アシュタールさんに聞いて考えた事
私は、誰かが酷い暴力を受ける描写が苦手で、ましてやそれが現実世界で起こった事件となると、被害者の苦しみを想像し、それに囚われて、しばらくそのショックから立ち直れなくなってしまいがちです。
なので、過去に起こった、とある事件を知った時には、過去に起こった事であるにも関わらず、何ヶ月も怖かったし、何年間かは、フラッシュバックのように思い出しては、ずっと心がザワザワしていました。
なぜ、何年間もそれに囚われたかといえば、何故か定期的にその事件についての情報が、私の目に飛び込んできたからなのですが、つい最近も、またその情報を目にし、なぜ定期的にその事件の情報に翻弄されてしまうのか、自分なりに考えたり、他の人の記事を読んだりしたのですが、どうにも結論が出なかったので、アシュタールさんに質問してみたんです。
つまり、今、この地球では、凄惨な事件が起こると、人は『なんて酷いんだ!!犯人は、きっと悪魔に違いない!!!』なんて判断するけど、もっと魂レベルで俯瞰で見ると、それは凄惨な事件などではなく、魂と魂の約束事なんだろう。
と、私は理解した。
としたなら、この地球上で起こる概ねのことを、人間の善悪で判断するのは、なんだかナンセンスなことのように思い始めた。
つぶやきでも書いたけど、人はみんな自分だけの世界観を持っていて、例えばとても似通った世界観だったとしても、全く一緒はなくて。
それぞれが、それぞれの世界線で生きている。
それでいい。
誰かの世界観を否定する必要もないし、だからといって自分の世界観を出て、その誰かの世界に飛び込む必要も、ましてやどんなに仲が良くても、たとえ親子であっても、自分の世界観に引っ張り込む必要もない。
それぞれが、それぞれの世界線で、それぞれのペースで生きていく。
放任ということではなくて、『愛をもっての尊重』。
なるほどなぁ。地球人全てが、それを心の底から理解したなら、きっとこの世は愛に満ちた世界になるのだろう。
そんなことを思うのです。