大宮アイドールの7thワンマンライブに行ってきました
9月3日の土曜日、大宮アイドールの7thワンマンライブ、白川ももちゃんの卒業公演に行ってきました。ライブのタイトルは『Our way of life』です。私たちの生きる道、といったような意味です。自分、英検2級を持ってるのでそれくらいは分かります。Lapisの小川さくらちゃんも英検2級を持っているらしく、僕は勝手にライバル視しています。人生2周目のさくらちゃんに勝てるわけはなさそうだけど、チャレンジすることに意味があるんです。最近はYouTubeにも果敢にチャレンジしています。今さら感が否めないし、現在のところあまり良い結果が出てないけれども、しぶとく続けるつもりです。
そんなことより、ももちゃんの卒業公演の話をしないといけない。そのための記事だから、いま書いているのは。ももちゃんが9月3日に卒業することが発表されたのを受けて、僕が「ももちゃんやめないで!」と直訴してきたのは、下に掲げた記事の通りです。
卒業することを知って大きなショックを受けた僕に、ももちゃんは大宮アイドールの店舗で、自分がなぜ卒業するのかを懇切丁寧に説明してくれました。まっすぐに僕の目を見て。はっきり言って僕は、こんなに真摯にアイドルをやっている人を今までに見たことがないです。そんな風に説明されちゃったら、もう彼女の卒業を受け入れて祝福するしかなさそうなものだけど、諦めの悪い僕は頑として受け入れませんでした。その後も白川ももちゃんに会うたびに「やめないで~」と懇願しました。無理を言って困らせてしまい、すみませんでした。そして僕の粘りづよい直訴も功を奏さず、9月3日、卒業公演の日がやってきました。
僕は下着としてエアリズムを着て、その上に紺色のポロシャツを着ました。下にはグレーのハーフパンツを穿きました。靴は友人から誕プレでもらったピンク色のスニーカーです。靴以外は全てユニクロでした。まあ貧乏人の僕にとってユニクロは高級品なんですけど。日課のウォーキングをかねて、自宅から大宮駅まで30分くらい歩きました。お昼の12時ごろに大宮駅に着いたときには汗だくになっていました。しばらくの間ベンチに座って汗を引かせてから湘南新宿ラインに乗り、大宮から渋谷まで行きました。
渋谷駅にはとてもたくさん人がいました。駅前でチラシを配っている地下アイドルがいて、話しかけられたらめんどくさいなと思ってしまいました。アイドルも必死なのにごめんなさい。でもその時の僕には行くべきところがあったのです。僕は人ごみの中を「Veats SHIBUYA」目指して歩きます。渋谷109の近くに来たとき、フェラーリがのろのろ走っているのを見ました。すると通行人が「あれYouTuberじゃねえの?」と言うので、「底辺YouTuberならここにいるよ…」と思いました。底辺から脱出したいです。チャンネル登録よろしくお願いします。
渋谷駅から15分くらい歩いて「Veats SHIBUYA」の近くに辿り着いたけれど、僕はまたぞろ汗だくになっていました。汗を引かせる必要があったため、近くの小さな広場に立ち寄ってベンチに座りました。そこでしばらく汗を拭きながら、ペットボトルに入れた水道水を飲みます。僕は貧しいので、いつも水道水を持ち歩いているのです。そうすると外で飲み物を買わなくてすみます。100円を笑う者は100円に泣きます。
おおかた汗が引いたのを感じた僕は、広場のベンチから立ち上がって、いよいよ「Veats SHIBUYA」に向かいました。入口のところに大宮アイドールのオタクの人たちがたむろしてたので、人間が恐ろしい僕は反射的に建物の陰に隠れました。渋谷のおしゃれな壁に寄りかかってまた水道水を飲んでいると、女の子が駆け寄ってきて「ふちりんさん!」と言いました。白川ももちゃんのお姉さんのゆめちゃんでした。ゆめちゃんは以前メイドさんをやっていたので、僕と面識があったのです。ゆめちゃんは「入口どこにあるか分かる?」と尋ねました。僕は突然のことに軽いパニック状態に陥りながらも、「ここを右に行ったところだよ」と答えました。するとゆめちゃんは足早に建物の陰に消えていきました。僕はあえて時間をおいてから、「Veats SHIBUYA」の入口に向かいました。
