誰かの称賛そっちのけで夢中になれること
週末は、子どもたちが二人一緒にお世話になっているアート教室の展示会でした。
こちらの教室には、偶然のような必然の出来事が重なって通っています。
友人が、自分を充たすアトリエを主宰しています。
その友人のお師匠さんが、atlier le matin の浅場聡美先生。
いつかはもっとよく知りたいなと思っていました。
そうすると、別の友人も、美大時代に受けた浅場先生の授業が素晴らしかったと!
そんなことがあり、浅場先生の保育園での造形活動を書籍にしたものを取り寄せ、読んでみると、、、とんでもなく素晴らしい世界が子どもたちの中で繰り広げられ、また、それが大人にも素敵な循環を起こしていることを知りました。
その流れに乗って、atlier le matinさんの主催する、<こどもの造形表現に関わる人向けの講座>へ参加しました。
その後しばらくは、引っ越しでバタバタしていましたが、引越し先で、「子どもたちのためになにかいい場所はないか?」と探していたところ、、、
私と気が合いそうなアート教室を見つけ、体験を申し込んでみたところ、以前、浅場先生の講座でご一緒した方が開いている教室でした。
ならば、間違いない。ここなら、信じて任せられる。
色々ありますが、都会のオアシスってこういうことだと思いながら通っています。
週末の展示会では、浅場聡美先生が、保護者向けの講座を開いてくださり、「水性インクを使うので、汚れても良い服装で来てください」というご案内に、とってもワクワクしながら出かけてきました。(いつも、見てるだけなので。。。私も造形したかったのです。)
テーマは、かたちを留めないもの。
創作のプロセスが楽しくって、インクの広がり方に大感動したり、食塩のつぶつぶがこんなに美しいのかと見とれていたり。
でも、時間が立つとそれは見えなくなってしまいます。
制作の後、保護者同士で鑑賞会をしましたが、私の感動って多分伝わっていない。他の方の作品が、割と、なにか形を成している中で、私の作品は遊んだ後の散らかったものに近いかもしれない。
「私ってなんなんだろう」と寂しい。でも、そういうとき、私は、言葉ではきれいにまとめようとしてしまいます。「楽しかった、感動した」ポジティブなことしか語らない。
でも、昨日は、感動を共有できない寂しさと、それでも、この感動を味わえるような造形の時間を体験できた自分、誰かに称賛される気持ちよりも、眼の前の出来事に夢中になる自分に満足していることを、そのまま言葉に表現することができました。
そのことにも満足。
一人先を歩いていると、歩いている事自体はすっごい楽しいのですが、振り返って寂しい気持ちになる。孤独を感じるものかもしれません。
でも、それは私の人生の役目を果たすためには、欠かせない感情。
きっと、そんな気持ちを同じように感じてくれた人が、今、周りにいてくださっているので、普段はそんなに寂しくありません(^^)。
受け止めてくれる場所を、自分から探していくセンサーと、思い切って居場所を動かす決心はとても大切ですね。