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遺品を売る

昨年、二十数年の月日を経て父の遺品が手元に届いた。
遺品はカメラと写真とネガが全てで、父がカメラマンの仕事をしていたことにやっと納得することが出来た。

私は父のことをほとんど知らない。一緒に住んでいたのは物心付く前だったし、挙句すぐ死んじゃったし、父の話を出せば酒を飲んで暴れていたとみんなが怒り出し、ただ悲しくなるだけなので父のことをいつしか話題に出さなくなったから命日すら知らないのだ。

だから遺品を受け取ったとき、父のことを知れる機会が巡ってきたと感じて嬉しかった。しかし何度写真を見てもカメラの傷や色褪せている部分から父の癖などを探そうと試みても、さっぱり何も分からず父が遠くなるばかりだった。

手元にあるカメラはただ静かに父の不在を強調するばかりで、そもそも何十年も感じ続けていた悲しみは父の死そのものに対してではなく、父の不在による悲しい出来事のみにあったようにすら思い始める。小学校で父の日の似顔絵を描く日に近所のおじさんの顔を描いたこと、なんとなく友達が父親の話をしないでいてくれること、お金が無くて諦めた多くのこと、何よりも自分が死の臭いを知らない人生を歩むことが早い段階で不可能になってしまったこと。死の臭いというものは強烈で、それを知った日から人生の中で死という存在が消えることは無かった。狂ったように手を洗っていた時期があったと聞かされたのは最近のことで、その行動をただしなくなっただけで、自分にこびり付いている感覚は今もそのままだ。


悲しみは父の死に対するまっすぐなことでありたい。だからカメラを見つめて父の死そのものへの悲しみを考えるけど、どうしたってただ血が繋がっていて数年一緒に過ごしただけの人なのだ。覚えている思い出は片手で収まる程度だし、好きな食べ物すら知らない。父への分からなさが募り、疲れ果てる。それに加えてカメラを劣化させているという罪悪感もあった。物は使われてこそ生きると考えているから、誰かに使ってもらった方が良いのではないか。迷った末カメラを手放すことにした。なんだかんだと言ってみるけどつまりは分からないことから逃げたかったのだ。

思い立つとすぐにカメラを抱えて小田急線に乗り新宿へ向かう。ネットで調べた評判の良いカメラ屋に駆け込むと、カメラをチラっと見て「良くてレンズが二万円です。」と言われる。この辺はカメラの買取店が沢山あるから他のところで見てもらった方がいいと教えてもらう。次のお店では値段は付かないよゼロだねと言われ、ほらこんな状態だからとレンズのカビを見せてもらう。レンズに光を当てると無数のカビが見えて、その美しさに惚れ惚れする。カビって綺麗ですねと口に出すと、でもカビはカビだよと言われる。

もう一件だけとお店に飛び込むと、中年の優しそうな人が「誰が使っていたカメラですか?」と聞く。父です、と答えた瞬間に何かとんでもないことをしているような気がして、身体中から汗が出る。彼はただ頷き、すぐにカメラの点検を始める。そして二万三千円の値段を付けてくれた。「本当は本体は値段が付きませんが大切な品だと思うので、気持ちの二千円です。」と言われて人の優しさに泣きたくなった。泣いて、人の良さそうな目の前の人に縋って聞きたかった。父の遺品を売るなんて最低ですか?私はどこか欠けていますか?父のことが分からなくて寂しいです。私って時々ひどく冷たい人間なんです。家族ってなんですか。血が繋がっていたら悲しむだけの思い出が無くても失ったことに悲しみ続けなければいけませんか。次々に溢れそうな言葉を抑えて、お願いしますと小さく言った。

結局カメラは売れなかった。単純に財布を忘れて私は身分を証明出来なかった。急がなくて大丈夫なのでいつでも来てください、明日と明後日は僕が居ます。と優しく言われて、頷きながらどこか安心している自分がいた。

2024年9月29日
カメラはまだ手元にあります。あといっぱい考えたら気分が変わって、最近は明るい遺族です。(ピース)

2024年10月
家に遊びに行くと当たり前のように出てくる私好みの珈琲を飲みながら、自分の好きなものを知っている人がいる事に安心する。君がこの世から離れる日が来たら涙が枯れるまで泣いて、いつまでも立ち直れないと思う。ずっと他人だった人と思い出が積み重なって存在が濃くなっていくことのかけがえのなさ。血は血でしか無いと思う。

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