短編小説『E♭の夜想曲』Op.4
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8月25日
日曜日。私は朝早くから支度をしていた。着替えをして身だしなみを整えると、楽器ケースを持って家を出た。
私は友達と3人で病院へ向かった。
今日は部活の友達と病院でプチ演奏会を開くのだ。
おっさんにどうにか演奏を聴いてもらいたい。そう考えた私はフルートの華澄、クラリネットの舞莉に頼んで、一緒に木管三重奏を披露することになった。
思いつきで始めたものだったので練習期間は1週間、しかも部活が終わったあとに30分くらいしかなかった。
だが2人は文句ひとつ言わず練習に付き合ってくれた。むしろ積極的に案を出してくれた。本当に感謝しかない。
会場は病院の玄関隣にある広場。11時スタートの演奏会に向けて音出しをしていると、美江子さんに車椅子を押され、おっさんがやってきた。
「おはよう!」
「はじめまして!おはようございます!」
私たちは挨拶をした。
「おはよう。皆わざわざありがとう」
おっさんは見舞いに来る度に痩せ細っていた。声も最初に会った頃よりずいぶんか細くなっている。
そんな姿を見て、私は余計に良い演奏をしようと思った。
そして定刻の11時。一礼し、私の合図で演奏を始める。
曲はショパンのノクターン第2番。華澄の繊細で美しいフルートの主旋律に合わせ、私と舞莉が伴奏する。
選曲はもちろん私だ。2人は快諾してくれた。
この曲はピアノ講師である私の母が、小さい時から私に弾いて聴かせてくれた思い出の曲なのだ。
大切な人から貰った曲を、大切な人に聴かせたかった。
元々ピアノ曲のため、アンサンブル用に編曲するのは簡単ではなかった。しかしおっさんのためという気持ちが、私を駆り立てた。
演奏を聴いた病院の人たちが集まってきて、いつのまにかギャラリーがたくさん増えていた。お年寄りから小さな子まで、私たちの演奏をじっくりと聴いてくれていた。
演奏を終えると、たくさんの拍手が湧き起こった。美江子さんはまるで我が子の演奏を聴いたのかというくらい号泣していた。
観衆の真ん中で車椅子に乗ったおっさんは、目頭を抑えながら
「ありがとう...」
と小さい声で呟いていた。
拍手の音が大きかったが、私にはそれがはっきりと聞こえた。
正直、練習期間が短く、かつ難しい曲だったので、お世辞にも上手とは言えなかった。
しかしおっさんの初めて見た涙、たくさんの観衆、そして何より演奏会を成し遂げた充足感が、全てを物語っていた。
だがあまりに拍手が鳴り止まないので、私は嬉しくも何だか気恥ずかしかった。
8月31日
県大会まで残り2日となった今日も、変わらず部活帰りに病院へ向かった。
あれから演奏会の噂が病院内に広まっているようで、患者さんや看護師さんからよく挨拶されるようになっていた。
病室に入ると、いつもいる美江子さんは居らず、おっさん1人だけだった。
「やっほー、今日は1人なんだね」
「おう、買い出しに出かけてくれてるんだ」
私はベッド脇の椅子に腰掛けた。何を話すわけでもなく、しばらく沈黙が流れた。
すると、おっさんが口を開いた。
「奏、いつもありがとうな。奏に出会えて本当によかったよ」
「え、どうしたのw そんなこと言う柄じゃないじゃんw」
私は驚きつつこう言った。
「奏たちがしてくれた演奏会から、俺冗談じゃなく生きる勇気を貰ったんだ。よく音楽が救ってくれたなんて聞くが、あれは本当なんだなw」
私は少し考えてから、こう言った。
「私、絶対関東大会に出場する!難しいことだって分かってるけど、約束する!」
私はおっさんと指切りげんまんをした。
「うん、奏ならできる。俺も応援してる」
今まで誰かのために演奏したことなんてなかった。私の演奏が、誰かを救う力があるなんて知らなかった。
おっさんを救いたい。
様々な人の気持ちを乗せ、私は関東大会出場を目指し大きく意気込んだ。
9月2日
県大会当日。会場は前回の地区大会とは違い、緊張感に包まれていた。
そんな空気感に飲まれそうになりながら、私は集中力を高めていた。
大好きな先輩達のため、そしておっさんのため。
たくさんの期待を背負い、私たちはステージに立った。
大きな会場に、たくさんの観客が私たちを見つめる。照りつけるステージの照明が暑い。
私は一瞬怖気付いた。しかし、
「何ビビってんだ奏、そんなんじゃ勝てないぞw」
といつもの調子で私をおちょくる、おっさんの声が聞こえた気がした。
緊張しすぎて幻聴が聞こえ出したか。そう思うと何だか笑えてきた。次第に緊張はほぐれ、良い演奏ができていた。
無事に演奏が終わった。私は達成感に包まれていた。
我ながら良い演奏ができたと思う。先輩も、
「奏、あのパートめっちゃ良かったよ!」
と褒めてくれた。
やることはやった。あとは結果を待つだけ。
期待と不安を胸に、私たちは結果発表を待った。
いよいよ結果発表のとき。私たちは、なんと関東大会に出場が決まった!
決まったと同時に、私たちは抱き合って泣き出した。
私も皆と一緒に泣いた。本当に嬉しかった。
明日は朝イチでおっさんに伝えに行こう。
どんな反応するだろう?
そう思うとワクワクが止まらなかった。
to be continued…
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奏たちが演奏したショパンのノクターン(夜想曲)は、こちらの動画から。
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