ヒペリカム
私は、君の行き止まりだったんだろうか。深夜、というかもう朝、朝の4時過ぎから映画を観始めた。昨日友達に教えてもらった映画。2軒目のカラオケで、友達がこの映画の主題歌を歌っていた。元々知っている曲だったのに、妙に刺さった。不思議と、初めて聴いたかのような気持ちになった。それは友達の歌が上手いからなのか、私がその曲に共感できるようになったからなのか。まんまと教えられた次の日に観てしまった。その映画に出てくる水族館のシーンで、何故か泣いていた。楽しかった頃の記憶と重なってしまったからかな。海遊館までの道を地図無しで私の手を引き歩く背中に少々複雑な気持ちになったことも、同時に思い出した。
どうでもいいようでどうでも良くない話をすると、私は最近とても忙しい。忙しくて忙しくて、中学生以来、5年ぶりに風邪を引いた。月曜から土曜まで、大学かバイトか予備校のどれか2つずつが、毎日のように入っている。月曜は2限から4限までで、その後バイトを6時間半する。家に着くのはいつも深夜1時。2限に向かう電車は、案外混んでいて座れない。そのせいか、月曜から疲労感が半端ない。火曜も同じで、バイトではなく予備校に向かう。5時間以下の睡眠で21時すぎまで勉強するのは、普通に地獄だ。ブラックコーヒーを狂ったように流し込む。スースーする目薬をさして正気を保つ。水曜は3限と4限、その後同じようにバイト。木曜は昼まで泥のように眠り、昼過ぎにのそのそ起きては溜まりまくった課題を片付け、風呂を洗い、遅くに帰ってくる両親のために晩御飯を作る。効率の悪い私でも、最近はもうかなり早くご飯を作ることができるようになった。こうやって新しい生活に慣れていくんだ、と思った。少し前までは、「君と暮らした時に美味しいものをたくさん作って食べさせたい」と思いながら、それをモチベーションに料理をしていた。今は、自分の為、生きていくためにしている。さすがにいい女すぎるだろうと錯覚してしまうほど凝った料理も作れる。自分と結婚したい。金曜は、2限から5限で、その後予備校。帰りの電車は当たり前に座れない。5冊の重すぎるテキストとその他諸々が入った鞄は驚くほど重い。絶望。土曜は課題をしてからバイト。日をまたぐ頃にバイト先をあとにし、またしても泥のように眠り日曜を無駄にしたこと後悔する。私より忙しくて大変な人も居ることは十分に分かっているつもりだ。でも私にはこの生活が少々苦痛だ。自分のキャパシティを知っているから、ギリギリ壊れないラインで頑張っている。自分を守る方法を習得した私は、昔よりだいぶ賢くなった。
こんなふうに忙しいから、最近はもう別れた恋人のことを思い出すことがほとんど無くなった。丸一日思い出さない日も少なくない。でも多分きっと、あの人の方が私のことを思い出すことは少ないだろう。もう全く思い出されていないかもしれない。付き合っていた頃、私はあなたの走馬灯に何秒出演できるんだろうって、ずっと考えていた。あの人の記憶にいる私は、一体どんな顔をしているんだろう。やはり泣いている顔だろうか。ポロポロと、とめどなく涙を流す姿は、たくさん見せた。困るな、せっかく頑張った化粧は、あの人の瞳に少しでも可愛く映るためにしていたのに、ただ崩れていくものになってしまうなんて。別れ話をするために片道2時間半をかけて大阪へ行った日、喫茶店で私の正面に座るあの人の瞳に私は映っていなかった。そういうことばかり気づいてしまって、本当にどうしようもない。それを思った時、私は今この人に刺されても刺し返さないけど、この人は私に刺されたらきっと刺し返してくるのだろうと思った。仮に今私たちの横で私たちの会話にならない会話に聞き耳を立てているおっちゃんが、「喧嘩は良くないぞ」と口を挟んできても、きっとこの人は「はあ、そうですか」と返すのだろうと思った。私が映らない瞳を見つめながら、そういうことを考えていた。何が嫌で悲しかったのかを伝えると、「じゃあ僕にどうして欲しいわけ」と、あの人は言った。その瞬間、私の中での何かが終わった音がした。「元々友達が1番大事だから」と、わざわざ“お前は1番じゃない”と、そう伝えてくるあの人の話を、馬鹿だなあと思って聞いていた。急激に心が冷えていくのが分かった。もう必要ないからと、私とのトーク履歴を目の前で消されても、あの人の前では泣かなかった。泣いたところであの人は私の涙を拭うことはもうしないだろうし、無駄になってしまうのが悔しかったから。もう何処までが本当でどこからが嘘だったのかも分からない。ただ、あの人の言った「生きててよかった」まで嘘だと思いたくなかった。今もまだ信じていて良いだろうか。
でも、私、いい恋をしたと思う。新幹線の改札前で泣いてしまうような恋愛ができたのは紛れもなくあの人を好きなったからで、あんなに好きになった人と付き合うことの幸せを知った。「大好き」は、後悔のないように沢山伝えた。いつかまた、私は恋をするだろう。恋をしなくても、恋愛をする。もし仮にあの人以上に好きになれる人ができなかったとしても、別に構わないとさえ思う。映画みたいな恋は、一度きりでいい。あの日はもう、私は長く愛するに値しない人間なのだろうかと考えて落ち込んでいたけど、今は違うと思っている。東京駅で泣いて動けない私の状況を知った大学の友達が、化粧をせずに「一分一秒でも早く」と言って迎えに来てくれた。「そんな風にあなたを傷つける人と、私は付き合い続けて欲しくない」と伝えてくれる友達は沢山いたし、皆自分のことのように怒って、泣いてくれる人までいた。映画を教えてくれた友達は、朝の4時まで電話を繋げて、ずっとポジティブな言葉をかけ続けてくれていた。この話を横から聞いていたバイト先の人が、美味しいご飯を作って何も言わずに出してくれたこと、それを休憩室で泣きながら食べたこと、私は一生忘れない。私はもの凄く愛されていた、もう既に。十分すぎるくらいに愛されていることに、この時初めて気づいた。気づけてよかった。もう、大丈夫になったんだと思う。変わる時が来た、そういうことだろう。悲しみは続かない。