
改造人間の憂鬱
目覚めると巨大な毒虫になっていた男の話は聞いたことがある。私は目覚めると改造人間になっていた。深い湖の底からゆっくりと浮かび上がるように、徐々に意識を取り戻す感覚があった。気がつくと、見覚えのない機械だらけの部屋のベッドに寝かされて、白衣姿の老人が私の顔を覗き込んでいた。
「お、意識もどったか。しゃべれそうか」
白衣の老爺は真田山博士と名乗った。どうやら私は通勤途上で大型トレーラーに轢かれて、内臓も骨もぐしゃぐしゃになって即死に近かったところを博士に助けられたらしい。
しかし、話を聞くうちに、命拾いをしたと素直に喜べない話であることがわかった。
私は富田林のサラリーマン家庭に生まれて、今年四十になる。父母はまだ健在のはずだが、私の度重なる不義理のせいで長らく電話もしていない。
私は高校までは富田林の公立に通っていた、そして京都の大学に入ったまではよかったが、一人暮らしを始めると案の定悪い遊びを覚えて、五年ほど親に学費と仕送りの世話になっておきながら結局中退してしまった。堅物の親父は烈火のごとく怒って、それ以来ほぼ義絶状態である。その後は親戚兄弟に借金もしながらパチンコやアルバイトで食いつないでいたが、例の西日本クーデター以降、まともなアルバイトはほぼなくなり、大阪市内の飲料卸会社に職を得た。早い話がトラックで街の中を走り回って自販機の詰め替えを行う仕事である。今どきの情勢では、闇屋に雇われたチンピラに襲われたりして、あまり安全な仕事ではないが、給料はそこそこもらえるし、それなりに自分のペースで働けるので気に入っていた。
その日も私は仕事に向かう途中だった。ところが、南津守のアパートを朝の七時に自転車で出て、旧の国道二六号線を東へ渡ろうとしていたところを、大きなトレーラーに轢かれたのである。自転車も体も見るも無残に潰されてしまい、即死でもおかしくなかったという。そして、そのトレーラーに乗っていたのが大阪政府の天才科学者真田山博士だった。十トンの巨大なトレーラーはそのまま博士の研究実験室でもあり、血まみれの肉塊になった私はその場で後部コンテナの研究室スペースに引きずり込まれて改造処置を施されたのだった。その上、そのまま意識不明の状態が一年近く続いていたという。それが今日やっと意識も戻り口も開けるようになったのだ。
しかし、しかしである、まるで傷口を縫っただけのような気軽さで、改造しといたでと言われてもあいさつに困る。いや、困惑してしまうと言うべきか。なるほど大型トラックに轢かれてぺちゃんこの自分を生かしてくれたというのはありがたい。ありがたいどころかそのままだと死んでいたのであるから、ありがたいどころの騒ぎではない。だからといって、そのために改造したとなると話が違う。折れた大腿骨にチタンのボルトを、破れた心臓に人工弁を、という話ではない。なにしろ改造である。改修なら屋根の雨漏りや基幹システムの不具合対応だが、人間で改造となると仮面ライダーしかないではないか。それともショッカー怪人か。
「まあ、仮面ライダーに近いわな。ライダーキックはついてないけど、練習次第ではええとこいくで」
博士はそう言うが、自分はそんなものは望んでいない。家族のためにも命を助けてもらったのはありがたいが、改造など頼んでいない。勝手に仮面ライダーにされても困る。
博士が言うにはこうだ。
「基本はわしが発明した生体強化樹脂や。モンスター樹脂ガーとかミュータント実験やめろみたいに言うやつもおるけど、軽うて強うて生体組織とめっちゃ相性のええやつ発明したんや。これをips細胞やら使こて、細胞レベルから人体に仕込むんや」
ということらしい。生理学脳科学有機化学バイオテクノロジーの話はわからないので説明をはしょると、骨はチタン合金なみに固くなる。それでヒビくらいは自己修復する。皮膚内臓筋肉はその樹脂とやらのしみこんだスポンジみたいなもので、生体反応や新陳代謝には何の問題もないが、過剰なショックや過剰な刺激に対してはナノセカンドレベルで硬化するという。軍用のライフル弾や火炎放射器程度では、皮膚にかすり傷もつかないらしい。
ついでに筋力も大変なことになっている。これは樹脂ではなく、反応速度と反応強度を極限にまであげられるよう、脳や運動緒神経を中心に神経組織と伝達物質に細工したという。もちろん普通の人間にそんなことをしたら、走るだけで体がバラバラになって死んでしまうが、骨格と筋肉を強化してあるので大丈夫らしい。よくしたものである。
