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泣いて自己表現できる幸せ
愛着・アタッチメントということが、以前より注目を集めているようです。
合わせて、愛着障害という言葉があります。これは、脳の先天的な特徴が原因とされる発達障がいとは違って、養育者・保護者との人間関係に原因があるものです。
自分を信じること
相手を信頼すること
私自身も生きていくうえで、とっっっっても大事(最も大事ではないか?)だと思っているこの2つは、アタッチメントによって育つと言われています。そして、幼い頃にアタッチメントが得られなかった場合、愛着障害として、幼い頃から人間関係や集団生活にも困難がみられるようになると言われているものです。
実は、私自身にも理由がわからないのですが、なぜか愛着障害と同じような傾向を自分自身に感じていました。親の養育態度や家庭環境に問題はないのに、なぜなのだろう?と自分を理解したくて本を読んで理由を探したこともありました。
それで、先日、日本でのアタッチメント研究の第一人者である先生のお話を伺いながら、その理由が分かったような気がしたのです。
アタッチメントが育てる”自分への信頼・自分を信じること”というのは「どんなに自分が泣き叫んでも、暴れまわっても、自分は愛されるべき存在なんだ」と思える、というものです。
つまり、子どものときであれば、不快や不安で泣き叫んだり暴れたりして自己主張をしたときに、誰かが自分を否定せずに受け止めてくれて、自分の気持ちを立て直してくれて、また元の生活に戻れるまで支援してくれた、そのような経験が、自分への信頼を育てるということです。
私には、その経験が欠けていたんですね。それを誰かに制限されていたわけではなくて、あまりにも幼い頃から客観的すぎたり、人の目が分かりすぎていたので、「そんなことしない」という子どもだったのではないかと思います。0歳くらいは、さすがにちゃんと泣いていたでしょうけれど。
そうと分かって以来、自分の子ども、他の家庭のお子さんでも、「わぁー!!」って泣いて、暴れている様子を目にすると、「なんて、幸せなことなんだろう」って思うようになってしまったのです。
100%いつもじゃなくてもいいけれど、そういう様子を見た大人に「泣くな」「いい子にしろ」と言わずに「どうしたの?」と寄り添って、
そして理由が言えなくても(大抵、自分でもわからないし、小さい子には言葉にすることが難しい複雑な現象ですので)、「なんで言えないんだ」なんて問い詰めるようなことはせずに、
「まぁ、なんか悲しいことがあったんだねぇ」くらいに見守って、「なんか、辛かったよね」と落ち着くまで、心を寄せて、そばにいてあげるのが良いのだと思いました。
私の場合は、アタッチメントの育ちを止めていたのは自分の特性なのですが、おそらく多くの場合は、周りの大人が止めてしまっていると思います。
困るけど、周りの目も気になるけど、
あるいは「おりこうさん」に育ってほしいと思っているでしょうけれど、
どうか長い目での子どもの人生を考えるのならば、子どもを優先的にケアすることを、保護者の型をはじめ、その場に居合わせる第三者の大人もみんなで、見守れたらいいのでしょうね。
尚、そのとき、おもちゃやお菓子で、どうにかしようとすると、アタッチメントは育たないよ、ということだそうです。
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