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【小説】吉田君のレモンティー


まえがき

 この短い小説は、大学時代に「創作指導」という授業のレポートとして書き、今回少し加筆修正したものです。授業を担当していたのは芥川賞作家の三田誠広まさひろ先生でした。僕は当時、恥ずかしながら石川梨華ちゃんに恋をしていて、将来は芥川賞をとって梨華ちゃんと結婚したいと思っていました。「芥川賞作家に創作指導をしてもらえるなんて願ったり叶ったりだ!」と思った僕は、迷わずこの授業を受けることにしました。三田先生はとても分かりやすく小説の書き方を教えてくれ、僕はその教えに従ってこの小説を書きました。すると三田先生はこの小説をわりと褒めてくれて、評価も優だったので、僕は有頂天になりました。しかしその後、小説を書くことはほどんどなく、はてなダイアリーにしょうもない日記ばかり書いているうちに、梨華ちゃんはプロ野球選手と結婚してしまいました。それでは、もしお時間があったらお読みになってください。

吉田君のレモンティー

 目を覚ますと、窓の外にオレンジ色の空が見えた。時計の針は四時半を指している。
 部屋の外からせわしない足音が聞こえる。それはだんだん近づいてきて、ノックの音がするどく二回響いた。僕は返事をせずに、ふとんにくるまったまま壁を向いて目を閉じた。ドアの開く音がした。
 「ツヨシ、ねえツヨシ、今日授業あるんでしょう。起きなさいよ。サボりとか、そんなのは許さないよ。今年こそは卒業しないとダメなんだからね。ねえ起きなさいよ。いつまで寝てんのよ。もう四時半よ。朝じゃないわよ、夕方の四時よ」
 いら立ったような声で母親が言った。
 「ああ、行くよ行くよ。もう起きてるよ」と僕は、壁を向いて目を閉じたまま、暗い声で答えた。
 「起きてないじゃないの。見るからに寝てるじゃないの」
 「起きてるって言ってるじゃん。こうやって喋ってるのが何よりの証拠じゃん」
 「あんた屁理屈ばっかり言うのね。私の中では、そういうのは起きてるって言わないの。ちゃんと文字通りに起き上がりなさいよ。そうじゃないと私は認めない」
 「ああそう。わかったよ、起き上がればいいんでしょう」
 僕はベッドの上で上半身を起こし、横の壁によりかかった。
 「ほら起きたよ。立派に起きたよ」
 「ちょっとあんた、ねえツヨシ、目を開けなさいよ。体だけ起こしてもダメなのよ。目を開いて光を取り入れなさい。そして現実を直視しなさい」
 しぶしぶ目を開くと、前方の壁には今をときめくアイドルのポスターがあった。
 「おはよう、朝だね」と僕は話しかけた。
 「いったい誰に話しかけているのよ。そこに居るのはアイドルの花川リコでしょうが。現実を直視しなさいってさっきから言っているでしょう」
 呆れかえったような声で母親が言った。
 僕は首を右にひねって、声のする方を見やった。そこには果たして現実があった。非常にショッキングな現実が。目じりには何本もの波線が走っており、口はみっともなく歪んでいて、顔中に黒いものが点々としている。母親の顔だった。
 「現実って、いやなものだね」母親の顔から視線をそらせて言った。
 「なによそれ。どういう意味よ」母親が僕の顔をのぞきこむようにして言った。
 「別に、なんでもないよ。顔が近いよ」
 「あなたが目をそらすからでしょう。ちゃんと私の顔を見て話しなさいよ」
 「……さてと、着替えるから出て行ってよ。もうすっかり目が覚めちゃったよ。すごく不愉快な目覚めだよ」
 「なによそれ。どういう意味よ」
 「そのまんまの意味だよ」
 母親は顔をむっとさせ、その老齢に似合わない力強い足どりで部屋から出て行った。
 一人になった僕は、花川リコのポスターをしみじみと眺めた。とても端正な顔立ちをしている。「こんな子が彼女だったらいいなあ」と思った。「この子が彼女だったら、現実はどんなに素敵になることだろう」
 服を脱いで、下着も脱いで、部屋のすみにある姿見の前で気をつけをしてみた。僕の体は恐ろしいくらいに痩せていた。毎日だんだん肉が減っていっているように思われた。肋骨が浮き出ており、ウエストは、花川リコよりも細かった。こんな体を見たら、ありとあらゆる女の子が気持ち悪がるんだろうなあ、と思った。
 うんざりした気持ちになって、服を着よう、と思った。部屋のすみには服が山と積んである。僕はその山の中腹に手をつっこみ、黒いTシャツをひっぱり出した。一枚出したら、その上下にあったものも何枚か同時に出てきた。匂いをかいでみると、どれも生乾きの不快な臭いがする。僕は一番ましだと思える匂いのTシャツを選んで着た。黒いTシャツで、胸には太い赤字で「THINK」と書いてある。
 「考えろ。お前らもっと考えろと、そういうことを主張しながら僕は歩くのだ。僕の分まで考えろ。僕は何も考えないから。考えたくないから。めんどうくさいからそういうの。僕の将来の仕事から結婚相手から何から全部考えろ、お前らが。いや、結婚相手だけは自分で考える。というか考えてある。花川リコだ。だからお前らはどうやったら僕が花川リコと結婚できるかを考えろ」と僕は考えた。
 僕は「THINKしろ、僕のかわりに」などと心の中で呟きながら、パンツとジーパンをはき、歯を磨いて顔を洗った。
 親の寝室の前を通るとき、ベッドに寝そべっている母親の姿が見えた。こちらに背を向けてテレビを観ている。画面の中では巷で人気の韓流スターが大げさな身振りで日本語を話している。僕は母親には声をかけず、できるだけ音を立てずに家を出た。

