何ものでもない私がサークルを作った話#1
こんにちは。fuaです。9月からnoteを書き始めて毎週1本は投稿する目標にしていたけれど、先週は友達と福岡に”頑張ろう人生、A/W”の旅に行っていたので更新できず。。。
ちょっと悔しい思いもありますが、まあそんなガチガチに縛ってしまうと継続できなくなる気がするので自分で自分を許してしまうことにします。
(ちなみに福岡の旅はもう最高でした。一緒にいった友達がふざけた話から真面目な話までしっかりできる子で充実した時間を過ごせたし、大学時代のヨッ友と飲んだりして。またその話は別で書きたいなと思います)
まあそんな前段はさておき、私がずっと書きたかったけど、思い入れが強い分うまく書けない気がして先延ばしにしていたサークルの話をしたいと思います。
「たかだかサークル?笑」そんな意見もあるでしょうが、間違いなく自分が頑張って誰かに認めてもらえた人生での唯一胸を晴れる大切な”モノ”なのです。
ちょっと長くなりそうなので
パートに分けて書いていきたいと思います。
①高校時代
私は本当に高校時代英語部の陰キャでカーストも最下層だし、文化祭や体育祭でも華やかな運動部集団を羨ましく憧れを持ちながらも、端の方で同じ文化部の子たちとわちゃわちゃしているようなそんな生徒だったんですね。
本当にこれは良くないことだと思うけれど、やっぱり中高って運動部(と一部の顔面最強な文化部の人たち)がキラキラしていて文化部とか帰宅部の子ってどうしたってカースト下層になってしまうんですよね。
少なくとも私の高校はそうだった。
だったら運動部に入ればよかったんだけど、高校受験で第一志望に落ちて第二志望に入った私は中学と同じくバレー部に入ろうとした時に父に半笑いで、どこか諦めを浮かべた「大学受験で失敗しないためには運動部なんて時間の取られる部活に入る選択はないよな」って言われて運動部に入ることを諦めたんですよね。
もちろんその時に抵抗すればよかったんだけど(今ならするだろうけど)
当時の自分は受け入れてしまって。今となれば父も第一子の子供の大学受験で失敗しないためにはどうしたらいいか分からなかったんだと理解できるけど、やっぱりこのことは生涯人生のしこりになるかな。
同じように第一志望に落ちて同じ高校に入った弟は疑うことなく継続して野球部に入るレールが用意されていて。今も高校の同級生や先輩と繋がっているのを見ると羨ましい。
そんなこんなで私の高校生活は一言でいうと暗黒。
表面上はなんとなく”イツメン”を作ったり、英語部の友達(なぜか私の同期だけ9人もいた)が家にきてお泊り会したり、楽しそうなことはしていたけれど、今はその子たちと全く連絡を取っていないし、心の底から青春を味わったことはなかった。
けれど、やっぱり何かしたくて。
元々友達と何回かダンスのレッスンにいっていて、踊ることは好きだった。
小学生の時からKPOPが好きで、TVを見ながら見様見真似で当時流行っていた少女時代のGEEやT-araのRolyPolyをカバーしてカラオケで披露していた。
(さりげなく私の初カバーダンスは上記のT-ara)
その時にみんなその曲を知らなくても盛り上がってくれて”アイドル”になれた気がした。
やっぱり派手な色が好きだし、絶対に学級委員やりたい人間だったし、元々目立つことが大好きな性分。
最後くらい、いいやって思って。
周りに「急に陰キャが出しゃばってきて笑」って思われてもいいやって思って、高3の7月に英語部の子に声をかけた
「今年の文化祭の前夜祭で一緒に踊ろう」って。
やっぱりみんな乗り気ではなかったけど、その中で3人だけいいよって言ってくれて、グループを結成した。
大体、派手めな子達はグループを結成すると公言する。
「今年の文化祭の後夜祭で踊るんだ~~」って
うちの高校は前夜祭・後夜祭ともにダンス2組、バンド2組が出演できる。
だからダンスの枠は4枠。
周りの情報を聞くとどうやら
①キラキラカースト上位女子集団10人
②運動部ダンス経験者HIPHOP4人組
③バスケ部女子によるE-girls
④バスケ部男子2人組のロッキン
⑤剣道部女子によるプリキュアメドレー
⑥私達
の6つなようだった。
4/6ー。
半分以上は出ることができるが、なんせ私達には人脈がない。
一応選定をするのは先生たちだけど、どう考えたって運動部キラキラの方が盛り上がることは想像に容易い。
となるとレベルを上げるしかない。
思ったよりしっかり頑張ることをメンバーと心に誓う。
そこから朝早く学校にいって鏡の前で練習したり、スタジオで練習したり。新卒の物理の先生が大学までロッキンしてたから休みの日に教えてもらって、終わってからアイス食べたり。
(本当は私たちのステージに先生のロッキンを入れるつもりだったけど、休みの日の路駐で学校にばれて出演停止に。そうゆうところが変に厳しいよね日本は。)
