
最近のこと
ずっと体調を崩していた。12月に入ってから、コロナにも、インフルにも罹って、本当に何もできなかった。友達との約束は守れなくて、バイトもできなくて、大学も行けなかった。ベッドから動けない私に、みんな優しかった。弱っている時に人の優しが沁みるって、こういうことを言うのだろうと思った。誰も私を責めなかった。大学の教授たちに出席停止措置のお願いをするためのメールを送った。1人の教授から返ってきたメールの、「水分補給をしっかりしてくださいね」という一言が、たまらなく嬉しくて、あたたかくて、泣きそうになった。
誕生日の3日前くらいに、小中の同級生の訃報が届いた。また、だった。2人目。どうして死んだのか、怖くて直接聞けなかったけれど、話を聞いていたら分かってしまった。いつもみんなを笑わせてくれたクラスのムードメーカーは、もうただの白い骨になってしまったらしい。私は訃報を聞くまでの長い間、ご飯を食べて、眠って、本当普通に生活していたのだ。その事実が、とてつもなく気持ち悪くて申し訳ない気持ちになった。こんな気持ちになることすら気持ち悪いのだが。しばらく泣いていた。受け入れるのと納得するのは、少し違う。納得したくない死が、また増えた。死んだのは分かる。もう会えないということだろう。じゃあ、もう二度と彼らが“彼ら”として生まれないこと、彼らと同じようにして喋ったり考え事をしたりする人物が現れないことは?彼らはどこに行って、私はどこに居ればいい?当たり前の事実に殴られて、色んな所が痛かった。高校の時、死んだ友人の母親に泣き腫らした顔で言われた、「あなたたちは勉強も遊びも、まだたくさんできる、この子の分まで頑張ってね」という言葉を、今も時々思い出す。ちょうど桜が満開に咲いていた頃だった。彼女の分、彼の分。上手く言葉にできない。これが“複雑”というやつなのだろうか。いつも間に合わない。いつも知らない。私にできることは何も無かったし、もし過去に戻れたとしても、結局は何もしないだろう。そういうものだと、分かっている。それでもやっぱり、助けたかった。思うだけ、もしもの世界を妄想するだけなのだ。失礼な話だ。ここに書くことさえも迷った。今も迷いながら書いている。2週間後にある、2人の欠けた成人式が、私は少し怖い。
厄介な人間に捕まった友人たちの腕を、私は一体いつまで反対方向に引っ張らなければいけないのだろう。相談相手に選んでくれるのは嬉しいけれど、私を選んだのなら、私の言葉を聞いて欲しい。相談をするだけしてこちらの意見を聞かず、結局また同じ失敗を繰り返して泣きながら帰ってくる。実はもう既に1人の腕を放した。他人の恋愛に首を突っ込んでもいいことがないと分かった上で、大事な友人を守ろうとした。まあ、無理だったのだけれど。そういう人を前にして、私はいつも「相談ってタダじゃないんですよ」と思う。あなたが消費した私の時間と労力は、タダじゃない。そうは言っても、私が今彼女を諦めたら終わりだなと思う人もいて、死んでも手放せない状況にある。こんなに文章を書いて、たくさんの人の相談に回答しているのに、私は無力なままだ。
「もしあなたに何かあったら、あなたを説得しきれなかった今日のことを、私は一生後悔する」
だから話を聞いて。お願い。それでも、もう駄目だった。泣かせてしまって、その話は終わり。人を泣かせてしまうことはあまりに久しくて、ショックだった。難しい。考え直そう。
ただ、これを読んでいる人にはもう一度伝えよう。男女関係のもつれは、一瞬で凶悪事件に発展するので、本当に本当に気をつけて欲しい。何度でも言う。ここで私と約束して。「まさか自分が」と思っている人の身に、それは起こり得るので。目の前で見て、情けないくらい震える手で対処したことが実際にあるから言っている。第3者でさえ手が震えるのだから、当人がどれほど怖い思いをするのか、どんなに深い傷を心に負うのか。今一度考えてみて欲しい。
思考がまとまらない。文章もまとまらない。新入りの湯たんぽを抱きしめて眠る。