変身できないのなら、ライダーよりスーパーマン、いや、もと人間だけにスパイダーマンか。
「おう、そんな感じやの。とにかくお前は強化人間や」
あんまりうれしくない。まったくうれしくない。
博士は大阪政府の軍事技術部門のトップだという。大規模な研究施設はもちろんあるが、個人的で特殊な研究はこの巨大なトレーラーを改造して行っているらしい。
「移動は簡単やし、寝泊まりはできるし、ドンパチ始まったら逃げられるしな。便利なもんやぞ」
それにしても、人体改造や強化人間など当たり前に軍事研究だと思うが、いくら機密でも強化兵士が出来上がったとか、前線で活躍とかしたらニュースくらい流れるだろう。そんな話は聞いたことがない。開発途中の技術だとしても、マウスかなにかでの成功例や研究例も見覚えはない。
「技術としては未完成やからな。人間で成功したのはお前が初めてや。人間どころか、まだネズミでも成功したことない。ぜんぶ死による。シャーレ上の培養細胞とコンピュータシミュレーションだけや、うまいこといってんのは」
どうしてそんな危険な処置を私に加えようとしたのか。どう考えても、そんなことをして助かると思う方がおかしい。死ぬことがわかってる人体実験なんか殺人に等しいじゃないか。
「そやかて、このトレーラーにはその設備しかなかってんからしゃあないやろ。ぐちゃぐちゃの肉の塊になって即死しかけてたくせにぜいたくぬかすなアホンダラ」
なぜ私が怒られるのか。救急車を呼ぶと過失致死で捕まるからそんな無茶をしたのではないのか。
「それもある」
あるんかい。
「いうても、このトレーラーでよかったと思え。すぐ車内のラボブースに運び込んで処置したから助かってんぞ。わしも助かるとは思わんかったけど」
「あと言うとくとな、これは強化人間を作る技術やさかいに、力は強いし頑丈やけど、毒では死ぬで。電気にも弱い。痛いもかゆいも熱いも普通のレベルなら普通に感じる。ただし、特殊な前処置をせんと注射針もメスも入れへんから、このラボから離れたとこでケガや病気したら助からん。まあ弱点と言うてもそのくらいかな」
ずいぶん弱点が多いな。
数日のうちに体も動きちゃんと喋れるようになったので、私は帰れるものなら帰らせてくれと博士に頼み込んだ。一年も留守にしていたら家族も心配しただろう。いくら博士が生きていると伝えてくれていたにせよ、最高機密の軍事技術でもあり見舞いもできなかったと聞く。
博士は意外にもうなずいた。
「いつまでもこんなとこにおられても困るからな。ここは病室やのうて実験室なんやから。その代り、呼んだらいつでも実験や検査に付き合うてもらうで」
「そのくらいのこと、仕事に差し支えなければ」
「何を言うてんねん。仕事はもうないで。ていうか、わしらと一緒に軍の仕事してくれんかいや」
意識がなかった一年ほどの間に、博士と大阪政府が会社とは話をつけたらしい。私はめでたく労災保険も退職金も見舞金ももらって円満退社したことになってるということだ。なんせ植物状態の間の話である。無事な姿で娑婆に帰れる保証もない状況で、考えればうまく話をまとめてくれたとしなければいけないのかもしれない。私一人で会社にごねても労災認定ひとつとれたかどうか。そして、健康保険や傷害保険もぬかりなく、そこは博士も手伝って妻がすべて手続きを済ませたという。
「まあ、そんなことでお前は無職や。改造人間という立派な仕事に就かん限りは」
「勝手なこと言わないでくれ。私は暴力も戦争も大嫌いなんだ。喧嘩をしたことないどころか、テレビのボクシングも苦手なのに」
「勝手なんはどっちや。その研究とその処置に何十億かかったと思ってる。健康保険はきかんぞ」
「いや、それこそそっちのせいだろう。こっちはあんたのトレーラーに轢かれて死にかけたまま、意識なかっただけじゃないか」
博士はあきれたようにため息をついた。
「よし、ほな、ええこと教えたる。処置のついでに頭蓋骨の一番深いとこ、大脳辺縁系のあたりにマッチの頭ほどの爆弾を仕掛けてあんねん。無線でポン。鼻から煙が出るかどうかは知らんけど即死やで」
私か言葉を失った。従わなければ殺すということか。卑怯この上ない。
「当たり前やんけ。お前が逃げるくらいならともかく、寝返ったらどうする。改造人間が敵にまわっても、遠隔で即排除できるようにしとくんが常道やろ。わしは仮面ライダーに寝返られて苦労したショッカーみたいなアホとちゃうぞ」
