼光に意識を飛ばされた。
 意識を取り戻した雉牟田は、桃太郎の差し出す馗毘団子を喜々として頬張った。団子の表面で蠢く脚の多い虫も気にならなかった。
 高齢が災いしたか、雉牟田の苦悶は長く続いた。体を捻って呻き続けること三時間、雉牟田はついに意識を失って静かになった。桃太郎は、さすがに今回は無理だったかと半ば諦めたが、雉牟田が荒い呼吸で高熱を発している間は待てばよいかと、茶室の中で胡座をかいた。
 雉牟田の高熱は三日三晩続いた。桃太郎はその間、まんじりともせずその姿を腕を組んで見守っていた。
 意識を取り戻した雉牟田は、多少やつれてはいたがむしろ肌艶もよく、桃太郎に出会う前よりよほど精気にあふれていた。
「気がついたか、雉よ」
「苦しゅうございましたが、今は力が漲っておる気がいたします」
「それはよい。鬼退治に行くぞ」
「待ちかねておりました。身を粉にしてお仕えいたします」
 桃太郎の呪力と馗毘虫によって、雉牟田には先祖同様、雉の力が与えられた。誰も及ばない速度の飛行能力のほか、攻撃能力を備えた監視カメラ付きドローンともいうべき小型の「雉」を、いくつも発出することができた。

 鬼たちと敦は、坂田の組事務所で額を寄せ合っていた。
「桃太郎と対峙するには、こちらの体勢を整えねばなりません」
 目の前に関東地方の地図を広げて、姫夜叉が言った。
「少なくとも頼光様と四天王には揃ってもらわないと」
「そんな連中、どこにいるんだ」
 坂田が訊いた。
「卜部様の子孫はここに。碓井様の子孫はここに」
 姫夜叉は地図の上をはっきりと指さした。
「なぜ知ってる」
「この千年というもの、私たちは度々人間界に現れて、頼光様と四天王の行方を追っていました」
 敦は膝を叩いた。
「母さんと遊んだことがあるというのはそれでか」
「そうです。千年経てば桃太郎が復活することは伝えられていました。もしそれが本当なら、再びみなさんの力が必要になります。なので、私たちはみなさんの居場所を追う必要があったのです」
「日本各地の鬼の伝説や目撃談もそれが関係あるのか」
 坂田が感心したように言った。
「まあ、半分以上はそうでしょうな。見つかったのは、大体わしみたいな奴ばかりだが」
 轟天丸が頭をかいた。
「それじゃ、早いほうがいいな。桃太郎に先を越されて殺されでもしたら困る」
 坂田の懸念を、姫夜叉は否定した。
「この千年、桃太郎は封印されて眠っていましたから、みなさんの居場所を知っているということはないはずです」
「うちは襲われたじゃないか」
「坂田さんは系図がはっきりしてましたから。一方で渡辺家には来ていません」
「しかし、我々の存在はいずれ知られることになる。急ぐに越したことはない。そういうことだろう」
 姫夜叉によると、四天王の子孫は関東に散らばっているという。史実では、渡辺綱の子孫は摂津渡辺党として淀川の河口付近に拠点を構えたことで知られるし、卜部は播磨になるが、鎌倉期に分離して直接の血を引く者は関東に移ったらしい。碓井は固より相模の武家なので、子孫は今も神奈川県に暮らすという。

