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自閉症fuco:の感情的認知と精神性


知的障害があって言葉で自分のことを伝えるのが難しいと、「わからない人」と捉えられがちですが、彼女の家族となって全くそうではないことを知りました。

この2週間彼女は新しい場所に行ったり、大事な人との突然の別れがありましたが、そこから改めて感じた彼女の内面について今回は書いてみたいと思います。ある時彼女は私の大事なメンターの1人です!



fuco:の感情表現について

自閉症の人は感情を表現することが苦手な人もいて、彼女もそうでした。幼少期は嫌だと思ったらとんでもなく泣き喚いたり、暴れたり、いわゆるパニックを多発。成長していくと今度は、本当は困ってるのにいつもニコニコしているというように、適切に感情を表すことがとても難しかったです。

そのままの自分を認められる環境の中で、内面が成長し、少しずつ表情がつくられ、最近は周りに伝わる自己表現の一つになってきました。今では顔を見れば一目瞭然わかりやすい人です。

これは音楽を聴いてる時の至福顔
こちらは大食い番組を見て呆然顔

イタズラしている時は悪い笑みを浮かべますし(笑)、逆にしれっと知らん顔もするし、私がドカンと怒ると「怒った⁉︎」と何度も聞いて、最終的に「お母さん」と猫撫で声で機嫌をとってくるテクニックの持ち主。つまらない時はつまらない顔。



新しい場所への緊張、自己主張、信頼


今月は期間限定でいつもと違う場所に通っていた彼女。最初説明するとわかったわかったとばかりに気楽に頷いていましたが、数日前くらいからずいぶん緊張していました(この軽さはおそらく家系…)。笑顔がなくなり、たまに「負けないぞ」と呟いていたりしてましたが、初日理解しながら向かいます。

彼女にとって大きなチャレンジもあったので、私は帰宅して反動で荒れることも覚悟していましたが、まさかの!嫌なことは断固拒否!周りを巻き込まず静かに全拒否!無理だと思うことを無理だと伝えられたことは思ったよりずっと意思ある大人になってる、もっと普段からそう接しないとと感じましたね。

帰宅後もいつも通り食事もとれ、夜中に起きることもなく、ジムやプール、温泉に行き、絵を描いてピアノを弾いてました!完璧な素晴らしい自己コントロール!!(勿論先方の見事な対応の賜物ですが)

毎日ピアノを弾いていてそこははりきっていた!
できることのバリエーションあるのはいいこと


ちなみに小学校に上がる前の春休みは想像できない新生活が不安すぎて、1日にレーズン数粒しか食べれず、座ることも横たわることもできないくらい緊張が強く、全く寝れず泣き喚いていました…凄い成長でしょ!

周りの人が自分をどうみているかもよくわかる人なので信頼感をもって、納得いかないことは受け入れず過ごしていたようです(本人が納得できないことは強要したらダメは今回の教訓)。



大事な人との突然の別れに際しては

つい最近、転勤族の私たちにとって最長の14年間毎週お会いしていた人が、突然亡くなられるというショッキングなことがありました。彼女にも伝えて、予定を全部変更、お通夜に駆けつけました。

すべて彼女は理解しているので何も言いません。お通夜の最中もじっとして、静かに(あえていうと足を組みそうになると私におろされるくらい)していて、お顔を見にいくとちょっと見たくないというように後ろに下がろうとしました。私が背中をぐっと押すと顔をみて、ちょっと安心していました(苦しそうでなかったからかな)。

その後家族が涙涙で他の方と話す間も、優しい空気で静かにじっと一緒でした。それからも彼女は日々変わらず、凛とそして穏やかに過ごしています。

どんな時も穏やかで淡々とって、
とても難しいこと。そうありたい…



きっと彼女にない感情「後悔」


深い悲しみにつながっていくものの一つは「後悔」かもしれなぁと思うのです。もっとこうしてたらはとにかく尽きないです。でもある時fuco:は後悔してないだろうことに気づき、それから自分の気持ちと彼女の見方をずっと行ったり来たりさせています。

毎週会ってたんだから、具合が悪いことに気づいてもっと優しい言葉をかければよかったと、私はずっと後悔しています(→勘のいいfuco:は間違いなくいつもと違う動作から気づいていて、いつもよりちょっと相手の動作を待ったり、気を遣っていたはず。)

優しさはその人がどういう状況だから優しくするということではなく、常態としてあるべきものなのでしょう。

いつもその時々を
心のままに生きていらっしゃるfuco:師匠。
そして結構お優しい!