それでも不満はある。そもそも自分は暴力に向いてない。小学校の時分から本当に喧嘩ひとつしたことがない。それどころかよくガキ大将にいじめられた泣いていた。今こうして改造してやったから戦えと言われても、暴力で物事を解決する発想が自分の中にはないのだ。スーパーマンのような力を得たからと言って戦場に放り込まれても、銃弾を浴びながら立ち尽くすだけだろう。暴力で敵兵を殺す度胸もたぶんない。遠距離の狙撃や爆撃なら実感も薄くてやってやれなくはないだろうが、自分の手や足で直接人を殺すなど、想像するだけで吐き気がする。
一カ月ほど循環器や消化器の検査とリハビリ、それと改造人間としての強化度テストや運動機能の訓練に費やして、私はやっと退院、というのか退トレーラーを果たして自宅に帰った。妻や息子とは毎日のように電話で話したとはいえ、住み慣れた街の風景はどこか安心するものがある。コロッケの匂いが漂うせせこましい西天下茶屋の商店街を南に抜けて、南津守のアパートに帰ると、良恵と翔平が二人そろって迎えてくれた。
「お父ちゃん!」翔平が飛びついてきた。
事故に遭う前は保育所の年長さんだったので、今は一年生のはずだ。確かに大きくなった気がする。私は重くなった息子を抱き上げて頬ずりした。
「あんた!」良恵も同じようにしがみついてきた。
私は泣いている妻の肩にも手をまわして嗚咽をこらえた。私の実感では一カ月と少々でも、家族にとっては一年ぶりだ。一年となるとやはり長かったのだろう。泣いて喜んでくれる妻がうれしかった。
「長いこと家を空けてすまなかった。もう大丈夫。どこへも行かない」
私がそう言うと二人の泣き声は一層大きくなった。
良恵とは十年前に南船場のスナックで知り合った。大阪万博が終わったばかりで、私がまだ大阪湾岸のカジノとミナミのパチスロの往復がうまく回って羽振りのよかったころだ。良恵は叔母の店を手伝っているだけという風情で、格好も昼間勤めている会社帰りのまま店に出ていることが多かった。遊ぶのは仕事エリアの外と決めていたので、よく乗り換える本町駅にほど近い良恵の店はちょうどよかった。週に三日は通ったと思う。おかげで良恵とはじきに仲良くなったのだが、結婚を約束したところで西日本クーデターが起きたのだった。
万博とカジノで弾みをつけた近畿2府4県が関西州として中央に反旗をひるがえしたのだ。当然制圧にかかった中央政府と紛争になり、関ヶ原以西は戦場と化した。各地の自衛隊は市民が巻き込まれる大きな紛争事態に限って出動したものの、基本静観を守っていた。自治体警察と市民からなる自警団の発展した義勇軍がどこの戦場でも前線に立った。中国製東南アジア製の兵器がものすごい勢いで西日本中に流れ込んできていた。
日本政府は滋賀の半ばまでを制圧したものの、三重和歌山が大阪南部を飲み込んで和泉紀州として独自勢力を打ち立てた。関西州は、泉州と和歌山を失いつつ、岡山香川徳島を押さえて大阪を中心に大きな勢力を築いて「大阪政府」と呼ばれるようになり、近畿地方は内戦状態に突入した。
私の住んでいた勝山のアパートは老朽住宅の密集地にあったため、第一次大国紛争の空爆で一帯とともに焼け野原になった。私が勝手に縄張りにしていたパチスロ店も軒並み焼けてしまったので、私は旧大阪市内中心部でありながら比較的戦火を免れた西成の南津守にある良恵のアパートに転がり込んだ。
私たちはほこりっぽい道路に囲まれた2LDKのアパートで、肩を寄せ合うように暮らした。私は玉出や天下茶屋のパチンコ屋を開拓しようとしたがうまくいかず、次第に酒を飲んでアパートでゴロゴロしている日が多くなった。良恵の方も昭和町の事務用品会社が焼けてしまい、私同様早々と無職になったが、鶴見橋商店街でスーパーのレジ打ちのパートを見つけてきた。
そのうちに翔平も生まれ、私は心入れ替えて自販機まわりの職を得た。私たちは絵にかいたように貧しくて幸せな生活を手に入れた。
一年ぶりに我が家で迎える夕食はすき焼きだった。霜降りの牛肉とはずいぶん張り込んだものだと思ったが、私の退院記念でもあり、退職金や見舞金の蓄えもまだあると良恵は言った。
数日酒を飲んでのんびり過ごしたが(博士の言う通り、酒を飲むとやっぱり酔うのだ。むしろありがたい)、私の体に異変が生じ始めた。意識を取り戻して以来、トレーラーでも気になっていた頭痛や体奥のかゆみ、幻肢痛ではないが身体が自分の身を離れて熱と痛みを持つような感じが強くなってきたのだ。
もちろん博士に相談した。ある時は江坂、ある時は瓢箪山と、場所の定まらないトレーラーにもいちいち赴いて検査を受けた。