 敦は、すでに期末テスト期間に入っていたが、試験勉強どころではなかった。
 翌日も三時間目の英作文のテストを終えて、坂田の事務所に立ち寄った。昼食も取らずにいて腹を減らしていると、坂田が出前でカツ丼を取ってくれた。
「今日のうちに卜部さんの子孫に会いましょう」
 姫夜叉がそう言うのに、敦はカツ丼を頬張りながら訊いた。
「今日でないとダメなのか」
「彼女は弓道部で、今日が練習日なのです。そして、彼女は練習日には必ず夜になるまで一人で練習します」
「彼女って、女なのか」
「名前は浦辺(うらべ)季美(としみ)。千葉県に住む二十一歳の女子大生です」
 敦はご飯粒をむせそうになった。同じ四天王の子孫でも、坂田とは何もかもがちがう。
「よし、俺が行こう」
 坂田が急に張り切りだした。
「直接会うのは私と敦さんで向かいます。坂田さんでは警戒されます。坂田さんは自動車で送ってください」
 坂田は横を向いて舌打ちした。
 たしかに、相手は二十一歳の女子大生である。体格のいいヤクザはもちろん、男子高校生が一人で出かけても警戒されるばかりだろう。というわけで、敦は、女子高生に変身した姫夜叉と共に接触に向かった。
 すでに日も暮れかかっていたが、浦辺季美が一人で練習中だという、大学の敷地のはずれにある弓道場に向かった。
「気づいてる?」
 姫夜叉は前を向いたまま敦に聞いた。
「ああ。雉が飛んでるねえ」
 敦も前を向いたまま答える。
「桃太郎も必死ですから」
「落とせないのか」
「あれはちょっと無理。三日月でも届かない」
「どうする。あれは偵察機だろう。居場所がばれるぞ」
 姫夜叉は唇を結んだ。
「今すぐ襲われても、雉だけならあたしで追い払える。犬や猿が来るには時間もかかるはず。来たとしても轟ちゃんは間に合う。桃太郎が現れるとやばいけど、それはまだないと思う」
 楽観的に過ぎる気もしたが、雉に見られているからと言って引き返すわけにも行かない。
 入り口で靴を脱いで、そろりと上がった弓道場には、当然道着と袴の学生がいるものと思っていたが、こちらに背を向けた黒いジャージ姿の若い女性がいるだけだった。なるほど学生らしかったが、和弓ではなく一メートルほどの短い弓を持っていた。右手に持つのはたぶんアーチェリー用のアルミの矢だ。数本まとめて摑んでいる
 女は的場に降りて、用意していたスニーカーを履いた。足下を確かめるように二、三度ジャンプすると、的に向かって走り出した。右端の的に近づいたところで、直角に折れるように走りながら向きを変えて弓を構えた。
 タン、タン、タン。
 小気味のいい音が連続で聞こえた。三つの的にそれぞれ銀色の矢が深々と突き立っていた。
 女は矢をすべて抜き取って振り返った。
「えーっ! 誰?」
 まったく気づいてなかったらしい。
「すみません。渡辺と言います。浦辺さんですよね」
「いや、だから誰なのって。名字を聞いたって、なんの情報にもならないよ。なんで私のことを知ってるの」
 敦がまだ若いとみてタメ口のままだ。
「私は姫夜叉。鬼です」
 女は右手の矢と左手のの弓を万歳をするように差し上げた。
「鬼とか、もっと意味分かんない。美人さんなのに」
「説明は後でします。それより、あの鳥落とせます?」
 姫夜叉は夕暮れの空を弓道場の上に近づいてきた雉を指さした。
 女はちらりと振り返ったが、
「生き物はむやみに取っちゃいけないの。鳩でもカラスでも、勝手に殺すと警察に捕まるよ」
 とにべもない。
「あれは敵です。逃がすと私たちの命に関わります。」
 女は困った表情になった。命に関わると言われたことより、理解のできない姫夜叉の言葉に不安を感じたのかも知れない。手に持った三本の矢のうち二本を背負った筒に戻した。
「近くに落ちたら死骸は隠してね」
 流れるような動作で振り返ると同時に弓を引き絞っていた。
 放たれた矢は風切り音を立てて、一直線に空に向かった。矢は飛ぶ鳥を追うようにかすかな放物線を描き、二つの飛翔体は遙か遠くで交差した。アルミの矢は雉の首を見事に貫いていた。

「たはっ」
 雉牟田は左目を押さえた。指の間から一筋の血が流れた。
「どうした」
 桃太郎が聞いた。
「大丈夫です。雉が落とされました。まちがいなく卜部です」
「よし。殺すぞ。支度せい」
「しかし、我々が着くころには、もうおりますまい」
「追えんのか」
「雉が落とされましたゆえ」
「忌々しい。早く次の雉を放て」

