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私の暮らした常州という街

私が自分の事業を立ち上げ(ただの小さな居酒屋ですが)、暮らした街のこと。

それまでに関わった中国での仕事とは別で、私が自分の小さな会社の立ち上げと、店の準備のために常州を訪れたのは、2010年のこと。その後、事業清算して帰国に至る2023年まで、約12年半の年月を過ごした街。

中華人民共和国 江蘇省 常州市

 
上海と南京を結ぶ直線300kmのちょうど中間点、というのがざっくりとした位置表現。北には長江が流れ、南は太湖に面している。北京から杭州をつなぐ大運河、京杭運河が街中を貫いていて、その支流となる小さな運河もあちらこちらと目にすることができる。
天目湖、天寧寺、恐竜園(恐竜博物館、遊園地、温泉を含むテーマパーク)、等々のスポットも有名。
 歴史も古く2500年あるとのこと。詳しい人は知っているかもしれないが、春秋戦国時代(まだ紀元前のころ)に延陵と呼ばれていた土地。私には三国志ゲームのマップで見たことがある地名。でも、前漢までの呼び名らしく、三国時代のマップに表記があるのは? 記事を書くにあたり、ウィキって一人ツッコミ。

どんな大きさ
田舎街と思うことなかれ。
常州市・・・
 人口 約400万人、面積 約4375

日本と比較してみよう。
ゆかりある街と。
豊中市・・・ 人口 約40万人、面積 約 36
宝塚市・・・ 人口 約22万人、面積 約100
あれ、桁が違う。。。

都道府県と比較してみよう。
大阪府・・・ 人口 約880万人、面積 約1900
兵庫県・・・ 人口 約540万人、面積 約8400
人口だけでいくと、
日本9位の福岡県、10位の静岡県の間にあたる結構大きな街、常州市なのでした。

 もちろん、賑やかなところ、辺鄙なところも有る。開発も途上の2010年の風景をアップしよう。

勢い良く路線を拡張し続ける新幹線
常州駅のホーム

 まだ新しかった新幹線、それまでダイヤが10分、20分、数時間遅れることも当たり前だった鉄道から打って変わり、一気に完全に近いダイヤが予定通りの移動を可能に。上海ー常州170kmを、間に蘇州、無錫の二駅停車で45分くらい座れば到着する快適な交通手段。料金も自由席75元ー指定席でも100元くらい。
当時日本円で1200ー1500円といった感じ。距離に対してのコスパが素晴らしい。

常州駅北側

この写真は北側、四角い建物は長距離バスのターミナル。
駅の構成としては北が長距離バス、地下にタクシーの乗降口、
中央が新幹線、南側が従来の鉄道路線となっている。隣接する道路には、まだ白タクが溢れていた。
日本よりも潤沢な台数のタクシーが走り回っている中国も、なんせそれを遥か上回る人口、下手したら1、2時間、ずっと移動できないかと思えるような場面にも幾度と遭遇した。ときに必要な手段。

中級のマンションでも15階−20階オーバーなんて当たり前


運河のある風景


新北区の顔、オリンピック体育館


手前は確か博物館、ツインビルは常州市庁舎
そして漢江路

 中国は道幅が広い。常州も。写真は主道で2車線すれ違い、正面の空間は自転車、電気バイクが通る副道。副道とはいえ両脇に車が縦列駐車しても真ん中を通行できる幅。要は車、3台分の幅。それが左右に。国道扱いされるような道でなくても、こんな道がざらにあったりして。
歩く人は、信号の青になりたてで出発しないと渡り切れないポイント多数。
いくつめの信号、交差点なんて歩いてたら相当な距離である。


常州漢路の商業街 2010

 常州には、私の訪れた2010年当初でも200社近い日系企業と400人近くの日本人駐在員あるいは出張者が存在すると聞いていました。確か、うろ覚え。

そして、外資企業を多く招き、工場地区を開発していったこの新北区、多くの企業人が利用する4星、5星のホテルが近隣にあること、駐在する日本人が近くにアパートを借りることから、日本料理店、日本語の通じるクラブ(カラオケ)、などの環境が整い日本人に便利な商業街が出来ていたようです。

常州のランドマーク天寧宝塔

 常州天寧寺は、唐の時代650年代に創建された寺院とのこと。この塔については、2005年に増設したもののようですが、駅からあまり離れていないので、常州駅に降り立つと必ず目に映るランドマークとなっています。

 以上、私の暮らした街、中国常州の簡単な紹介でした。
別の記事で2023年、帰国前に撮影したまた一味違う常州の写真をアップしようと思います。

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