短編小説 煙草と幸せ
今日は、気分が落ち着かなくて、部屋の中をぐるぐると歩き回っていた。その間、自分の腕に爪を立てたせいで、痕が出来てしまっていた。血が流れてきそうなほどだった。しかし、2時間後に恋人が来る予定だ。このままでは、会うことができる気がしない。出来たとしても情緒不安定な姿を見せて、心配をかけてしまう。
悩んだ末、サンダルを履いて、コンビニに向かった。着いてそうそう、レジに並び「23番1つ、後ライターも。」と店員に言い、受け取るなりポケットに突っ込んで、そのまま家に帰った。
最近は吸ってなかったのになと後悔と罪悪感を少し感じたが、落ち着かない気分は変わらず、ベランダに行き、煙草に火をつけた。
日は沈み出していた。綺麗な茜色に染まっている。そんな綺麗な景色でさえ、残酷なものに思える。最近、あの頃と同じような時間に置いてかれる感覚がする。多分、焦って、何かに囚われすぎているのだろう。どうせ自分のペースでしか歩いていけないんだ。自分のペースを取り戻さなければ、足が縺れて転ける前に。
1本だけと思っていたがいつの間にか2本3本と吸ってしまった。だんだん気分が落ち着いてきた気がする。これで最後にしようと思っていると、後ろのベランダの扉がガラッと空いた音がした。驚いて振り向くと、そこには後1時間後にくるはずの恋人がいた。
「え?楓? は、早いね。」
思わず吸っていた煙草を隠してしまった。もう既にバレているということ分かっているのに、罪悪感がそうさせる。彼女は焦っている僕を見て、穏やかに微笑んだ。そして、靴下のまま、僕の横に並んだ。彼女は夕日を眺めながら、
「大丈夫だよ。隠さなくて。身近に吸う人いたから、嫌悪感は何も無いよ。でも、吸うとは知らなかったな。初めて吸ったのは、いつ?」
「えっと、うーん、前の会社で働いて半年たった頃ぐらいかな。」と少し戸惑いながら答える僕を気にする様子もないまま、彼女は話を続ける。
「あー。しんどかった頃だよね。分かるよ。本当に辛い時って正気じゃいられないっていうかお酒とか煙草頼りたくなるもんだよね。私は全然いいと思うんだよなー。世の中、煙草とか特に厳しいじゃん?」
「うん。そうだね。」
彼女のいつもと変わらないどんなことも受け入れ、包み込むような空気感に不安定だった情緒が落ち着き始めた。
「マナーとかは守らなくちゃいけないと思うけど、なんか世の中って肉体面ばかり気にして、精神面がおざなりだよね。確かに、病気のリスクは上がるだろうけど、精神的に病死でもしちゃいそうなら吸ってもいいじゃん。バランスだよね。肉体をあまりに蝕むほどじゃないなら、いいよ全然。」
と僕の腰に手を回して、こちらをみて微笑んだ。
「ありがとう。」
ぼやけていた頭が、だんだんハッキリとしてきた。
「私ね。精神科に通ってた時期があったの。未成年の頃なんだけどね、家にあるお酒飲んでやろうかと思ったことがあって、結局飲みはしなかったんだけど。」
「そう、だったんだ。知らなかった。ちょっと驚いた。」
なんでもないように言う彼女とは違い、僕は驚きを隠せなかった。
「言ってなかったからね。あのさ、亮太くん、煙草のこと逃げだと思って、情けなく、後ろめたく感じてるでしょ?」
真っ直ぐ僕の目を見据えて言う。図星で、言葉上手く出てこなかった。
「大丈夫だよ。自分では、自分が許せないだろうけど、かっこ悪いと思うだろうけどね。身の上話になっちゃうんだけど、私の親と父方の祖母がね、これが当たり前で幸せなんだみたいな固定概念が強くて、それから外れると嫌味言われて、私もその固定概念で考えるようになってたの。でも、母方の伯父と旅行に行って世界が変わったの。」
と小学生の女の子が遠足の思い出話をするような笑顔で、その伯父の話を続けた。
その伯父は、作曲家だったが、それだけでは生計を立てられずアルバイトをかけ持ちしていたが、世界中を旅するような、好きなことに真っ直ぐな自由な人だったらしい。しかし、親族の間では、いい歳してと評判は良くなったそうだ。彼女が、精神科に通うようになり、家に引こもるようになったとき、伯父が京都に連れ出してくれたらしい。伝統的な建造物から、有名な喫茶店、ジャズバーなど様々な場所を回ったそうだ。
「すっごく楽しくてね、久しぶりに生きてる心地がしたの。他の大人より伯父の話が何倍と面白くて、あーこの人は自分の人生たのしんでるんだなって思った。で、伯父がその旅行の帰りの車で『例え、その人が罪人だったとしても幸福だと感じることはできる、逆にどんなに世の中から評価されている立派な人でも不幸だと感じることはある。だから、他人の指標に従いすぎたらだめだよ。自分の声をきいてあげてね。』って言ってくれたの。私はその言葉に救われた。」
「いい人だね。」
彼女は、少し間を置いて、何かを決意したような様子だった。
「うん。後、伯父は『有名な芸術家の中には浮気をしたり、違法な薬物を使ってたりする人達もいる。でも世の中にはそんな芸術家たちを何十年何百年と愛し続けてる人達が大勢いる。だから、正しくなくても弱くても人から愛されることも愛すことも出来るんだよ。』ってことも言ってたの。私は、そこから自分が幸せだと思えるように生きてきた。後、そんなふうに愛し合える人と出会いたいなと思ってたの。」
すると、彼女は幸せそうな笑顔で、
「亮太、愛してるよ。」と言った。
ずっと僕の中であった自己嫌悪や罪悪感が消えていく感覚がした。
僕は、思わず彼女の腕を引いて抱きしめた。
「僕も愛してるよ。ありがとう。」
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