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自閉症fuco:24年間子育てで、母として大変だったこと①


今回のひと言「ここまで全然あっという間ではなかった!」fuco母

家族全員癖が強く(笑)、毎日アクシデントも絶えないので、とりあえず笑っとこう!と日々生きています。悩みなさそうにみえますが、大変だったことめちゃくちゃあるので、今回はそのほんの一部を書いてみたいと思います。



まずは睡眠障害との戦い(体力的限界)

赤ちゃんの頃から既に寝なくて、ストレスがかかると一層寝ないです。あまりにも酷いので、幼児期に安定剤と睡眠薬が処方されました。しかし、薬が合わずショック状態(全身硬直と痙攣)になり、大学病院に搬送され入院しています。それ以来安定剤も睡眠薬も使用不可です

中でも記憶に残るのは小学校に上がる前の春休み。未経験の学校生活が不安すぎて、布団に横になることができなくなりました。眠すぎて気絶するように細切れでトータル2時間…えぇ、勿論昼寝もしません。

見た目非常に可愛らしかったのですが、
激しかったです、色々(笑)


大きくなってもストレスがあると、毎日夜中一時起きとか…母以外は全く気にしてないのは幸いですが、こちらは身がもたないです…騒ぐわけではないけど、カーテンを開けて回ったり、着替えて家中うろうろしてましたね。

その後夜間てんかん発作が治り、一人部屋で寝れるようになると画期的に楽になりました。起きているかもしれないけれど、それは彼女の睡眠のリズム。どちらかに合わさなくていいと思えるようにもなりました。
今は目が覚めていても、6時くらいまでは自分の布団の中でじっとしていてくれます(時計はないのに毎日同じ時間に自分で起きるのはさすが!)。

その後と今



妹の誕生(fuco:が変化を受け入れ、柔軟性が身につくまで)

3歳半離れて妹が生まれた時はほんっとに大変でした。まず赤ちゃんの泣き声が嫌で(しかも予測不可)、泣く度パニックを起こします。ワンオペ育児だったので、一人で二人お風呂にも入れるのですが、妹がちょっと声出したらお湯に沈めようとします。自分のシャンプーする間も目を開けてみとかないと、何が起こるかわからなかったです!

今までなら「帰ったらビデオ見ようか」など本人が好きなことで見通しを持たせていたけど、妹が寝てしまう、お腹を空かせた、常に変更に次ぐ変更が起こります。

全くワンオペでは無理だったので、fuco:が泣いても気にならないように(一人だと心折れるよね)友達のところで過ごしたり、児童館の先生や友達が妹を預かってくれたりしながら、その日その日を何とか過ごしました。

親の目が死んでいます(笑)

とはいえ、彼女は学習能力がとても高い人!3年半後に弟が生まれた時は全く動じなかったです。この大きな環境変化へ苦労しながら順応していった経験は、転校時も役に立ちました。ちなみに母は辛いこともすぐ忘れるので、第3子妊娠報告をした時、療育先の先生たちは明らかにひいてました(笑)。

その後
そして、その後妹は最強の同士となる!
弟入院多く、母不在が増え…



新しい土地に引っ越し、ゼロから始める(サポーター探し)

fuco:は他県も含め3回転居しています。自身も転勤族だったから耐えられましたが、小さな子供3人連れて引っ越し大変なんですよ!障害児と頻繁に入院する病弱児いると更に更に!!!

まずfuco:の療育やサービス、次に息子の入院施設がある病院を探す。転勤なのに夫の勤務地はいつも市外で遠かったですね(大人の事情は考慮できず)…

引っ越した後、「元気にしています」と
沢山の人たちに毎年、賀状も出してました


またこの障害児と病弱児って隙間があって、急に入院になると(いつも24時間付き添い)姉二人が留守番しないといけないし、留守番組の送迎をしてくれる人がいなくなります。

そこはママ友だったり、近所の人、学校や幼稚園の先生だったりが救世主。福祉サービスでは埋まらない人的資源ですね。そこをいつも引越しと同時に、早急に構築しなくてはいけなかったです。

fuco:の通学路の方や学校の職員室、保護者の方に彼女の取説みたいなのを作成して配りました。どうしても変わった行動をすることがあるし、本人は帰って親に報告できない。足りないところを見守ってくださる環境が必要なんですね。役員も意識的に沢山しました。もし、fuco:たちがいなかったら、私はそれほど社交的ではなかったかもしれません(笑)。

だから引越し二日前に息子が入院したのは、本当に伝説的大事件でした(加えるなら数日前に4人でピアノ発表会に出て、私が父母会会長をしていた卒園式も謝恩会もあった…)!!!

小学校入学式の日やっと酸素が外れた人に
「行きたかったね」って言ったら「そんなこともある」と励まされた母



fuco:と自分の価値観をチューニングしていく(私にとっての障害受容)


fuco:は自閉症で、自分が想像できない特性を持っているということを学習し、受け入れる。それは本当に時間がかかりました。

親の私がしたい、栄養があるものを食べさせる、暖かい布団で気持ちよく休む、友達とルールを守りながら楽しく遊ぶ、スポーツを楽しむ。そういうことを彼女はほとんど望まなかったと思います。

白ごはんは白ごはんで食べたいからカレーも混ぜご飯も嫌、寒くても掛ける布団が変わるのは嫌、友達がしている遊びと好きなことは全く違う、高いところに登ったりするのが好き、スポーツより一人でトランポリンで飛び跳ねていたい。

クリスマスの丸鶏もfuco:は嫌だっただろうな(笑)
妹や弟は喜んでいたけど


彼女が自分で言葉で伝えることはなかったし、彼女の感じ方を理解することは難しかったです。

彼女のことが本当にみえてきたのは、アートを始めてかもしれません。自由に描くことで視覚的にはっきり垣間見え、新しい経験からも療育先で教えられた「自閉症の」とも違う、「彼女自身」を少しずつ発見できました。

それから
「シカク描いて」と言ったらこう描いた!
ほー、そうくるか!!


とにもかくにも、長い間崖っぷちのぎりぎりでした。相手に怪我させて、菓子折り持ってお詫びに行くことも勿論何度もありました。

書いてみてやはり入りきらなかったので、次回2/20続編とします。気長にお読みください(笑)。

次回は妹弟とのバランス、
家族として大変だったこと書こうと思います



最後は最近のイベントの様子でお別れしましょう。いつもお読みいただき、ありがとうございます。

佐賀県障がい者芸術文化活動支援センター主催
「スター発掘プロジェクト」に出演
ウェルビーイング!な1日でした
ピアノと筋トレと歌の絶妙にコラボしない
3人のステージパフォーマンス(笑)
終了後の満足そうな人たち



#自閉症 #知的障害 #アート




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