 大学へ向かう電車の中で、ドストエフスキーの『罪と罰』を読む。隣には若いお姉さんがいる。いい匂いがする。顔を見たいなあと思うけれど、目が合ったら気まずくなるので見ない。『罪と罰』の文庫本をめいっぱい開き、「どうだい、僕はいま『罪と罰』を読んでいるんだよ、ドストエフスキーだ、すごく知的でしょう」と心の中で語りかけた。ラスコーリニコフが誰かの頭を叩き割ったりしていたけど、内容はほとんど頭に入ってこなかった。視界の端っこにうつった隣のお姉さんにばかり意識を集中していた。
 目の前に、白髪のおばあさんが立っているのに気付いた。僕は『罪と罰』を閉じ、寝たふりをした。そうしたら、良い匂いのする隣のお姉さんが「あの、どうぞ」と言ってさっと立ち上がった。僕は薄目をあけてお姉さんを盗み見た。白髪のおばあさんは「あら、どうもありがとうー」と語尾を延ばして僕の隣に座った。いい匂いは薄らぎ、しけった煎餅のような匂いが漂ってきた。お姉さんは僕の目の前に立ってつり革を掴んでいる。僕は俯いたまま目をつむっている。右脇から一筋の冷たい汗が流れ、脇腹を通過していった。目の前に立つお姉さんの視線が僕の頭頂部に突き刺さっているような気がして、頭がむずむずした。

 電車が高田馬場駅のホームについて、階段を降りる。おじさんの禿げ頭が目の前をゆらゆらするのをぼんやり見ていたら、そんなつもりはなかったのに一段抜かしをしてしまった。僕はいささかバランスを崩したものの、なんとか転げ落ちずにすんだ。もし転ぶとしたら前方に倒れるわけで、禿げのおじさんを巻き添えにしていたことだろう。そしておじさんの前の人も巻き添えにして、僕らは雪だるまのようにだんだん大きいカタマリになって、階段を転がっていっただろう。しかし、そんなことにはならなかった。僕は、握り締めていた拳をゆるめた。
 改札機を抜けようとすると、威嚇的な電子音が鳴って、唐突に扉がしまった。二歩後ずさりして、戻ってきた切符を手にとった。切符には使用済みの銀紙みたいに、無数のしわができていた。後ろを振り向いたら、背の低い小太りのサラリーマンが、なんだおまえ流れをとめるなよ、とでも言いたげな表情で僕を見ていた。顔面や髪の毛が油で輝いている。僕はささやくように「すいません」と言い、切符のしわを伸ばして、もう一度、改札を抜けようと試みる。そしてまたしても電子音が鳴り響いた。さっきよりも大きな音であるように感じられた。体が猛烈に熱くなった。体中にホッカイロを貼り付けられているようだった。うしろのサラリーマンは実に不快そうな顔で「チッ」と舌をならして、別の改札機械へ足を向けた。僕は再び戻ってきた切符を抜きとり、駅員のいる端っこへ行って、改札を抜けた。