「Veats SHIBUYA」の入口のところで写真を撮っていたら、Lapisのメンバー3人がやってきたのでビクッとなりました。小川さくらちゃんと永島美玲ちゃんに「ふちりんだ~!」と言われて良い気分になったけれど、大原めいちゃんが「ふちりんは私の生誕ライブに来てくれなかったから」と言ってそっぽを向いていたので気まずかったです。でも、そんなめいちゃんも可愛いなあと思いました。来年の生誕には親を質に入れてでも行くので許してほしいです。大宮アイドールの見学に来たらしいLapisの3人は、何やら楽しげに話をしながら階段を下りていきました。ちなみにLapisは、大宮アイドールが所属する芸能事務所、ドリーミングワークスの一員です。
僕はまたあえて時間をおいて階段を下りました。チケットを提示して入場すると、ポストカードなど色んな物を渡されたのであたふたしました。それらをとりあえずショルダーバッグに入れて一息つくと、周りの壁にたくさんの白川ももちゃんの写真が飾られているのに気付きました。大きな写真もあれば小さな写真もあり、どれも素敵だったけれど、僕がとりわけ気に入ったのは、大宮駅の東口の前で赤と青のステージ衣装を着て楽しげに立っている写真です。白川ももちゃんは大宮がよく似合う女の子だなあと思いました。大宮ではもう会えないんだなと改めて思い、とてもさみしい気持ちになりました。
さらに階段を下りていくと、そこにはとても大きな花が飾られていました。きれいだなあ!と思いながらも、僕はこのスタンドフラワーに関して一銭もお金を払っていないので申し訳ない気持ちにもなりました。僕はお金を出すのには向いてない人間なので、別のところで頑張りたいと思います。たとえば、インターネットでこのような文章を書くことを。
ライブが始まる前に僕は、トイレに行っておしっこをしました。そして手を洗って鏡を見たら、紺色のポロシャツの両わきのところに黒い汗染みが大きく出来ていました。こりゃまいったな、ウォーキングなんてしなきゃよかったなと思いました。白川ももちゃんと撮る最後のチェキでわきの汗染みが目立っていたら嫌だなと。でも1時間半くらいのライブが終わる頃には汗染みも消えているだろうと考え、あんまり気にしませんでした。しかしながらその汗染みは、のちに大きな問題となりました。
Veats SHIBUYAのライブホールに入った僕は、後方の左端に立ちました。いわゆる後方彼氏面です。後方彼氏面とは、ただオタクのくせに、アイドルの彼氏のように後方で突っ立っていることを言います。そしていよいよライブが始まりました。ももちゃんは、後方彼氏面をしている僕にもレスを送ってくれました。少なくとも、そのように感じることができました。こんなに広い会場でそんなことができるアイドルを、僕は他に知りません。白川ももちゃんはアイドルとして稀有な存在だったんだなと最後の最後になって思いました。
大宮アイドールの7thワンマンライブは2部構成になっており、第1部がももちゃんの卒業公演でした。白川ももちゃんがありとあらゆる人から深く愛されていることがよく伝わってくる、素敵な卒業公演でした。こんなに多くの人にこんなにも愛されるのは、真摯にアイドルをやってきたからこそだろうなと思います。涙を見せる場面も少しあったけれど、メンバー5人の笑顔がたくさん見られて、ももちゃんらしいライブだなと感じました。ちなみに、最後に「ももちゃんやめへんで~!」と叫んでステージに白川ももちゃんが登場する、というサプライズは残念ながらありませんでした。
