結局、個人行動ができる人は最高だ
多分、私はコミュ障だし、好きなことやモノは1人でもしたい。
この前、高校時代からの友人が大阪に遊びにきてくれた。
彼女は高校1年生の時に隣のクラスで体育が一緒だった。
東方神起のグッズを身に着けていたことから、「もしかして、KPOP好きか?」となり、話しかけたわけですが。
その時はまさか、10年後も一緒に遊びにいくとは思ってもみませんでした。
彼女は思ったことを正直に言う人で、少し癖がある。
だけど、とても優しくて、その優しさに行動が伴っている人だ。
彼女は私の大学のサークルのイベントも初回から毎回見にきてくれて、最後の卒業公演の時には「こんなに大きくなって、レベルも上がって、よかったね」と正直な感想を話してくれた。
学生の頃は、毎回来てくれることに特に大きな感謝は抱いてなかったけれど、卒業してから彼女の有限な時間を使って、公演を見にきてくれていたことに感謝した。
と同時にこんなに素敵な友人をこれからも大事にしたいと思った。
彼女とは今は趣味も居住地も違う。
唯一の共通点は職業くらいですかな。
そんな彼女が呪術開戦とのコラボがあるからとユニバに来た。
私は久しぶりに会って、話して楽しかった。
彼女は三半規管が弱いらしく、横揺れのアトラクションが苦手だ。
私はスパイダーマンが好きなので、必ず乗る。
そんな時にすぐ個別行動を提案し合えるのだ。
私はスパイダーマンに乗るから、その間彼女は呪術開戦のグッズを見る。
互いが我慢し合うわけでもなく、元々個別行動が平気な人間だから。
一見、どこにでもいるような気がするが、中々少しの間でも個別行動ができない人は多い。
人間だから、結局は自分と全く同じ希望や意志で同じ行動をする人なんていないのに。
時間は有限だから、重複するモノコトや、互いに興味を持てるモノは一緒に行い、それぞれの希望は1人行動をした方が圧倒的に充実して、相手への不満も生まれないのに。(嫌々興味のない相手の希望に付き合うと”やってあげてるのに”を感じてしまう)
前提として、スタンスや考え方が似ている人は貴重だ。
だから、そんな人たちは私は今後も大事にしていきたいし、彼らが困っている時、悩んでいる時は私が支えたい。
そんな風に思う。
結局、25歳を過ぎて感じるけれど、今でも交流が続いている人は考え方やモノの見方が似ている人が多い。
そして、多分これからの人生で関わり、仲良くなるのは、自分と似ている人なんだろうね。
あくまで、自分と似ているコンフォタブルゾーンに居続けるわけではなく、全く自分で予想しない考え方の人とも繋がって、常にアップデートしていく自分でありたいですが。
#何となく 、深夜に感じたこと。