 地下鉄に乗りかえようと思い、階段を下りる。列車に乗り、地下鉄に揺られながら窓の外を見る。闇の中に僕の姿が映っている。闇の中の僕はつり革を持ちながらゆらゆら揺れていた。早稲田駅について改札に向かおうとすると、後ろから人の波が押し寄せてきた。僕は押し流されるようにして電車から降り、流れを乱さないように注意しながら改札へ向かった。機械に切符を通す時に、少し手が震えた。心臓が不自然に肥大しているような気がした。今度は電子音は無く、扉に遮られることもなく、川の流れのように改札を通りぬけることができた。美空ひばりのゴージャスな顔が頭に浮かんできた。『川の流れのように』のメロディーとともに。僕はできるだけ小さな声で、その曲を歌ったが、あーあー川の流れのよーうにーという部分しか歌うことができなかった。「それに続く歌詞はなんだったろうか。とめどなく、だったろうか」などと考えながら階段を上った。

 地上に出ると、暮れようとする太陽の光が僕の目を刺した。「こんな時間なのにまだ日が残っているのか。もう初夏なんだなあ」と思う。「初夏にはうんざりする。というか季節が巡ること自体、うんざりする。季節というものが存在しない世界に住みたい。空調が効いた狭い押入れの中に閉じ込められたい。だけど食事はきちんと出てくるんだ。毎日決まった時間に押入れの中にエビピラフが置かれるんだ。そして僕のとなりにはとても可愛い花川リコがいる。花川リコは何もしゃべらず、僕も何もしゃべらないんだ。うすぼんやりとした明るみの中で二人向き合って、エビピラフを食するんだ。いいなあ、そんなのって。途方もない金持ちになったらそういう生活も実現できるんだろうか。どうやったら金持ちになれるんだろうか」