「そんなもん原因なんか決まってるがな。強化樹脂か神経賦活化処置やろ。それでそんなことになるんや。副作用っちゅうやつやな。ただまあ、まともな検体は古今東西お前だけやよってに、ほんまの原因も発症の機序もわからん。対症療法しかないわ。死んだら解剖して細こう刻んで原因究明したるけど」
と、博士もにべもなかった。私は出してもらった頭痛薬や安定剤を飲んで、不快感や奇妙な感覚に耐えることしかできなかった。
「そうそう、お前で自信持ったから、こないだプラナリアで試してみたら、やっぱり全部死んでしもた。千匹いろいろ試して千匹全部。そう考えると、お前すごいな」
私は能天気な博士の笑顔を見て、ぶっ飛ばしたいと思いながらも落胆した。これでは安全な改造どころか、副作用の解明や治療方法の究明もまったく望めない。
それでも朝はパチンコとスロット、昼間は掃除や夕飯の支度なんかをしながら過ごし、夜と週末は翔平とビデオゲームやキャッチボールをして遊ぶという暮らしはなかなか快適だった。たまに良恵の財布からパチンコ代をくすねて大ゲンカになったり、そんな夜に限って念入りに良恵を抱いたり、酒と薬の相乗効果で廃人同様に寝込んだりしながら、数週間が瞬く間に過ぎて行った。
平穏な日々はじきに終わった。ある日私は博士からの電話に呼び出され、大阪城にある大阪政府軍の司令部に向かった。第四師団の苅田連隊に配属が決まったが、私に関しては真田山博士と苅田大佐の直下にあって二人の指示のみに従えばいいということだった。軍服や徽章一式も支給されたが、着用は自由で(むしろ博士の手になるスーツや装備を身に着けるように言われた)、基本的に自宅待機していればいいということになった。これにはさすがに同じ部隊の連中からブーイングが出たが、博士に言われて天守閣前の広場から天守の屋根に飛び上って見せるとみんなおとなしくなった。
その日のうちにデビュー戦を命じられた。東大阪にあるドラッグの地下工場の掃討と囚われているという子どもたちの救出だった。今里少佐率いる中隊で鴻池新田にある寝屋川沿いの工場を急襲した。とはいえ、私は格闘技の経験もない。人を殴ったことすらない。私は博士のお仕着せの真っ赤な防弾防火のスーツとヘルメットで、どうしていいのかわからずに右往左往していた。銃を向けられると全身が恐怖でこわばったが、何発か撃たれるうちに痛くもかゆくもないことがわかって、怖いとは思わなくなった。ただひたすら膝をがくがくさせながら戸惑っていた。
人を殴ると死ぬことはわかっていた。運び屋の軽トラは軽く叩けば横転したし、工場の頑丈な鉄扉は一発蹴るだけで鋼鉄の閂ごと広い工場の奥の方まで吹っ飛んだ。それでも自分の手で敵を殺す勇気は出なかった。
私に向かって自動小銃を撃ち続けていたのは目を丸くした少年兵だった。もう少し年かさだったらよかったのに。マンガに出てくる髭もじゃのテロリストみたいな奴ならよかったのに。私はそんなことを思いながら体に当たる銃弾の感触を確かめていた。
その少年兵の頭の上半分が血煙とともに消えた。子どもらしさを残した細い体がぱたりと倒れた。
「やっつけろ馬鹿!」
銃を構えた桑津軍曹が耳元で怒鳴ってきた。私は銃弾に倒れる敵味方の兵士を見て腹をくくった。工場内の重そうな機械を床から持ち上げて敵兵のいる場所に投げつけた。壁のレールを引きはがして半分目を閉じて振り回した。
私が実際に殺したのは十人にも満たなかったと思う。それでも広い工場を簡単に制圧できたし、逃げ遅れた警備の兵士や労働者は榎本少尉たちが拘束した。私はその場にうずくまって何度も吐いた。さらわれたという子どもたちの姿はなかった。先手を打って移動させたのか、すでにどこかへ売られたかということだった。日本の子どもたちは東南アジアでは高値で取引されているという。
博士から電話がかかるたびに、私は荒っぽい場所へ駆り出されることになった。断ると頭に仕掛けられた爆弾で殺されるかもしれないという恐れより、貯えが底をついてきたことが大きい。大阪政府軍の兵士は月給制だが、私は出番に応じた日当制で、それなりにもらえることになっていた。
その余の日は寝込んで過ごすことが多くなった。視界がかすむほどのひどい頭痛と皮膚の下や内臓の周りを脚のたくさんある芋虫が這い回るような不快感に耐えながら、酒と薬で朦朧として過ごした。自分の右手がなくなった妄想にかられて、見つけようと押入れのものを全部引きずり出した時は、我に返って震え上がった。我を失って、万が一にも妻や息子に暴力をふるったらと考えると想像するだけで叫び声が出た。
「お父ちゃん、だいじょうぶ?」翔平が心配げに顔を覗き込んでくる。
