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色々あったなと思い返す16年の子育ての話

現在私の息子は高校1年生。16歳。

正直小さなころは本当に手のかかる子だったし、いわゆる問題児だった。

保育園に入る前の親子で集まる地域のサークルなんかに行っても、口が出る前に手が出て相手を泣かして謝りに回る。

そんなスタートだったからどんどん肩身が狭くなってサークルもいけなくなったりした。

完全にワンオペだったので、主人には言ってもどうしてもらえるわけでもなく、『うーん・・・』って返ってくるだけ。

保育園ではお迎えにいくたびに先生に『今日は○○くんある女の子を叩いてました。』と報告される日々。

しかも相手の名前すら教えてもらえないシステムだったので謝罪することもできない。

だから送迎のたびにどこかの親御さんにずっと疎まれているんじゃないかってビクビクしていた。

小学校に入り、保育園での心配事もあったためそのことを事細かく担任に伝えていた。

すると逆に目を付けられておそらくすでに問題児という色眼鏡で見られていたと思う。

だけど、呼び出しをされるたびに直ぐに学校へ行き、話し合い、泣きながら息子と向かい合いながら来た。

一生懸命息子と『とにかく誰かに手を出されたり腹立つこと言われても、あなたが手を出すのを辞めよう。あなたは力が強い。向こうが怪我したり泣いたらこっちが全部悪者になっちゃう。嫌な事されたらとにかく先生に直ぐに言いな。』
最終そう言い聞かせた。

向こうから意地悪されたり、陰険なことされても、やり返すためや防御のために出した息子の手で、相手の方が痛がったり先生に言いつけに言ったりすると毎回毎回息子が呼び出される。

1年生の時の担任はベテランの女性で『任せてください!必ず安心して通える子にしますので。』と入学当時言ってくれた。

だけど、年超す頃には『もう無理ですね。お手上げ。なんならお母さんの愛情が足らないんじゃない?!』とまで言われるように。

泣きながらどうすればあの子が生きやすく過ごせるんだろう・・・

『どうすれいいと思う?一緒に考えよう。』と息子と泣きながらよく話し合いました。

必死で向き合った6年間。

6年では同じ学年には仲のいい友達がいなくなったけれど、下級生とすごく仲いいお友だちが何人かでき、よく遊びに行っていた。

あの姿を見て『彼なりの居心地のいい居場所を見つけたんだな』と思いました。

その中の一人とは未だに大きな休みになると遊びに行っています。確か・・・同級生の女の子の3つ下の弟さん(笑)

今思い返すと、私が精神的に病んだというのもあって神経質になりすぎていたのかもしれないし。

もっと他の大人に盾突いても良かったんじゃないかと思う。
『先に手を出したもそっちですよね?!そっちが謝ってくれたら謝りますけどっ!』くらいに(笑)

結局、世間体を気にしてクレーマーと思われたくないとか
親子で変な奴って思われたくないとか

本当にどうでもいい他者の目が気になって仕方がなかったなと反省している。

だけど、あの当時の自分に褒めてあげられることがあるとすれば・・・

とにかく私は逃げなかった。
とにかく彼と向き合った。

発達の診断も小学校のうちに2回した。いわゆるグレーゾーンの子だった。

苦手なこと、得意なこと、いいところ、直せること。とにかく彼を客観的に見た。

彼を絶対に見捨てず、生きやすくなるにはどうすればいいか二人で考えまくった。

中学に入り少し減ったものの最初はいろいろ連絡が来た。

無理もない。

コロナ禍の始まりで数カ月クラスメイトの顔を見ずオンラインで授業を受けていた。

担任の顔すら写真でしかわからない状態で信頼関係もクソもない。

その後のリアルで登校になって問題が起こらないわけがない。

だけど、2年の後半あたりから特に連絡が来ることもなくなり今では春の懇談で
『話すこと特にないのに遠くから来ていただいてすみません。進路も自分で決めてますし、冬の懇談は飛ばしていただいてもいいですよ。』
とまで言われるように(笑)

そして、休みの日息子の予定が無かったら親子でお出かけもする。

私が神社仏閣巡りが好きで、主人が美味しいもの巡りが好きなのだが、どちらも楽しそうにしている彼。

彼女もできたこともあるけど、今はもういらないそうだ。

友達とは中学からずっとクラスが変わらないから幼なじみのようなもので、ずっと文句言いながらも仲がいい。

何か買ってあげると『ありがとう』と言うし、ご近所の人にもちゃんと挨拶もする。外食に行けば帰り際に『ごちそうさまでした』と言って出る。

ちゃんと成長してくれて本当に本当にうれしい。

二人で乗り越えたあの頃、無駄じゃなかったんだなって報われた気持ちになります。

あれほど大変だった何年間だけど、結局記憶も曖昧で思い出せないほどのことなんです。

逃げ出したくなることたくさんありました。

思春期や、多感な時期に親や大人が子供に対し、しっかり向き合ったか向き合ってなかったかで大きく変わる気がします。

あるママ友さんが子供が小学生のころ、仕事も頑張り時だったのもあって本当にほったらかしだったんです。

その子本当に世話いらずな男の子だったんで。

だけど、どこに行っても挨拶もせず、声をかけても無視。ずっと下向いてゲームばっかりしている子だった。

夏休みも学童には入れず妹と過ごさせていました。

大人からすると、世話のいらない手のかからない、“いい子”なのです。

妹はしっかりわがままなお嬢様に育ち、こんにちはと言っても無視をして大人を睨みつけていました。
(ママの仕事の人は自分を寂しくさせる敵だったのでしょう)

だけど、ずっと彼が心配だった。

すると彼が中学に入り少ししてから学校に行けなくなったんです。

いじめがあった訳でも、勉強についていけないわけでもなく、原因不明の登校拒否。

そのママ友さんそのことを隠して、仕事をこなしていました。

SNSではとっても素敵な笑顔で、他人の子育ての応援をするお仕事。

ママ友さんは彼とここで向き合わなくちゃいけなかった。

なんなら小学生のころにもっと向かわなければいけなかった。私も感じていたSOSを何度も見逃していた。

彼は結局ずっと学校に行けず、ようやく病院に連れていけたのは数年後でした。

現在おそらく20歳。

今もおうちにいます。

ママ友さんは愛かわらずSNSでは活発に仕事をこなしている投稿をして、好きな歌手のライブに全国飛び回っています。

子どものことをたまにSNSで『かわいい。本当に美人。』『カッコいい。めちゃくちゃ男前。』とほめています。

内部事情を知っている人間からすると、彼女にとって子供は見た目重視の飾り物なのかな・・・と思えてしまうのです。

結局思うんです。

保育士さんや幼稚園教諭や、子育てに関する専門家であっても知識だけではダメだということ。

そして、ここは大事!というところでしっかり我が子と向き合うことができていれば大丈夫だということ。

その向き合うのも、我が子を一人の人間として客観的に見ることが大事で。

決して私の育て方が正しい!というつもりは一切なくて。

もっとヒステリーにならずに穏やかに育てられたらきっと息子ももっとのびのびした子に育っただろうなって思うし。

若いころに子供は二人欲しい。女の子も欲しい。なーんて夢を見ていたけれど。

今はそんなことどうでもよくって、彼と向き合うために不器用な私は、一人っ子で良かったんじゃないかって思うのです。

今は面白い漫画の話で盛り上がるし、好きな音楽の話で盛り上がる。

エモい景色を共有したり、嫌なことがあったら一緒に怒る。

一番気も合う、趣味も合う相手になってくれて本当に幸せです。

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