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檻の中の涙
いつもは小説投稿サイトや別のアカウントで有料記事として販売している小説。
今回は、ふとした思いつきで、こちらでも無料記事として公開してみました。
今回の話は、私が育った環境で、私が感じていた事から着想を得ました。
まぁ、主人公の叶海の様な優しく頼れる優等生ではなかったですけどね🤣
ではでは、よろしければ😘
篠山叶海(ささやまかなみ)は、いつもの様に「ただいま」と明るい声を玄関に響かせた。
学校指定の上履きを丁寧にシューズボックスに収め、制服の襟元を正す。きちんとした所作は、彼女の日常の一部だった。
「お母さん、遅くなってごめんね。夕飯の支度、私がするわ」 リビングを通り過ぎながら、叶海は母親に声をかける。
母は「お姉ちゃん、いつもありがとう」と優しく微笑んだ。
そう、叶海は家では篠山叶海ではなく、いつでも頼りになる長女(おねえちゃん)だった。
今日も学校では充実した一日だった。朝は図書委員会の仕事をこなし、授業中は先生の質問に的確に答え、昼休みは友達と楽しく過ごした。
帰りのホームルームの時間には、担任の先生に次の学校行事の相談を受け、しっかりと意見を述べた。
「篠山さんは本当に素晴らしい生徒さんね」
そんな言葉を、叶海は何度聞いたことだろう。褒め言葉のはずなのに、その度に胸の奥で何か冷たく硬いものが蠢く。
下校時、親友の美咲が叶海に駆け寄ってきた。
「叶海ちゃん!ちょっと相談があるんだけど…」
「どうしたの?」
「あのね、数学のテスト前なんだけど、全然わからなくて…叶海ちゃんって、いつも満点じゃない?教えてくれないかな」
叶海は微笑んで頷いた。
「もちろん。放課後、図書室で勉強会しよっか」
心の中で小さなため息をつきながら。
他の友達も加わり、結局放課後の一時間を、叶海は友達の質問攻めに応えることに費やした。
みんなの「ありがとう!叶海ちゃんって本当にすごいよね」という言葉に、叶海は「そんなことないよ」と謙遜しながら答えた。 その途端また、硬いものが胸の奥で、ガシャンと音を立てて何かを捕らえた。
「ふぅ」
自室のドアを開け、大きく息を吐き叶海は静かに中へ入った。
ドアを閉めた瞬間、今まで背筋を伸ばしていた体から力が抜けていく。
ベッドに座り込むように腰を下ろすと、天井を見上げたまま、ぼんやりとした視線を彷徨わせた。
なんだか、とても疲れている。
今日も、誰かの期待に応えて、誰かの役に立って…。それは嫌なことじゃない。むしろ、誰かの役に立てることは嬉しい。でも…。
叶海は今日もまた、知らずに檻の中へと閉じこもっていた。
「お姉ちゃん、どうして泣いているの?」
「えっ?」 突然聞こえた声に、叶海は驚いて顔を上げ、そっと頬に触れる。指先に冷たい感触。確かに、涙が流れていた。
「本当だ。なんで泣いてるんだろ?」
心の中で自問する。涙の理由…。
嫌なことをしているわけじゃない。辛いことを強いられているわけでもない。私の世界は順風満帆。
なのに、どうして...?
「……お姉ちゃん分からないの?自分のことなのに」
「どうして…私」
「わたし、知ってるよ。だってね、おねえちゃんが本当の気持ちを泣かせているからだよ」
「私の…本当の気持ち?」
「うん。おねえちゃんが『完璧』であろうとすればするほど、本当の気持ちが泣いているの」
叶海は自分の周りを見渡した。
『しっかり者の姉』
『優しい優等生』
『頼りになる生徒』
それぞれの檻の中の私はみな、声を殺して泣いていた。
「疲れた」と言いたい時も言えない叶海。
「助けて」と頼りたい時も頼れない叶海。
「今日は一人になりたい」と思っても、その気持ちを押し殺す叶海。
「私が...自分で自分を泣かせていたの?」
叶海の頬を、また新しい涙が伝う。でも、この涙は少し温かい感じがした。
この時ようやく、聞こえる幼い声の主の姿を探そうと、檻の向こうへと視線を向けた。
するとそこには叶海の幼い頃にそっくりな幼い女の子が立っていた。
「お姉ちゃん、檻から出ないの?」
その幼女は、優しく問いかけた。
「出られないよ。鍵が掛かってる」
そう答えた叶海に幼女は、不思議そうに首を傾げる。
「え?出れるよ。だってほら」
幼女が指さした場所を見ると、鍵のない扉があった。
そうか。本当は檻に鍵なんて掛かっていなかったんだ。最初からー。
「でも…。ここから出るの、なんだか怖い…」
叶海は、自分そっくりの幼女に向かって弱々しく訴えた。
「大丈夫だよ。泣きたい時には、泣いてもいいんだよ。誰だって」
幼女の声はやっぱり幼かったけど、その声の奥には、ずっと大人っぽい説得力があった。
叶海は、その声に後押しされるように深く息を吸い、ゆっくりと檻の扉へと向かった。
檻の扉へと伸ばす手は、かすかに震えている。指先が扉に触れると、音もなく静かに開いた。
ーーこんなにも簡単に開いたんだ。
ずっとずっと閉じこもっていた檻は簡単に開いたが、外へ出るための一歩は、なかなか踏み出せなかった。
それでも、叶海の頬を濡らしていた冷たい涙は、もうどこにもなかった。