一方を得るために、もう一方を捨てること〜ドラマトゥルクという立場について
塚田ひろみです。
私の肩書の一つに、「幼児教育ドラマトゥルク」というものがあります。
この聞き慣れない、ドラマトゥルクって、いったい何?
ということもお伝えしたいのですが、、
今日のテーマは、自分の才能を活かすために、もう一方の面をあえて捨てること。両方を追い求めることの陰陽、についてです。
最初卒業した大学で、私は教育学を学びませんでした。社会人として働き、間もなく、「覚悟を決めて幼児教育の道に舵を切ろう」と決めました。
働きながら、通信制の大学に通い、一度目の育休中に教育実習を経験して、幼稚園教諭の免許を取得しました。
そこから5年ほど経過していますが、その間、現場経験はありません。今年、2021年4月から、幼稚園でのキャリアがスタートしましたが、そこでも、直接子どもたちと過ごす、いわゆる「幼稚園の先生」はやっていません。
では、私は何がしたかったのか?
幼稚園で過ごす子どもたちが、
豊かな人間関係や学びを体験するのに
先生たち自身がそれを体現できたらいい
私の見ていた先は、先生でした。
先生たちがごきげんで、楽しく、協力し合いながら、
充実した毎日を送っていたら、観察眼の素晴らしい子どもたちは、きどうやって協力したら良いのかがわかる。ずっとご機嫌でいることを自分に許してあげられる。
ただ、見聞きする現実の先生たちの様子は、必ずしもそうではなく、
承認されたい気持ちが先に立ってしまい、助け合うことができなかったり、
人間関係が難しくなっていったり。。。離職率も高い職場です。
なので、私は「幼児教育ドラマトゥルク」という肩書を選びました。
私は、
30歳過ぎて、一から経験を積むのではなく、
経験を積まない代わりに、先生たちが繋がり、学び合う場所をつくる。
そう決めました。
自分にとって大切なテーマを選ぶ、ということもありましたが、両方は、現実的に出来ないもの。両方を追うことは、どちらも開花しないことでもあると思ったからです。
さて、ドラマトゥルクという職業は、本来、演劇や舞台の世界での肩書です。
カンパニーの中で、作品についての歴史などの膨大なデータベースを紐解き、舞台を実際につくる人たちに渡していく、メディエーター(仲介役)の役割を果たします。
私は、幼児教育の良さと、社会的な理解が、
いま、少し分断してしまっている、とも感じています。
つながれば、もっと素敵な仕事と職場になるはず。
先生たちの励みになるようなこと、
参考になるようなこと、
わかりやすく伝え、社会に還元できるようなこと。
そんなことを、分かち合っていきたいと思っています。
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