偏ることを否定しない
こんにちは。
今日は、朝から片付けではなく、オペラシティのギャラリーへ展示を見に出かけました。
少々片付け疲れが出ていたので…本当に良いタイミング。
友人がお誘いしてくれたのですが、今日だけ何も予定がなかったのでご一緒することができました。
朝、出かける前に日課のトイレ掃除をしながら、、
私にとって、こうして家を綺麗にするのが大切なことだなぁ
と感じたと同時に、こういう風に家と、身の回りを守る母でありたいとも思いました。
もちろん、父がやっても良い事ですが、これはどこか女性性のなせる技ではないかと。
欧州が先進的に子育て家庭に合わせたライフスタイルを作り、共働きで子育てはあたりまえ。
国民の幸福度も高い。
それは本当に素晴らしい実践だと思う一方で、女性が男性の家事に不満を抱いているという状況が存在までが変わるわけでは無いことも感じとりました。
日本の課題は、不寛容と社会的つながりの希薄さ。
そんなレポートを目にした矢先、そういう家を綺麗に整える「母親像」規定することも、しないことも出来ない、不寛容さ。
何か偏ってはいけない。偏らない事が良いこと。
そんな空気の存在を、確かに感じます。
偏ることは、悪いことではないと思います。
偏りすぎていたら、自分が気がついて、調整していけば良い。その力が人間にはあるはずです。
そもそも正解は無いのですから、自分とは違う物事を信じている人がいたら、まずはそのままを認めて、必要があればお互いの価値観を、白黒決めない対話で重ねていけば良い。
その人の信念と幸せを否定したり、矯正する必要はない。
見えないものや、宗教のようなものを拒否して生きることは、自分で自分の幸せを作る力を拒否してしまうことと同じようにも感じます。
自分の幸せを自分で決められる。
自分の世界を耕す事に集中する。
それを1人残らず出来る事が、本当の世界平和につながるだろうと信じています。
そんなマインドがもっと拡がっていくように、歩みを進められたらと思います。
※1:記事中のレポートはこちら
※2: 欧州の先進事例についての書籍はこちら