ライブが終わって照明が灯り、少し気になっていた脇の汗染みを確認すると、なんとそこには円形に塩が生成されていました。しかもけっこう目立ちます。これはやばい!と思いました。塩を両脇に生成している状態でももちゃんと最後のチェキを撮るわけにはいかないぞと。僕は物販でTシャツを買って着替えることも考えたけれど、4000円も払うのはしんどかったので買わなかった。ももちゃんのチェキ券(1000円)だけを買いました。僕はチェキ券をポケットに入れてまたトイレに行きました。ハンドタオルを水で濡らし、個室に入ってポロシャツの脇のところを拭ってみました。そしたら白いもの、すなわち塩が次第になくなっていったので、「いいぞ! その調子!」と思いました。
10分くらいトイレにこもって脇を拭っていたら、両脇に生成されていた塩はおおかた取り除かれました。僕は「背中には塩は生成されていないかな?」と不安になったけど、背中まで処理している時間はなかったので確認することはなかった。僕は早めにチェキ列に並び、ももちゃんとの最後のチェキを撮らなければなりませんでした。というのは、インターネッ友のびろすえさんに「1部のライブ後にお茶しませんか?」と誘われていたからです。僕はトイレから出て、白川ももちゃんのチェキ列に並ぼうとしました。そしたらそのチェキ列の長いこと長いこと。こりゃ1時間くらいかかりそうだぞ、と思ったら本当に1時間くらいかかりました。
ももちゃんは僕の顔を見ると、泣きそうな顔をしながら「やめないで~」と言いました。僕はもちろん大宮アイドールのオタクをやめません。やめるのはももちゃんです。チェキ撮影の際には、2人で桃のポーズをとりました。僕はもはやももちゃんに「やめないで~」と言うべきではないと思っていたので、素直に「卒業おめでとう」と言いました。しかし僕はずいぶん久しぶりに口から言葉を発したため、めちゃくちゃカスカスの声が出ました。マスクをしていたこともあり、たぶんももちゃんにはよく聞こえてなかったと思います。ももちゃんと30秒くらいカスカスの声でお話をしたあと、ついいつもと同じような感じで「またね~」と言ってしまったけれど、よく考えたら二度と会えないかもしれないんですよね。さみしいなあ。ももちゃん、どうか僕の分まで幸せになってくださいね。
ももちゃんと手を振りあって別れたあと、僕は会場を出て、鍋島松濤公園に向かいました。そこでインターネッ友のびろすえさんが待っているとのことなので。途中でローソンに寄って酒を買おうとしたとき、そう言えば背中の汗染みはどんな感じかなと思って店内の鏡を見てみたら、ショルダーバッグの跡にそって斜めに白いものが発生していました。ヤバい! 脇だけでなく背中においても塩が生成されてる!と慌てました。ハイボールのロング缶を持ったまま店内をウロウロし、何度も鏡でさりげなく背中の塩の生成状況を確認しました。やはりヤバい。こんな塩まみれの状態でびろすえさんに会うわけにはいかない。そう思った僕はまず手に持っているハイボールを購入し、それから鍋島松濤公園に向かい、公園に到着するとすぐトイレに入りました。そして洗面所の水でハンドタオルを濡らし、さっきと同じように背中の塩の部分を拭いました。やはり塩はみるみる取れていきましたが、背中を拭くのに腰をかなりひねる必要があったため、腰を少し痛めました。鏡の前で背中の塩がおおむね除去されたことを確認し、トイレを出た僕は、何事もなかったかのようにびろすえさんの所に行きました。
