人間を好きでいさせてくれる人
また感動した。
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私には、早く眠ってしまいたい夜と、眠りたくない夜がある。
今日は眠れない夜。
眠れない夜にも2種類あって、
明日(未来)が来るのがどうしても嫌で、時が進むことを食い止められないと分かりながら、1秒でも今日にとどまっていたい夜。
もう一方は、未来にワクワクして、時が進むのがもったいなくて、興奮して眠れない夜。
今日は久しぶりに後者で、だからこうして文章を書いている。
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「忙しい」は、「心」を「亡」くすと書く。
忙しく感じる時って、実際手足は動いていない時間のほうが多くて、
そして抱える不安や焦りも、漠然としていることのほうが多い。
処理しきれない「嫌」という感情が、心を亡くして、忙しくさせている。
「忙しい」が心を亡くすと書く、ということを知る前から、なんとなく近い定義で言葉を理解していた私は、
「まって今忙しい」「忙しいから今度でいい?」
と言われると、「あ~この人、今は自分に余裕がないんだな」と解釈していた。
私は逃げ性というか回避癖があって、
ある時から余裕を0にすることができなくなった。
(できなくなったという表現をするのは、(良い意味で)自分を意図せず倒れる寸前まで追い込みたい時があるためなので、気にしないでほしいのだけど。できるようになりたみ。)
だからいつでも「時間あるよ」「いつでも言ってよ」が言える余白を残してある(残っている)。
余白がないと、なにも入れられない(入ってこない)というのはほんとうにそうで、
あなたは今、満たされていない(なにかが足りない)からがんばりたいのに、足りないのに、ほしいものを入れる気がない状態なのである。
「忙しい」とは、「心」を「亡」くすこと。
あなたのほしいものは、頭ではなく心がほしがっているものなんじゃない?
分からない、今は心を亡くすべき時期なのかもしれない。
ただ亡くしてから時間が経ち過ぎて、取り戻すべき心の姿かたちを永遠に忘れてしまわないように、ね。
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「私は人間が好きなんだなあ」と、そんな気持ちを教えてくれた人がいる。
「人間のことが好きかどうか」
一年前にこう問われるまで、そんなこと考えたことがなかったし、そういう概念があるという発想にすら至らなかった。
それ自体が、私が人間のことが好きであることの、一番の証拠だと思う。
そして今は、野菜や魚、高いところみたいに、人間が苦手ということもあるよな、と思っている。
ただ私は最近までしばらく、人を心から信じようと思えなかった。
「想い」の期限は一瞬(私もそういう時ある)、結局自分が一番かわいくて(それはそう)、言ったことを簡単に無かったことにできるし、ためらいもなく簡単に嘘をつく(私もそう)・・・
そんな人とは一秒でも早く離れるべきで、ただそれだけである。
逆に、人間のおもしろみや、奥深さ、心が通じ合う瞬間を教えてくれる人もいて、私はそんな人に出会った。
「気を使わなくて済む」状態というのは、お互いの気遣いでできていると思う。
長らく執着していた人にも、私はこれでもかというほど気を「使って」いた。
自分から「気」が離れる瞬間は一秒もなくて、私は心を許していたのか、そうではなかったのか、今となっては分からない。
自然と人生が交わり続ける人は、相手に、「自分自身の「気」」を感じさせない人だと思う。
お互いが心地良く気を遣い、溶けるようになめらかな時間を過ごした。
そして私は、またちゃんと、安心して人間を好きだと言えるようになった。
穏やかに救ってくれた、人間を好きでいさせてくれる人。
いとも簡単に実家のような安心感を、一緒につくれる人。
分からないけど、きっと他人の痛みが分かる人なんだろうな、と勝手に解釈させてもらっている。
穏やかに、そっと私を救ってくれて、ありがとうございます。
感謝できる人になるんじゃなくて、感謝したいと思える人がいることが大事なんだと思う。
まあ、私の感謝への感度はそもそも高いんだけどね。
2021年8月21日
ありがとうございます♡