私は震えながら息子を抱き寄せた。一日よく遊んだらしい男の子の髪の匂いを吸い込むと、自然と涙が出た。
「また博士に相談したら。今度こそ改造人間やめさせてもらえませんか言うて」良恵も目に涙を浮かべていた。
言われなくても真田山博士には何度も会う。戦闘の前にも後にも。薬をもらいにもいくし、トレーラーで点滴を打ってもらったりもする。しかし博士の返事はいつも同じだった。
「細胞膜まで染み込んだ強化樹脂や神経賦活化物質を抜き取るのはもう無理やからな。対症療法しかない。どんな薬でも出したるから、辛いことがあったら全部言うねんぞ」
そして、頭痛薬、かゆみ止め、向精神薬とどんどん薬の量は増え、効果も強いものが使われるようになっていった。それでも、苦しみは増す一方だった。改造処置のせいか薬のせいかはわからないが、幻覚や幻聴も現れるようになった。幻覚は、私が殺した敵の兵士がはっきりと見えることもあるし、ぶよぶよした半透明の巨大なくずもちのようなものが、寝ている私に覆いかぶさってきたりもする。幻聴は私を責めるものが多い。「ひとごろし」「クズ野郎」「死んでしまえ」などが繰り返し聞こえるようになった。こないだ、幻聴に向かって「やかましい」と大声を出してしまい、怯えた顔でびくっと振り返った良恵に謝るような場面もあった。
それでも改造人間としての仕事には駆り出された。昨日も博士からの電話で、平林中尉の中隊といっしょに我孫子まで出かけた。大和川にかかるあびこ大橋に国軍の息のかかった半グレが出張ってきたのだ。橋の下には地下鉄が通る。
話はすぐ終わった。中途半端な練度の兵士が二十数人、得物は小火器ばかり、重機関銃は2丁のみ。全員張り飛ばした。八割がた死んだと思う。暴力に慣らされていく自分は自分でないような気がする。血まみれの自分を鏡に映して、私の戦闘スーツに鮮血の目立たない真っ赤を選んだ博士はやはり正解だったのかもしれないと思った。
相手方の火器は全部奪った。当面の監視に平林中隊が残って、周辺住民の宣撫と協力確保に努めることになった。それで大和川の上を旧大阪市内にかかる橋はすべて大阪政府が押さえたことになる。
大阪の勢力図が昔からずいぶん流動的なのは、やはりブラックマーケットを牛耳る勢力が離合集散を繰り返すことによる。今博士がトレーラーを停めている東住吉の駐車場も、表向きは山西記念病院の駐車場ではあるが、実態は逆巻組のシノギでありドラッグ取引の見本市となっている。
私はいつの間にか「パチモンマン」と呼ばれるようになっていた。博士が用意した赤いスーツのせいだ。ヘルメットも赤塗りなので、みんな「アイアンマンのパチモン」とか「スパイダーマンのパチモン」と呼ぶようになったのだ。心外である。糸を出したりミサイルを飛ばしたりはできないが、ニセ者のつもりはない。殴り合いだけなら負ける気はしない。それにしても「パチモンマン」はひどいと思う。大阪のマスコミの悪い趣味である。
精神が不安定になる一方で、身体がかゆくなる感触はますますひどくなってきた。かゆみは全身に広がって掻いてもこすっても治まらない。皮膚の表面というより肉がかゆい。目の裏がかゆい。脳みそがかゆい。体の中で無数の虫が蠢いている感じがする。熱いシャワーを浴びて博士にもらった薬を飲むと少しましになるように思う。すべての細胞に強化樹脂がしみ込んでいるのだからそんな副作用もあるんだろうとしか博士は言わないが、強い抗ヒスタミン剤と酒の相乗効果でいつもぼんやりしている。それでも、赤いスーツを着た自分が突然トイレから現れる幻覚に驚いたり、悪口ばかりの幻聴と怒鳴りあったりしていると、少しはしゃっきりとする。なんとか大声は良恵と翔平がいないときを心がけているが、隣人から薄気味悪いと苦情が出ているらしい。
アパートで布団にひとり寝転がって、酒と薬で輪郭の定まらないテレビを見ていたら、博士から電話がかかってきた。
「エロビデオ見てる暇あったら働けボケ」
見てないわ。私は博士に苦しみを訴えた。近頃は幻覚や幻聴もひどく、記憶もあいまいになる気がすること、認知症ではないか、精神的に病んでいるのではないか、時折強く死にたいと思うが大丈夫なのかなど、電話口で涙を流しながらまくしたてた。脳や神経の賦活化処置は本当に安全なのか、伝達物質をいじるとおかしくなるんじゃないか、目の前が暗くなるような不安に襲われて呼吸も苦しくなる。
「まあそれは気の毒な話やけど。また薬出したるから気にすんな」
博士も手の打ちようがないと半ば匙を投げていた。
「それで今度の仕事やけどな……」
