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変わることも、変わらないことも

私は、受け入れられていなかったのだと思う。そんな話をしてみる。



私たちを不自由にも、自由にもした新型コロナウイルス。

それまでは隙を見ては海外に逃げ出していた私。前述は表現として間違っていなくて、毎度のこと、どこかで現実逃避の意味合いを兼ねて旅に出ていた。

2020年3月。連日のニュースは既にコロナで埋め尽くされていたころ、フライトを1日早めるまでして、私はマレーシアへ向かった。そして帰国後すぐ、世界各国はロックダウンした。

旅人の私は、私たちは、それから2年間…



私はいま、(なんとなんと!)2年4ヶ月ぶりのマレーシアだ。

変わったこと。当時はハタチになりたての大学2年生だったが、現在は会社員ということ。あのとき一緒に日本を飛び出してくれた恋人はもういないこと。少し怖がりになってしまったこと。

変わらないこと。相変わらず胃腸が弱いこと。私はどこまでいっても私だということ。Teh Tarikを美味しいと思うこと。きっと、価値観や感性も…

フィリピン・マニラを経由して、クアラルンプールに到着した。KLIA Ekspresに乗り、市街地へ向かう。何度も何度も乗った特急電車。車窓から見える景色が変わっていなくて、海外だとは思えない安心感だった。

電車から降りて、Masjid Jamek駅に向かうために乗り換える。クアラルンプールでもっとも古いモスクの名と同じ。切符の役割をもつトークンを購入しようと券(トークン)売機前まで来たが使えないことに気づき、駅員さんに聞くと「FREEだよ」と言われた。そんなわけないやろ。壊れてるのか?なにかのイベントなのか?…わからないけど考えるのをやめて、改札を素通りして電車に乗る。結局、降りる駅では困った顔をされた。

そんな日本ではなかなか遭遇しない出来事には、もはや当たり前のように出会うわけですが。



初日の夜は疲れきっていて、かつおそらくPMSの症状で、私はGrab(タクシー)に乗りながらぽろぽろ泣いてしまった。情緒が乱れたとき、原因にPMSが想起するようになったのは最近のことだ。今の彼が、私が感情に苦しんでいるときに出来事だけではなく心にも原因があるのではと、メンタルクリニックに連れていってくれたから。

Bukit Bintangという街(日本でいう渋谷や銀座のような立ち位置)で、私は前回の訪問から時間が経っていたことを実感した。多くの店が潰れていた。しつこく客引きしてきたパチモン屋のおっちゃんがいない。毎日毎日同じ場所に座っていた乞食(身体障がいをもった赤ちゃんを抱いた女性)がいない。ゆり子と近況報告し合ったカフェは薬局に替わっていて、ランチでよく訪れたKFC、その正面にあるみんな大好きDream Cafeは、もぬけの殻になっていた。…そっか、ロックダウンで観光客どころか近隣住民でさえここに来られなかったのだから当たり前か…(残っていてホッとした場所もたくさんありました。世界的なチェーン店はやっぱり強え〜)

色んな感情が渦巻いた。おっちゃんは、乞食たちは、店員さんは今ごろどうしているだろう?店を閉めることになったとき、どんな感情だっただろう。人ひとりいないBukit Bintangを想像できないや。そもそも、あの日から2年以上経っているのか。そっか、ゆり子や宏祥と一緒に来ることもないのか。

私は時間が経ったことを自覚していないような感覚。私の精神は取り残されているのではないか。変わらないマレーシアを期待していたんじゃないか。私は何度もここを訪れて、楽しかった思い出に戻ろうとしていたのか。…この街が変わったことを、私は受け入れられなかった。

そして一緒に街を巡った今の彼にとっては、なんの違和感もない景色。一度も来たことがないから当たり前だ。この絶望した気持ちを共有できる相手なら、迷いなく縋っていただろうな。それぞれが見ている景色は、こんなにも違うんだなと、そんなことも思った。

私にも変わったところはある。きっと色んな分野で成長している。ただ最近はマイナス方向の変化しか実感にないから、自信をもってこれと言えるものはないけれど。

コロナ禍はなにも悪いことばかりじゃなかった。マレーシアで再会した友人によると数百年の歴史をもつ飲食店が倒れてしまったというような事例がいくつもあるそうだが、だからといって国じゅうがお葬式モードというわけではない。日本だって、志村けんが亡くなっても(そりゃ悲しいけれど)前を向いている。マレーシアも、きっとほかの国だって前を向いている。

前を向けないのは私。Bukit Bintangの変化も、変わらないことを期待した変わらない私も、受け入れることのできない事実ではなく、受け入れられない私がいるだけ。



まあこれが久しぶりのマレーシア初日に(私の脳内で)起こったこと。マレーシアでコロナ禍を過ごした友人に「悲しいねー」って共感してもらえて回復したこともあり、2日目からは元気にやっております。ありがとう。ハイパー感性敏感パーソンなので、いちいち感動したり絶望したり脳内がうるせえです。(結局私がADHDなのかHSPなのか両刀使いなのかわからないですが、特性が生きづらさをもたらしているのはたしかで、逆に魅力を感じてくれる人もいるのでトータルで感謝できるような生き方をするね。)

私にとって海外は半分逃げ場所。もう半分は劣等感から逃げるため。←これだと100%逃げだね(笑)もちろん一期一会に心癒されたり、好奇心を刺激されることが楽しかったりと、私と海外の、旅の関係性は悪いものではない。けれど2年4ヶ月ぶりの海外、念願のマレーシアで気づいた。心が壊れないスピードで、しっかりと現実に向き合っていく必要はありそうだと。今まで目を背けてきたこと、正論っぽく言い訳してきたことを少しずつ。病院へ行くことが、人と会うことや離れることが解決策なら、天邪鬼をなだめて実行していこう。そんなことを思わされたマレーシア旅(前半)でした。



雑にまとめると、やっぱ広い世界で生きると俯瞰的に物事考えられてサイコー!これからも色んな国に行きたい!(でも年齢を重ねるごとに無謀なことができなくなるから、治安の悪い地域のバックパッカーはもうできないかも!しっかり課金できるようになりたい!)でした。頻繁にバグる感情を早くコントロールできるようになって、健康的な旅を続けられるように現実活動もがんばろ〜〜

2022年7月5日

ありがとうございます♡