その日々は今振り返っても青春していたし、キラキラしていて、とても心地よく楽しかった。
持ち時間は1グループ10分。
私達は方向性が全く別々のためロッキン→少女時代→ボカロの踊ってみた
のメドレー。いま考えるとだいぶカオス。
一生懸命練習して準備してオーディションを迎えた。
絶対に踊りたいって思いもあったけれど、準備をしていた日々自体が私にとって充実した日々で、落ちてしまっても悔いはなかった。
そしてー。
希望していた後夜祭は無理だったけれど、前夜祭で踊ることができた。
もうね。結果が分かった時は本当に本当に嬉しかった。
少し泣いちゃったもん。
当時の自分は無敵だって思っていたからいっちょ前にアー写ちっくなものを撮ってTwitterで宣伝したりして。
そしてもう陰キャだから、友達も少ないから、
そんな思いは消えて当日踊った。
最初は誰?って声が聞こえたけど(本当に友達が少なかったし、単純に自分の知名度がなかった)
曲が始まったら盛り上がってくれて、あの空間のあの時間だけはみんなが私たちに注目してくれていて。
とにかく最高に気持ちよかった10分間だった。
ちなみに衣装は楽天のLLサイズのユニホーム、原宿で買ったマーベルヒーローの顔のイラストが前後に10体ずつ書いてあるビブス、スキニー、直径10センチほどのピンクのファーイヤリング。
癖しかない。当時の私はなぜそれでいいと思ったんだ。
(同じ高校のため私のダンスを見ていた弟は”お姉ちゃん最高に楽しそうだったし、輝いてたよ”って前置きした上で、あの服は本当に謎。俺のクラスでもみんな言ってた、ってコメントをもらった)
まあとにかく最高に最高の10分間だった。
この経験から自分か発信していけばみんなついてきてくれること、
やっぱり自分は目立ちたい人間であること、
を再確認した。
前置きが大変長くなってしまったが、このエピソードはサークル結成の根底にある私のマインドだから省略はしなかった。
②大学入学前
そして文化祭後、受験勉強をして大学生に。
結局第一志望のW大学は落ちてM大学に。
(第一志望には入れない人生なのかもしれない)
高校卒業した3月から”絶対に大学デビューして、楽し尽くしてやる”この思いで溢れていた。
まずは友達を作ろう(こうゆうところが流されやすい最高にダサい新入生で笑っちゃう。#春から○○大 で検索は誰しも通る道だと思う)
ということで友達のTwitterから同じ大学そうな人とKPOPを好きそうな子に手当たりリプした。
いま考えると大分気持ち悪い。結構まじで。
ちなみにKPOP好きそうな子を条件に絞ったのは共通の話題があった方が話しやすいと思ったから。その時はサークルを作りたいなんて1ミリも思っていなかった。
それでたまたま私の中学のいつメン(別記事のカンボジアやオーストラリアに一緒に行った友人)の友達が同じ大学でKPOPも好きみたい。
なんなら中学の時にバレー部でなんと総体の試合で対戦相手だった。
(異常に目が大きくて、スタイルが良かったので名前は知らないけれど覚えていたのだった)
そんなことある?って思いながらリプのやり取りをした。
そんな中で、「りゅうちぇるとぺこりんが地元の駅ビルでイベントするらしいよ」って話題になった。
当時全盛期のりゅうぺこ(建築関係トントントンね)
「え。みたくない??」ってなって急遽翌日会うことに。
今振り返ると行動力しかない、お互いに。
ラインを交換して、服装の写真を送り合って初めて会った
(やってることがマッチングアプリと同じなのよ)
今でも覚えてる。
私はANAPで買った花柄のパーカー、赤のハイネックセーター、淡いピンクのプリーツスカートを着ていた。
むっちゃ寒い中、りゅうぺこのファンのなかに明らかな浮いている我々。
でも面白かったし、りゅうぺこは可愛かった。
そのイベントが30分程度で終了し、ちょうど昼過ぎだったのでマックに入る。
その子も全く同じ大学に落ちて、同じ大学に入ったらしい。
バレーの話やKPOPの話、そこから発展してお互いに文化祭で踊ったことが判明。
その子はKARAを踊っていた。
私が少女時代だからそこも対になっていて勝手にバランスのよさを感じていた。
自然にサークルの話になって何に入る?って
沢山サークルがある割に入りたいのが少ないなって、KPOP踊りたいよねって。え~~今Twitterとかで募集掛けたら人集まりそうだよねって。
え!アカウント作らない??
この運びとなり、サークル結成の灯が上がったわけです。
もう行動力と若気の至り。
いまだったら絶対にそんな行動にならない。
でも当時の自分は何でもやりたいし、前述の部活の件もあって「やらずに後悔より、やって後悔」このマインドだった。
アカウントを作成してからは共同で#春からM大 で検索かけまくって手当たり次第DMやリプをしまくった。いま考えたらベンチャー営業さながらのガッツ。
それでも20人くらいは集まった。
to be continue...