博士の電話はいつもそうだ。私に人殺しを命じる。私は敵を殺すということに対する感覚が麻痺しはじめていた。楽しいと思わないが苦しいとも思わなくなりつつある。マフィアであろうと国軍であろうと、命じられれば、出かけて殺して帰ってくるだけだ。もちろん大阪政府軍の作戦行動のうちでの話なのだが、作戦全体が成功でも失敗でも気にならない。第六次関ヶ原衝突のような大きな紛争になると、私が中隊や大隊の一つや二つ叩いたところで、大勢に影響はない。あのときは私自身多くの戦車にてこずったし、大阪政府としてもずいぶんと戦線の後退を余儀なくされた。
博士の依頼がありがたいのは生活費だけではなく、戦闘前に限ってトレーラーで元気になる点滴を打ってもらえるところだ。闇ルートで入手した合成麻薬がたっぷり使われているらしいが、丸一日は十分頭がすっきりするし、体の不快感もメンタルの不調も雲散霧消するのだ。
和泉国の支援を得た宗教系テロ集団と生駒山系の南部で戦ったときなど絶好調もいいところだった。久しぶりの呼び出しで頭も気分もはっきりしたところへ、ちぎっては投げちぎっては投げ、スーパーマン並みの活躍ができた。この時はまたテレビ取材も入っており、ネットに投稿された私の動画はその日のうちに百万再生を超えた。
和泉国と大阪政府は、現在泉北丘陵をはさんで勢力的に拮抗しており、戦闘はほとんど行われていない。それで逆に商売をしにくくなった地下組織や反社会的勢力が、外国政府や多国籍企業など、さまざまな勢力と結びつきつつ散発的に小競り合いを繰り広げている。
大阪政府の圏域にある阪神山月会や信太山の自衛隊がケツ持ちをしているという噂のある紀泉シンジケート、琵琶湖畔まで迫っている国軍の情報源であり収入源でもある京阪連合など、大きなところはそれぞれ舞洲のカジノ、泉州臨海部の密輸、淀川以北のドラッグ産業を押さえており、互いに対立する振りをしながら持ちつ持たれつで利権を分け合っている。
闇の勢力の縄張り争いが安定すると、自然と三大勢力の紛争も沙汰止みになった。琵琶湖東岸や大阪泉北丘陵などの暫定的な国境線では依然として緊張はつづいたものの、領土や利権の拡大をめぐる大きな衝突は見られなくなった。市民の間にも休戦に対する歓迎ムードが広がり、いずれの勢力もますます動きづらくなっていった。
戦乱が収まれば私の出番はない。博士からの電話もめっきり少なくなり、「パチモンマンは今どこに」と関西ローカルのニュースで埋め草に使われる程度になってしまった。
私は体調もすぐれず、南津守のアパートでゴロゴロしていることが多くなった。幻覚や幻聴も軽快せず、博士にもらった薬を毎日手のひらに山盛りになるほど飲みながら苦しい日々を送っていた。
戦闘がなければ収入の道も絶える。政府軍は待機料名目で少しの現金をくれたが、貯えもすぐに底をついた。良恵はまたスーパーのレジ打ちのパートを始めることになった。
日曜日のことである。日が高くなるまで布団に入っていると、翔平が飛び乗ってきた。
「ごふ」
全力で腹に乗っかられて私は呻いた。命どころか身体にも別状ない中途半端な刺激が一番こたえるのだ。これが時速200キロのボーリングの球なら、肉体が即座に反応して全く平気なのだが。
「お父ちゃん、お腹空いた」
「腹減ったってお前、まだ」
時計を見ると十一時半になっていた。私はしぶしぶ布団から抜け出した。良恵はパートのはずだ。ちゃぶ台の上に一万円札を置いてくれていた。「これでお昼と晩ご飯のおかずをお願いします」というメモを添えて。ざわざわとするかゆみが体の奥にある。ぼりぼりと錠剤をかみ砕きながら、私は着替えて翔平と表に出た。小学一年生の手を引きながら、うどん屋にしようかファミレスにしようか、何を食べたいか翔平と相談しながら歩いた。
目の奥のかゆみをこらえて商店街を歩いていると、目の前の風景がぐにゃりと揺らいだ。アーケードが遠くから大蛇のようにのたうってきて、私は思わず翔平を抱えてしゃがみこんだ。
「どうしたんお父ちゃん」
顔を上げるとアーケードの揺れはほとんどおさまっていた。全体にうねうねと動く感じは残っているが、歩くぶんには別条ない。脳細胞にも強化樹脂は染み込んでいるらしいし、神経の反応速度を上げる薬剤が効いてるはずなので、まともに済むわけもない。脳にまで及んだ影響は近ごろますますひどくなっている気がする。
真夜中に死の恐怖に駆られてガタガタ震えることもある。しかし、これがよくなるものかどうか、症状が進むのかどうか、博士に聞いてみても、また「わかるかいなそんなもん」と言われるのがオチだろう。