僕は「遅れてすみません」と言って、びろすえさんが座っているベンチの隣に腰を下ろしました。僕はロング缶のハイボールをちびちび飲みながら、びろすえさんとアイドルの話やサッカーの話をしました。鍋島松濤公園はいわゆる「外飲みに適した公園」でした。近くにコンビニがあるし、トイレがあるし、ゴミ箱もある。どうやら警備員が来ることもなさそうです。渋谷にこんな良い公園があるなんて実に意外でした。今後、渋谷に来るときはこの公園を頻繁に使うことになるかもしれません。大宮アイドールの7thワンマンライブの第2部の開演時間が近づいてきたため、名残惜しかったけれど、びろすえさんとはお別れました。長い時間お持たせして、本当にすみませんでした。ぜんぶ塩が悪いのです。
そして僕は会場のVeats SHIBUYAに舞い戻り、ハイボールのロング缶により多少酔っぴらった状態で、新生大宮アイドールのライブを見ました。新メンバーの市ノ瀬律さんが加わったことで、さらに格好いい大宮アイドールになっていたので(白川ももちゃんはどちらかと言えば可愛い系だったから)、ものすごくわくわくしました。8曲くらい連続で歌ったりしていてロック魂を感じました。新体制の大宮アイドールがあまりに情熱的で格好いいので、「すげえ! こりゃあ後方で彼氏づらしてる場合じゃねえぞ!」と思いました。身体が前に走り出しそうになったけれど、結局は最後まで後方で彼氏づらをしていました。人はそんなにすぐには変われないものです。
新体制の大宮アイドールの何が良かったって、ももちゃんの卒業ソングであるところの『My way of life』がすごく良かったです。卒業した白川ももちゃんの熱い思いを、メンバーたちがみんな確かに身にまとっていました。ももちゃんがいるときは過去を振り返る曲だと思っていたけど、過去を振り返るだけではない、とても力強く前向きな曲なんだなと感じました。
ところで、新メンバーの市ノ瀬律さんは、以前にもアイドル活動をしていたらしいです。最後のMCで「私は大宮アイドールに骨を埋めるつもりです。みなさんもここでお墓を立ててください!」と言ったので笑いました。でも僕は冗談抜きで、大宮アイドールのオタクとして死ぬと思います。高血圧でしばしば動悸がするから、先もあんまり長くなさそうだし。もし僕が死んだら、メンバーにはぜひ葬式に来てほしいです。年老いた両親も喜びます。第2部のライブが大満足のうちに終わると、僕はすぐに会場を出ました。新体制のメンバーとは、これからいつでもチェキが撮れるから。
そして、ライブの余韻を味わうために、またぞろ鍋島松濤公園に向かいました。さっきと同じベンチに座り、暗闇のなかで一人でハイボールを飲みました。こんどはロング缶ではなく350ml缶にしておきました。公園には小さな池があるんですけど、そのほとりで普通にねずみがチョロチョロ歩いていたので恐れおののきました。チャラチャラした若い人たちも近くにいて、おやじ狩りに遭ったらどうしようと震えました。そんなわけで僕は早めにその公園を離れ、帰路につきました。
渋谷駅から大宮駅まで行って、東口に出て立ち飲み日高に入りました。やっぱりここは落ち着くなあ、と思いました。ショルダーバッグから白川ももちゃんの活動年表を取り出し、ももちゃんの7年間のアイドル活動をしみじみと振り返りました。ももちゃんは7年間こんなに頑張ってるのに、そのあいだ僕はほとんど何もしてないな…と苦笑しました。ハイボールをゆっくりと1杯だけ飲んで立ち飲み日高を出て、歩いて家に帰りました。
そんなわけで、とうとう白川ももちゃんは大宮アイドールを卒業してしまいました。この記事の最後に言っておきたいことは、推しメンのももちゃんは卒業しちゃったけれど、僕は大宮アイドールを応援し続けます、ということです。これは、大好きな選手だった家長がいなくなっても、ずっと大宮アルディージャのサポーターであり続けるのと同じことです。大宮アイドールを応援し続けてほしい、というのはももちゃんの願いでもあると思いますからね。ももちゃんが大切にした大宮アイドール、僕も大事にしていきます。