強くなっても泣きたい日は普通にある
強くなりたい。ずっとそう思っていた。常に正しく、何事にも献身的な人間になれば幸せになれると信じていた。かなり馬鹿だったと思う。気づけばもう、「人に期待するのをやめる」のではなく、人に期待できなくなっていた。自分のことしか信じられない。
私の自我が芽生えたのは16の時だった。私が今まで常識だと思っていたすべては親の常識で、偏った、狭い世界を生きていたことに気づいて吐き気がした。単純に死にたかった。世間一般で言う“恵まれた家庭”とやらに当てはまることは、私が「辛い」とこぼすことを阻む障害のように感じた。昔から何かと競争するのが苦手で、勝負事に負けたら立ち直れる気がしなかった。リレーの選手に駆り出される運動会は特に嫌いで、高校からの体力測定は手抜きした。隣の芝は青く見える。長い間、出会う友達みんなの境遇が羨ましかった。自分の人生を生きるということが、とてつもなく難しく、残酷に思えた。人並みの幸せと満足感が欲しくて、恋愛というやつをしてみたけど、どれもうまくいかなかった。今思えば、自分を犠牲にしてまで手に入れるほどのものじゃなかった。それに気づいてからは、友人がのめり込むように恋愛をしているのを見ると冷めた気持ちになった。「恋人の返事が遅い」とか、「浮気されているかも」とか、そんなことを気にするような恋愛はとっととやめた方がいいよ、なんて冷めた言葉が出かかった自分にショックを受けた。今まで好意を寄せた人は大抵無意識のうちに私を下に見る節があった。おかげさまで、恋愛すると下に見られる、なんてくだらない考えが頭からこびりついて離れない。ちょっとつまずいたくらいでこんな偏った考えになるなんて、私はまだまだなのだろう。
数字が怖くて、数字に愛されたかった。気付いた時にはもう病気になっていた。心も体も、自分でたくさん傷つけた。17の冬、初めて行った心療内科の待合室は思っていたより普通だった。親にお金を出してもらっているのに、診察室で先生の目をまっすぐ見れなかった。ただ薬をもらって、情けなさでいっぱいになりながら帰った。先生にも本音を話せなかった。大学受験が終わるのと同時に通院をやめてしまったけど、これで良かったのかなと今もたまに考える。病気になって強くなったとか、そういうのは全員に当てはまる話じゃない。知らない方が幸せだったことなんて山ほどある。孤独も、本当は知らなくていい。真冬の海に飛び込む必要なんてないんだよ。
強くなった。尖っているだけかもしれないけど。目の前で陰口たたかれても、理不尽なことを言われても、私は屈しなくなった。自分が悪くない時まで落ち込む必要はない。自分に非があったなら、少し落ち込んで、またやり直せばいい。やれるだけやって駄目だったらそれは仕方ない。他人の期待を背負っても別に幸せにはなれない。無理することと努力することは同義じゃないし、自己犠牲で得られるものなんてほんの僅かだ。他人のために泣くのは良いけど、他人のせいで泣くのは違う。最近はそういうことを自分に言い聞かせている。あの頃綺麗事だよと嫌っていた言葉を自分にかけて、奮い立たせている。強くなったからといって傷つかないわけじゃないし腹が立たないわけでもない。ただ確実に言えるのは、もう二度と、私は私を見失わない。一度倒れた私は、ひとより少しだけ、立ち直り方を知っている。そういう強さがあってもいいだろう。