「びっくりしたか。ちょっとふらっとしただけ。大丈夫大丈夫。うどん屋さんでも行くか」
「うん! ぼくカレーうどん!」
商店街の中ほどにあるなじみのうどん屋に入った。店の親父は私の顔を見るなり、いらっしゃいませより先に「顔色悪いな」と言った。私はきつねうどんとかやく飯のセットを頼んだ。半分ほど食べたところで箸をおいた。
家では様々な不快感と薬のせいでほぼぐったりとしたきりで、良恵とのやり取りも薄ぼんやりとしかできなくなってきた。食べたものを忘れるくらいならかまわないが、なぜか怒りっぽくなることもあり、これは家族や近隣の生命財産にかかわるので、私としてもそのままにはできなかった。とはいえ、病院へ行くわけにもいかず、私はやはり真田山博士を頼るしかなかった。戦場へ向かうときに打ってくれる点滴を頼もうとしたが、博士は首を縦に振らなかった。兵器並みに非常に高価な合成ドラッグだというのと、「毎日打ったらすぐ死ぬで」ということだった。
私は再びトレーラーに収容されて、点滴やコードでつながれた入院患者のようになった。
博士は軍本部の病院から何人もの医師を招き、本格的に様々な検査を施してくれた。
それでも原因はわからなかった。いや、原因ははっきりしている。細胞強化樹脂と神経賦活化処置だ。ただそれが、脳や神経の何にどう作用してどんな副作用を引き起こすのか、現在の症状を緩和する方法はあるのか、予後はどうなのか、何一つ明らかになることはなかった。脳内物質のバランスが悪い、ホルモンのバランスがおかしい、神経の交絡に異状がある、そんなことが分かっても原因不明では治療のしようもない。「お薬を出すので様子を見ましょう」の堂々巡りだ。
抑鬱も幻覚も一向に改善する気配はない。身体がバラバラになる幻覚をみて飛び起きることもあった。半日幻聴と口論していたこともある。暴れることだけは理性で押さえつけているが、それもいつまでもつかも自信がなくなってきた。だんだんと自分が自分でなくなるような気がしてくる。
家族の安全を慮って、起居はトレーラーでさせてもらえるように博士に頼んだ。まれに、いくぶん頭がすっきりとすることもあり、そんなときだけ良恵と翔平のいる南津守に出かけて二人の顔を見た。良恵はやさしいし翔平はかわいい。どうしてこんなことになったのか、別れぎわにはいつも涙が出た。
ある日、河内長野でチンピラ集団の小競り合いがあり一人の若者が殺された。原因はドラッグの仕入れのもめごととも、単なる女の取り合いとも言われた。そんな場合は若いチンピラをあごで使っているケツモチの暴力団が出てきて、たいてい現金や利権のやり取りで決着がつくのだが、殺された若者の叔父が和泉国の軍にいたことで話はややこしくなった。和泉の南河内方面軍が、相手方の不良のみならず、羽曳野まで出張ってきた阪神山月会の直系幹部を拉致して殺してしまったのだ。
おかげで、どちらの政府も引っ込みがつかなくなった。なにしろ軍の資金源はブラックマーケットに大きく頼る構造ができている。広域暴力団と軍は今や一蓮托生なのだ。とうとう局地的ではあったが大阪政府と和泉国の大きな紛争にまで発展した。
私は久しぶりに苅田連隊に加わり、南阪奈道路を挟んで和泉軍南河内方面軍の先遣隊とにらみ合った。南阪奈は和泉国の北部から奈良吉野方面へ出る重要な道路でもあり、神戸湾大阪湾から中京方面への密輸も拡大したい大阪政府としては、この衝突を機にこのルートを奪ってしまおうという思惑もあった。
「向こうは戦車も出してきた。ここは本気らしいな」
苅田大佐が独り言のように言った。ここは軍が接収した高台のビルの一室に構えた司令本部だ。遠くに不可解にねじれた形状の高い塔が見えた。
私は、いつもの真っ赤なスーツに身を包み、ソファの上で膝を抱えて座っていた。このビルの駐車場には博士のトレーラーが停まっている。作戦の段取りが決まったらすぐに戻るつもりだった。今日は特にひどい。体の震えと眩暈が止まらない。一秒でも早く戦闘用の点滴を打ってもらいたかった。
作戦はじきに決まった。私が先に突っ込んで戦車と装甲車をおしゃかにする。戦車は大きいので、砲身を曲げてひっくり返す程度で十分とのことだった。砲塔内に手榴弾を放り込んでもいいということで何個かもらった。装甲車も同様。あとは、政府軍の戦闘装甲車両と歩兵部隊が掃討するという手はずになった。普段の作戦とあまり変わらない。
「それじゃあとで。時間になったら勝手に突っ込むんで」
私は脂汗を悟られぬように、苅田大佐に手を振って8階の窓から飛び降りた。