 浦辺季美は、弓道部に所属しいながら、精神論に傾斜した「弓道」には飽き足らなく思っていた。マーベル映画のホークアイやユーチューブにある北欧の達人の動画を見て、近接戦闘や白兵戦にも使える弓使いに憧れていた。そこで、短くて強い弓を特注し、練習場が空いてるときに、退部の危険を冒しつつ、こっそり練習していたのだった。
「鳥を射ったの初めてじゃないでしょ」
「てへ」
「でも、たいした腕前ね。助かったわ」
 まんざらでもない表情の季美を、敦が急かした。
「早く逃げよう」
「いや、だからなんで」
「あとで説明する」
「もうそればっかりじゃん」
 姫夜叉が季美の手を引いた。三人で逃げるように弓道場を後にした。
 敦は、大学の正面に停めていた坂田のベンツに、普段着に着替えた季美と乗り込んだ。度胸が据わっているのかも知れないが、敦が年下で姫夜叉が女の子に見えるせいもあるのだろう、季美はさほど警戒せずに黒塗りのベンツに乗った。車はすぐに都心へ向かって飛ばし始めた。
「さあ、説明して」
 季美は敦を睨んだ。あまりに急な展開に、心なしか目が据わっている。
 口火を切ったのは、助手席のやはり姫夜叉だった。後部座席の季美を振り返るように声をかけた。
「浦辺さん、卜部季武という名はご存じですか」
「その名前の人は、ご先祖にいるって聞いたことがある」
「そう、あなたがその直系の子孫なのです」
 姫夜叉は、敦が渡辺綱の子孫であるところから丁寧に解説した。疑わしげな季美の様子に、話の途中で額に角の生えた素顔を見せて驚かせたりもしたが。
「だから、復活した桃太郎は、鏡を破壊するために我々を追っています。そして二度と封印されぬために、我々を殺しに来ます」
 すでに季美の顔は真っ白な紙のような色になっていた。
「さっき落としてもらった鳥は、本当の鳥ではありません。桃太郎の手下の雉が放った偵察用の魔物の一種です」
「桃太郎は僕たちを見つけるのに必死みたいだ」
「そして、その殺す相手には……」
「もちろんあなたも含まれています」
「やっつけるしかないの?」
 敦が答えた。
「ないだろうね。話が通じる相手ではないと思う。まだ会ったことはないけど」
 坂田が割って入った。
「うちの事務所を襲った猿は容赦がなかったぞ。舎弟が何人も殺された」
 季美は車の天井を見上げた。
「あーあ、美人で弓の達人っていう、ユーチューバーをめざしてたのに」
「心配ありません。桃太郎を倒すか封印すればすむ話です。簡単ではありませんが」
 季美は傍らの弓矢一式を収めたバッグに目を落とした。
「でも、そんな怪獣みたいな奴、こんなものでどうしろって」
 坂田が運転しながら答えた。
「まずは四天王が揃ってからの話としよう。そして関西にいるらしい頼光の子孫とやらに会いに行く。それまではなるべく居場所を知られないようにしないとならない。しばらくはあちこち移動してもらう。隠れ家と金の心配はいらない」
 今さらながら坂田の体格と剣呑な風情に気づいたのか、季美の目の奥の警戒感はなかなか消えそうになかった。それはそうだ。おとぎ話でしか聞いたことのない桃太郎が本当にいて、しかも自分を殺しに来るなどという話がにわかに信じられるわけがない。しかも、今の状況は完全に誘拐されているに等しい。
「えー。荷物取りに帰っていい?」
 季美は隙を見て逃げることも考えたが、先ほどの姫夜叉の鬼の姿はどう見ても本物だったし、高校生の男の子も悪そうな感じではない。武器を取り上げようともしなかったし、もう少し様子を見るかという気になっていた。
「それはかまいません。ただ、ひとつお願いがあります」
 姫夜叉の言葉に、季美は片方の眉を上げた。
「偵察に飛んでくる雉は必ず落としてほしい。どれが雉かは、季美さんが気づかなくても私たちが教える」
「それは任せて。練習にもなるし」
「浦辺さん、大学や家族の方はいいの?」
 敦が聞いた。
「大学はもう休みに入ったよ。単位は足りてるので秋までは大丈夫。私は下宿なので、これも実家に連絡さえしとけば問題ない。ただ、バイトはちょっとね。いつでも辞められるけど最後のお給料だけもらいに行かなきゃ」
「何やってるの」
「えへへ。キャバクラ」
 季美は敦にウインクした。


第一話 紅蓮の炎、群青の月 第一話

第二話 紅蓮の炎、群青の月 第二話

第三話 (本ページ)

第四話 紅蓮の炎、群青の月 第四話

第五話 紅蓮の炎、群青の月 第五話

最終話 紅蓮の炎、群青の月 最終話

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筆先三寸/むしまる
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