自閉症fuco:両親のパートナーシップ変遷
障害のある子供を育てる時、同志である夫婦の関係性はとても重要。だから、今回はそのことについて書いてみようと思います。
ウチの夫は「イクメンで、家事ができて、家庭的」から程遠く、大恋愛もしてません(笑)。それでも結局は最善の人生になっていたんだなぁと最近は思うのです。
始まりは10代、偶然でしかない隣人愛から始まった
ヤツ(いつも通りこう呼びます)は大学の吹奏楽部同級生。私たち全国大会常連校だったので、学生生活は部活一色。毎日毎日練習で、ヤツとは学部も楽器も違ったのですが、アパートが近くてよく一緒に帰っていました。
やんちゃな先輩たちが、よく夜中に襲撃してくるんですよ、私のアパートに。「お前の部屋で今からスイカ割りする」「今から部屋で流し素麺するぞ」って(笑)…。
するとヤツに電話して「すぐ来て」と呼び出す。飲み会や練習で私が潰れる、ヤツが呼び出されて背負って帰る、そんな関係でした。家が近くなかったらお世話にならなかったはずで…(笑)。
卒業後は遠距離でしたが、毎日のように電話して、月一くらい新幹線に飛び乗って行き来。そんな時、私にアメリカ支社(音楽関係の映像制作会社)をつくるのでいかないかという、恐ろしい打診があり、泣きついて寿退社したのが出会ってから7年目です(笑)。
アメリカに行くか、ヤツと結婚するか、二択で人生決まったんですね。結局アメリカは未だ行ったことがありません(笑)。
セカンドステージは人類愛多めでスタート
結婚した頃、ヤツは何ヶ月単位の海外出張が多くて、私も実家に帰ったり、派遣社員したり、資格取得のスクールに通ったり気ままに過ごしてました。妊娠した時、実はまだヤツのことを名字で呼んでいて(笑)。子供ができて、二人はもう他人ではないんだと衝撃でしたね。
母になって人生スイッチが入った私と、変わらないヤツ
里帰り出産は一度もしなかったので、第一子fuco:を連れて退院する時、まず紙おむつの使い方がわからないし(産院は布おむつだった)、ナースコールできないと心底ビビりました。崖っぷちでやるしかないと思ったんでしょうね。私よ、おめでとう(笑)。
一方ヤツは父という役にシフトすることもなく、自分らしさを第一に(笑)その後も過ごされます。3人子供が生まれても貸漫画屋でおばさんに「兄ちゃん、クリスマスはバイトね?」て言われてたらしいですから。
また早々「自分の時間がないと無理」と訴えてきたので、いつも個室を確保し、帰宅後は一人テレビ観たり漫画みて就寝されています(こっちは夜泣きと喘息発作の子供達で発狂しそうでした)。一言でいうとヤツは家庭内で学生時代と変わりません。
ヤツの家事&育児スペックはこんな感じ
掃除はしなくても死なないと思ってて、料理は自分が食べたいもの限定でレパートリー数品。作るくらいなら断然買いに行くし、ジャンクフード大好き。
現在ヤツが担当しているのは、夜洗濯終わったのを(回すのは他の人)干す、(私がまとめた)玄関にあるゴミを出す、夜米を洗ってセットする、以上!
ちなみに息子の入院が多かったため、小学生低学年から次女にしっかり料理を教えてあり(何年も朝のご飯と味噌汁担当)、fuco:も洗濯干しやたたみ、お風呂掃除毎日するので、娘たちが圧勝です。
療育も通院も基本的に私一人で、3人を抱いておぶって手を引いて行って家事も全部していました。とはいえ、元々むいていないこともよくわかっているので、ヤツなりには家族生活頑張ってきたと思います。
家庭でのそんなヤツに我慢できない時、どうしたか
不満は不満ですよ、勿論!でも、いちいち腹をたてるエネルギーもないし(常に問題勃発なので)、彼自身を教育しようという余裕も全くないです。
よく私のことを頼り上手だと言っていただきますが、夫がそんな感じだと、友達や地域の人に全面的に頼らないとどうにもならないわけなんです。一言でいうと、自分の中で折り合いがつくくらいいい感じに諦めました。期待しすぎず、求めすぎない。
ただ感情はヤツに全て吐き出す。ヤツにだけはどんだけ毒も悪も吐き出してもいい。そういう重要任務を暗黒の子育て時代、彼は担っておりました(笑)。
お互いに不満はあるに決まっている!
とはいえ勿論彼にも不満がいっぱいあります。仕事の愚痴は早々聞かないと宣言したし、会社で働いて家族を養ってくれていることへの感謝も薄めですから。
私は私で子育てに奮闘しながら転勤についてまわり、ヤツもヤツなりに仕事を頑張ってきたと思うのです。結局お互いに必死で自分が自分がになりがち。
今初めて同じ土地に10年以上住み、子供たちが大きくなっていき、fuco:のことも相談するようになって、やっとここが相手に対して足りてなかったなぁ(まだ反省にまではいたってません…)と思ってきたような気がします。夫婦はお互い自分の鏡ですからね!
お互いの「こんなところがあって良かった」を考えてみた
fuco:が生まれて人生スイッチが入った私と、マイペースに自分を保ってきたヤツ。それぞれ不満を抱えつつ、何とか付き合い始めて33年、結婚26年経ち、一緒にいることは当たり前ではないと思う年齢になってきました。
もしお互いと結婚してなかったら、どんな人生だったか⁈
結局は「この子供達に出会えたからこれで良かった」以上に、私の人生はこれが最善だっただろうと思い至るので書き記しておきます。
これからのパートナーシップはどう向かっていくのか
私たちは重度の障害があるfuco:の親ですが、その前に夫婦でもあり、個人でもあります。子供達のために全てを優先せず、普通に夫婦としてもいい形でありたいし、まずはお互いが自分であることに真剣でいたいと思います。
元々ヤツは「自分の時間」を大事にする人、私は「誰かとの時間」に幸せを感じる人。それはどっちもアリ!今回noteを書くにあたって、何かができる「can」でなく、お互いがある「be」に価値をおき、ずっと一緒にいるのが、我が家の夫婦観で家族観だなと思いました。
それでも、今日も明日も大人気なく、家事分担や感謝の足りなさに飽きもせず喧嘩するでしょう(笑)。でもお互いにわかっているのです、きっとこれが心底ラッキーな人生だと。
今回も長文にお付き合いありがとうございました。最近のニュースと共に、次回は11/15fuco:誕生日にお会いいたしましょう!
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