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久しぶりの安心できる散歩
今日は、久しぶりに「安心して」旦那さんと散歩をした。
「安心して」と書いたのは、昨年の7月にパニックで再度体調を崩した後に、旦那さんとの関係がとても緊迫していたから。
どうしても精神的に大きくバランスを崩すと、相手の時間を奪ってしまったり、リズムを崩してしまったり。
そういうことが、最初にパニックの症状が出て来て早5年、旦那さんも心に緊張を抱えていながら、たくさん合わせてくれていたと思う。
2年ほど前には「もう好き勝手させてもらう!」「合わせていたら自分が死んでしまう!」と旦那さんは自分のペースを大事にし始めた。
そんな最中で、私が再度体調を崩して助けを求めた時には「絶対に無理に合わせない」ということだった。
私にとっては、頼りたい時に全力で跳ね返されてしまい、絶体絶命の感覚の中で、さらに相手に気を使わなくてはいけない状況。苦しかった。
ただただ、身体も心も辛いのに、悪いことをしているような罪悪感に苛まれた。心なんて休まらなかった。
でも、2人ともどうしていいのかもわからなかった。
その時その時の最大限を生きていたのだと思う。
年末頃からは共依存関係に取り組み始めて、それはプロの人に相談しながらやったものではなかったから、強行手段というか、「全て別々にして暮らす」という家庭内別居にトライしていた。
一人でやれるようにならないと!という強い思い込み。
そうしないと、依存関係からは立ち直れないんだと思っていた。
けれど、相手も私も緊迫感がすごい状態で、一触即発の状態。
顔を合わせて喧嘩に発展しないように、ただただ距離を置いた。
でも、相手への恐怖心が増したのだ。何より悲しかった。
カウンセリングを受け始めると
「一人でなんでもやらないと」という強い緊張が、パニックの原因だと思うと言われた。
逆じゃないか!やってたことと…と唖然とした。
でもその方は、共依存、アルコール依存などの病棟でも長く勤務経験もあり、その後独立して、さらに開業し・・・という、数十年とカウンセリングをされている方。信頼しようと思えた。
カウンセリングを受けて、少しずつ少しずつ旦那さんへの恐怖が減っていき、無理やりに仕切っていた部屋の仕切りも、閉めなくていいかなと思える日が自然に増えていった。
自分の辛さを認めるたびに、相手の辛さも、慮れるようになっていった。
すると、次第に相手もほぐれてきて、間にある緊張も緩んできていた。
長年、氷山の一角で一生懸命に関わっていて、でもいつ大げんかになる不安な関係だったものが、氷山の隠れている部分、水面下のことも、思いやれるというか、なにか共感しあえているような感覚にもなっていた。
なりたい自分というのは、緊張をおろしていくことで自然に出てくるものなのだと、まだ少しの期間だけれど、感じている。
そんなこともあって、今日は自然に、近所の「神社に行こう」となったのだけど、神社でゆっくり過ごして、話をしたり聴いたりしていた。
これまで神社までは、数回来てはいたけれど、散歩しようという気持ちにはならなかった。怖かったからだ。
頼ることを拒絶されたように感じた去年の一件から、家のちかくを一緒に散歩することも怖くなっていた。信頼できなかったから。ただでさえまだ、外を歩くのが怖いのに、緊張する相手となんて歩くことはさらにハードルが高い。
それほどまでに怖かったことだけど、ここ最近の流れで、神社で過ごした後に、「散歩しよう」という言葉が自分の口から自然に出てきた。
手をつないで、楽しく話しながら、隣にこの人がいてくれるという安心感も感じながら、散歩をした。本当に久しぶりの感覚だった。
去年の7月に体調を崩して以来、はじめてのことだ。
それ以前も、もちろん関係に緊迫感はあったけれど、去年の7月からここまでは、これまでで最も緊迫感があった。
なにより、それ以前は一緒に散歩をしたり、カフェに行ったりして「この人がいるから安心」という感覚があったから。
いつかは一人で安心して出かけたいという思いはあるけれど、まずは、旦那さんに頼りながら、行けるところを増やしていけたらなと思っているから、今日は大きな一歩だなと思った。
まずは、「それ以前に戻った」とまではいかないけれど、スタートラインに立ったような気持ちになった。
手をつないで、話ができて、散歩ができて。
当たり前にできる夫婦も多いかもしれないけれど、私にとっても奇跡のような時間だった。
お互いに「話を聴いてもらえた」という気持ちになったことも、面白かった。
ゆっくりゆっくり進んでいこう。
こうして書いていないと、いつも辛い状況にフォーカスしてしまうけれど、
確かに、幸せな瞬間というのは日々の中にある。
今はそういう気持ち。