 授業が始まる前に、うす暗い喫煙所のベンチで煙草を吸っていると、左隣のベンチに座っている三人の男の会話が耳に入ってきた。
 「だからぁ、俺の本領は創作活動にあるのであってさ、そこんとこちゃんとわかってほしいわけ」と真ん中の男が言った。髪を明るい茶色に染めていて、今流行りの細いめがねをかけている。
 「そうなんだ、で、どんな創作活動をしているんだい君はさ」と奥にいる男が言った。髪は黒い。鼻が妙に高くて、鋭くとんがっている。
 「創作って言ったら、創作だろうよお前よ」と茶髪。
 「ああそうか、君は捜索が得意なのか。で、いったい誰を捜索しているんだい今は」と、鼻とんがり男。
 「捜索じゃねえよ、創作だよお前よ、わざと間違えただろ、お前よ」と茶髪。
 「わざとじゃないよ。じゃあもう一度訊くけれども、どんな創作をしているんだい君は。絵画とか、小説とか、音楽とか、いろいろあるじゃないか、創作と言ってもね」
 「詩だね、言ってみれば。広義の詩だよね。というか俺の場合、詩以上の詩っていうかさ、枠をはみ出しちゃってるわけよ、不可避的に。才能があふれちゃってるから。でもまあ、何に一番近いかって言ったら、詩だよね」
 真ん中の男はそう言って茶色い髪をかきあげ、おでこが充分に露出したところで手を固定した。男はちらっと僕の方を見た。目が合いそうになったので僕は視線を煙草の火先にうつした。
 「詩。高橋君はさあ、どういう詩をかくんだい」と、奥にいるとんがり鼻男。
 「おいお前、俺のこと高橋君って呼ぶのやめろっていつも言ってんだろ。腹が立つんだよ」と、茶髪がせわしなく前髪に指を通しながら言う。
 「ああ、悪かった。つい。でもね、君のことを『モゾリゲフ』なんて言うのは恥ずかしいんだよね」
 「だから百歩譲って、『君』って呼んでくれればいいって言ってるだろうが。高橋なんて呼ぶなよ、絶対だぞ」と茶髪。
 「わかったよ、高橋君だなんて呼び方は、金輪際しないよ。そう怒らないでくれよ。吉田君が怯えているじゃないか、なあ吉田君、こいつ怖いよなあ」と、とんがり鼻男がベンチから身を乗り出して言う。
 吉田君と呼ばれた男は僕から見てベンチの一番手前に座っていた。手にはジュースの缶を持っている。それはレモンティーであった。吉田君は返事をするでもなく、レモンティーを一口飲んで、右耳のあたりに持っていき、小刻みに振る。残りを確かめているように見えた。液体の揺れる音をただ聞いているだけかもしれないが。とんがり鼻と茶髪は吉田君のそんな様子を黙って見つめていた。ちゃぷちゃぷという音だけが三秒ほど喫煙所に鳴り響いたあと、とんがり鼻と茶髪はまたしゃべり始めた。
 「で、君はどんな詩を書くんだい」と鼻が再び問う。
 茶髪の男は、細い黒縁めがねを押し上げながら答える。
 「まあ一言で言えば、絶望と孤独、みたいな感じだよね」
 「へえ、かっこいいね。いまここで、どんなもんか聞かせてくれないかな」
 「え、ここで披露しろっていうのかよ、お前」
 「ああ、そうだよ」
 「それはちょっとなあ」
 「恥ずかしいのかい」
 「恥ずかしくはない。聞かせて恥ずかしいものは書いていない」
 「じゃあ聞かせてくれないかな」
 「わかったよ」
 茶髪細めがねは「あ、あー」と発声練習らしきことをして、おもむろに喋りだした。「俺の絶望、それは孤独。俺の孤独、それは絶望。それは夜空に浮かんだ、一つの丸い月。言ってみれば、絶望という闇に囲まれた孤独な満月。それはとりもなおさず俺。俺は月であり月は俺であり、あてどなくさまよい歩く光かな」
 最後だけ、五七五になっていた。茶髪は、煙草を取り出して火をつけ、真っ白い煙を大量に吐き出した。
 「どうだ?」
 そう問われた鼻男は顔をゆがませて煙を手で払いのけながら、「……ああ、悪くないと思うよ」と答えた。
 「それだけ? もっと詳しい感想を聞かせてくれないもんかな。せっかく披露したわけだし」と、茶髪の男が、煙のかたまりを小刻みに吐き出しながら言う。
 「なんていうのかな、一言で言えば、君がさっき言ったのと同じように、絶望と孤独、かな」セリフを細かく区切って、鼻デカ兄さんが言った。
 「そうだろ、やっぱ。俺の永遠のテーマっていうのが、絶望と孤独だからさあ。まあこんな感じの、詩みたいなものを、夜な夜な書き綴っているわけよ」
 「やっぱり、あれなのかな、きみの夜な夜な書き綴っているという詩は、さっきみたいな感じなのかな全部」
 「基本的にはそうね。さっきみたいな感じ。それぞれアプローチは違うけどね。でも目指すところはだいたい一緒なんだよ」
 「他の詩は、どんなアプローチをしているんだい」
 「まあ女をからめたりね。恋愛には孤独と絶望がつきものだからさ」
 「それもちょっと聞かせてもらえないかな。気になるから」
 「あ、気になっちゃう? やっぱりね。だから内容を教えたくなかったんだよなあ。キリがなくなっちゃうからさあ」
 「いいから、聞かせてよ」
 「しょうがねえなあお前、こんな感じだよ」
 茶髪は煙草を吸い、煙をたくさん吐き出してから、またゆっくりと喋りだす。
 「君のいない夜。ああ、もう僕の希望は絶えてしまったのか。ものさびしい夜だ。君のいない夜。排気ガスの香りがただよってくる暗い部屋。だんだんに肺がむしばまれていく。孤独なる絶望。君のいない夜」
 「タイトルは何て言うんだい」
 「君のいない夜、だよ。感想は?」
 「うーん、そうだな、孤独と絶望って感じだね」
 「じつによく伝わってくるだろ、テーマが。なんだか自信がついてきちゃったな俺。いや、もともと自信はあるんだけども。なあ、吉田君はどうだ、聞いてただろ?」
 茶髪の男はそう言って、右隣にいる吉田君を見た。
 吉田君は、天を仰ぐようにしてレモンティーを飲んでいた。茶髪と鼻は吉田君の方を向いたまま黙っている。吉田君はレモンティーの缶を耳もとで振った。こんどは液体の跳ねる音は聞こえてこなかった。吉田君は缶を振り続ける。茶髪と鼻は沈黙を保ったままそんな吉田君を見つめている。僕はそんな三人を興味深く横目で見つめていた。