おかしい。体は軽くなったが悪寒がおさまらない。博士の点滴はこんなもんじゃなかったはずだ。気分ももっと晴れるはず。こんなに重苦しい気持ちのままで戦うことなどなかった。久しぶりなので効くのが遅いのか。効き目の記憶の方がおかしいのか。
吐き気と悪寒に苛立って、私はいつになく乱暴に仕事をこなした。人間の限界を超えた速度で戦場を駆け抜けて、目についた敵兵はかわすこともせず片っ端からなぎ倒した。パンチで首が飛ぼうが腹に穴が開こうが知ったことではない。戦車は砲身をねじ曲げてハッチに手榴弾を放り込んだ。私の背後で待機していた苅田連隊の歩兵部隊が、両翼に展開して敵陣に襲い掛かった。
携行式の対戦車ミサイルを構えた歩兵が見えた。当たるわけがない。私は構わず近くの装甲車のタイヤを引っぺがして、そいつに投げつけた。ほぼ同時にミサイルが発射されるのが見えた。私は横跳びに駆けた。狙ったのなら当たらない。生身の私に熱線追尾はありえない。
ミサイルが私を直撃した。AIの画像認識によるロックオンか。開発中と聞いた射手の視線による追尾かもしれない。ミサイルは私の脇腹にあたって爆発した。スーツとヘルメットがバラバラになって吹っ飛んだ。それでも強化樹脂は役割を果たし、私自身は傷を負うことはなかった。が、大きな衝撃は私の脳を揺らして、私は一分近く意識を失った。
意識を取り戻した。私は全裸で兵士の背におぶさっていた。頭ががんがんする。私は悲鳴のような声を上げて、私を背負っている兵士の首を折った。いっしょに地面に倒れこんだ。吐き気がひどい。視界が歪んでいる。私は立ち上がって、ついてきていた若い兵士の腹に蹴りを入れた。若者は内臓をまき散らして遠くまで飛んで行った。私は雄叫びを上げた。敵兵だの味方だのどうでもよくなっていた。私は手当たり次第に兵士を殺し続け兵器をぶっ壊し続け建物を破壊し続け哄笑し続けた。全裸の私に銃弾が降り注いだ。
私は立ち止った。両手に掴んだ兵士の生首を見て我に返った。放り出した。なんだ、何をしているんだ私は。なぜ味方の兵士まで殺している。薬か薬が悪いのか。改造されてこんなことになるとは改造が悪いのか。気分が悪い。吐き気がする。視界が暗い。死ね殺せクズ野郎と罵る声が聞こえる。腹の中がかゆい。頭の中がかゆい。
不意に目の前に南津守のアパートの部屋が現れた。良恵が赤ん坊を抱いている。翔平だ。生まれたまだ数か月のころだ。翔平は楽しそうに笑い声をあげた。良恵も楽しそうに顔を覗き込んであやしている。幸せだったなあと思う。それを横から眺めているはずの私は今ここで全裸に返り血を浴びて立ち尽くしている。
背中にものすごい衝撃を受けた。装甲車の機関砲か。私は前方に突き飛ばされるように地面に倒れた。すかさず起き上がって跳躍した。まず装甲車をひっくり返して、周りの歩兵を全員殺した。殺さざるを得なかった。背中が痛い。頭はずっと痛い。顔と背中と胸の皮膚の下を虫が這い回っている。翔平が三歳のころは本当にかわいかった。小鳥のような声で笑い声をあげてはお父ちゃんお父ちゃんとまとわりついてきた。右手に現れた兵士の首をもいだ。その首を小銃を向けてきた兵士の顔に投げつけた。どちらの顔も西瓜のように爆ぜた。
私は破壊の限りを尽くした。敵味方なく死体の山を積み上げた。なんでこんなことをしている。なぜ私は殺している。一瞬正気が訪れると私は恐怖に捕らわれた。良恵助けてくれ。翔平翔平翔平。私は神ではなく妻と子の姿に助けを求めた。
しかしもう正気は訪れない。私は痛む頭と自分のものではない体を持て余して暴れ続けた。動くものは手当たり次第破壊した。立っている兵士はいなくなった。かゆいかゆかゆいつらいつらいつらい。死なない死なない私は死なない。殺す殺す殺す殺す南無阿弥陀仏殺す。私は叫び続けていた。自動車を投げ電柱を振り回しビルの壁に穴をあけて回った。
目の前に大きなトレーラーがあった。肩からぶち当たると運転席が吹き飛んだ。後部の大きなコンテナは見覚えのある気がしたが構わず蹴り飛ばした。くの字に折れて横倒しになった。もう一度蹴ると大きな穴が開いた。もう一度蹴ると二つにちぎれた。私は大声で笑った。
二つになったコンテナから白衣の老人がまろび出て来た。老人は小さなリモコンのようなものを持っていた。老人は憐れむような目で私を見て、リモコンの赤いボタンを押した。
その瞬間、視界が真っ暗に、鼻から煙が……
(了)
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