彼女はこうすれば良かったと気に病むことはなく、その時にしたいことをして、気づかなかったことまで後悔するような人ではありません。



「別れ」があることは最初から知っている


私は子供達の幼児期から見守ってもらっていたので、これからも一緒に、いろんなシーンを喜ぶつもりで勝手にいました。だから突然それが叶わなくなったことに、今回大いに動揺してしまいました(→fuco:は数度の引越しで別れを経験していて、それは彼女にとって死別と変わりないのかも)。

彼女は別れがあるということを心に刻んで、きっと生きているのだろうなと思いました。それはこの春、妹が一人暮らしを始めた時も全く動揺なく、自分の生活を淡々としていたことからも感じます。全てが変化していくことは当たり前で、だからこそ今を大事にすればいいのですね。

振り返ると体調が悪くなって会えなくなった時、少し彼女はざわついていました。寂しさや悲しさといった感情が彼女にないわけではありません。でも彼女の記憶力は凄まじいので、その人を忘れることはきっと一生ないでしょう。生身では会えなくても、日常のちょっとした断片からまた思い出しては再会するのでしょう。

私は別れを経験しながらすぐその感情を薄れさせてしまって、その時をその人を大事にできてないなぁと思ってしまいました。



「もっと」は本当に必要か


私のような凡人の後悔は本当に限りないです。毎週会っていたから、時々美味しいものいただいたらお裾分けしたりしていたのだけど、もっとわかちあえてたら良かったと更に思うのです。もっと喜んで欲しかったと思うのです。

でもfuco:は決して「もっと」と思わないから、果たしてその必要があるか考えるとないのですよ。相手の方は贈った時に喜んでくださったのですから、それでもういいのです。

この「もっと」はいつも曲者です。彼女は洋服を毎日自分で選ぶのですが(洋服破りが続いた時に、自分で決めたものを着たいのではと気づき任せた)、最近では2枚のTシャツのひたすらリピートですよ。かなりヨレヨレです(笑)。もっと欲しいと思わないですからね。これで十分なのです。

日常着はこれとあと一枚の
ローテーション!
写真は口周りの歯磨き粉を舐める朝の日課中


と思えば、私が夜にマニュキュア塗っていると塗ってくれと足をだしてくるので、ついでに塗っています。ヘアカットに行くと、眉も綺麗にカットしてもらっているのも不満がなさそうだし、特別な時にするメイクも嫌がりません。いつも自分にとって必要なものだけあればよく、不必要な「もっと」はいらないってこと。



見た目とのギャップがあるけれどわかる人

自分で言葉で何かを伝えられない、気になることには猛烈にこだわる(モノの配置など)、目的から行動しないのでチグハグなことをする、じっとできない場所がある。明らかに普通と違う彼女は一見何もわからなそうな人に見えますが、彼女なりの怒りも喜びといった感情も思考もちゃんとあります。

また出来事への理解度は実はかなり高いと思っていて、私は何でも彼女に説明するし、逐一細かく尋ねるし、今回のような時はメンターのようにさえ思っています

それは彼女が年齢や職業、利益、うわべの言葉に惑わされず、いつも等身大でよく見せようとしない、自分がしたいことを疎かにしない、故意に人を傷つけない。誰と一緒でもどこに行っても、合わせることはあっても変わらない人で最も信用できる人の一人だからです。

まぁ、起床時間が独特だとか(4時起き続行)、タグは全て取りたいので洋服がよくちぎられるとか、はみ出してしまうような言動は勿論多々ありますけど(笑)。

どうせまた寝るなら
もっと遅くまで寝ていただきたい…




誰だって見えないところが必ずあるということ

結局みんなそうだと思うのです。結婚してないから幸せでないとか寂しいということはないし、子供がいるからハッピーとばかり言えないだろうし、こういう職業だから裕福だとは限らないだろうし、持ってるから幸せでも持ってないから不幸せでもない、外から見える部分はいつもほんの一部なのですよね。自閉症で言葉でコミュニケーションがとれないfuco:だけど、細やかな感情も彼女独自の思考もあり、それは伝えあうこともできるのです。

誰にでもある見えないところをじっくりと想像すること。そんな謙虚さと細やかさをもって、誰もと関わり合えたら相手を本当に大事にできるんだろうと思います。が!何せいつまで経っても未熟者の私にはとてもとても難しいです(笑)。

重度の障害がある娘との暮らしは、「大変」でも「癒し」だけでもなく、時に心疲れそうな時にモノの見方を考えさせられたり、いつも大いに励みになってます。

とはいえ、最近も事件は満載。ゴミ箱から発見された紐は私のズボンの大事な紐だったし(即刻直すように言ったけど)、とある場所のトイレには発泡スチロールを持ち込み、粉砕した挙句流そうとしてつまらせました(私の人生にはまだまだ謝罪がつきものです)…知的障害者は純粋っていう言われ方も嫌いです(笑)。彼女はただ彼女なだけで。

そんなfuco:の妹に「ふうちゃんのすごいと思うところ」を聞いたので、そちらを発表しつつ今回はお別れです。まさか障害者の姉をこうみている人がいるなんてことも、想定外のみえないことでしょ(笑)。それではまた次回7/1お会いいたしましょう。


ジャジャン、No.1集中力!
こちらいいことにも悪いことにも使われます(笑)


ジャジャンNo.2 顔!
こういう顔になりたかったらしい(笑)


ジャジャンNo.3 色彩センス!
常識にとらわれないやつ



絶え間ない想定外、一つの出来事に続く豊かなグラデーション、360度からの柔軟な見えかた。彼女との日々はいつもただただ奥深いのです。

#自閉症 #アート #知的障害

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