 僕は何だか授業に出る気がうせてしまって、大学の構内をぶらぶらし、それに疲れると図書館に入った。
 細長いテーブルの席についた。女の子が正面に座っていることに気が付いた。僕はその女の子を観察することにした。女の子は僕と向き合って座っていて、分厚い学術書に目を落としている。たまに苛立たしげに髪を手でなでつけたり眉間を指でつまんだりする。じっと見つめていたら、不意に女の子が顔を上げた。バチンと目が合った。僕はあわてて目を伏せ、文庫本の『罪と罰』を読むふりをした。それから、背表紙のタイトルが相手に見えるようにゆっくりと本を立てた。おそるおそる目を上げて女の子を見ると、彼女は手元の本に目を戻していた。「この子はかわいい」と思った。目は細いけれども二重で、その目には、人の心臓を強烈にわしづかみにするような力があった。花川リコに似ていないこともなかった。「この子とどうにかなれるものなら、ぜひなってみたい」と思った。しかし、「そのために色々な努力をするのは面倒くさいなあ」と思った。僕は、向かいの席のかわいい女の子をチラリと見てから、席を立って図書館を出た。

 外はだいぶ暗くなっていた。もう帰ろう、と思った。僕は校門へ向かって歩いていく。喫煙所で左隣のベンチに座っていた例の三人組と、スロープですれ違った。茶髪の男と、鼻のとんがっている男が、なにやら話をしている。また詩の話だろうか。二人から三歩下がって歩く吉田君は、まだレモンティーの缶を持っていた。ひょっとしたら新しく買ったのかもしれないがとにかく、レモンの絵が描いてある缶を右手に持っていた。僕は突然、その缶を奪い取ってしまいたいという強い衝動にかられた。もしレモンティーの缶を奪われたら、吉田君はどんな反応をしめすのだろう、と僕は思った。いったいどんな顔をしてどんな声を出すのだろう。吉田君は、茶髪の男が詠んだ詩について、いったいどんな感想を抱いたのだろう。吉田君は、どんな女の子を好きになり、どのようなアプローチをするのだろう。

 僕は立ち止まり、素早く回れ右をして、吉田君の背中をめがけて駆け出した。追い抜きざまに吉田君の右手からレモンティーの缶を強奪し、斜め四十五度の角度で思いっきり投げた。黄色い缶は、淡い闇の中に消えていき、ずっと遠くから、カランという間の抜けた音が聞こえた。僕は顔を伏せ、校門の方へ向かって走り出した。背後から「おい!」という声が聞こえた。それは吉田君の声ではなかった。

 校門から飛び出した僕は、人気のない路地にかけこみ、ブロック塀に両手をついて、息をととのえた。塀には苔が生えていて、いやな感触があった。どこからともなくギターの音が聞こえてきた。歌声もかすかに聞こえる。誰かが弾き語りをやっているようだった。僕は下手くそな弾き語りに耳を傾けながら、空を見上げた。丸い月が、もうしわけなさそうに光っていた。

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ふちりん
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