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夏と光

今年2度目の風邪を引いた。5年ぶりの発熱は、かなり堪えたようで、4日も寝込んでしまった。目を覚ますと、カーテンの隙間から陽の光が漏れていた。窓の外からは少年たちが野球をする声と蝉の鳴き声が微かに聞こえる。そうか、夏か。ノールックで在処を探し当てた携帯には、「台風7号 あす関東に最接近」の通知があった。オーナーが昨日、「金曜は店を締めるしかなさそうだなあ」と、独り言のように呟いていたことを思い出した。フラフラする体で、リビングへと向かった。何となくつけたテレビは中京大中京と神村学園の試合をやっていて、ちょうど6回表同点になったところだった。青いな。そう思って消した。テレビの音が消えたばかりのリビングはやけに静かで、あっという間に孤独になれた。

「自己満でも人を助けたいと思ったなら、それで良いんですよ。誰かが助かるなら、それで良いじゃないですか。」

高2の夏、進路相談で担任にそう言われたことを、強い日差しの照りつけるこの季節になると思い出す。あまりにも真っ直ぐ、私の目を見つめたままそう言うので、一瞬世界の時が止まった気がした。
ただ、救われたかった。あの頃の私は、今よりずっと孤独で、悲観的で、暗かった。明日のテストよりも、この先の人生に絶望していた。私はあまり頭が良くない。人の2倍努力しなければ両親を頷かせる結果を残せなかったし、自分の理解力が乏しいことを何度も責めた。苦労の末手に入れたものは世間から見れば当たり前で、特に評価されるわけでもない。こんな生活が、こんな人生が、この先何十年も続くのか。そう思ったら全部嫌になってしまった。白い息がよく出る真冬の朝、頬を突き刺すような風の中踏み込んだペダルが重くて辛かった。上手く、進まない。今度こそ上手くいかないかもしれない。そういう呪いを、「きっと大丈夫だよ」という無責任な言葉で、他人に解いて欲しかった。でも、17の私には、そういう“他人”がいなかった。いないから、私がなるしかなかった。誰かの“他人”になることで、私を救おうとした。段々とそれに落ち着いてきた頃にはもう、進路を考えるべき時になっていた。人間の精神を学んで、正規の方法で誰かを救える職に就きたい。この気持ちの確証を得るために、沢山調べた。調べて、考えて、また調べて、進んだ方が良い大学・大学院に目星をつけた頃、ある人の言葉に足がすくんだ。

「誰かを救いたいと言ってこの職を目指す人は、まず自分を救った方がいい」

そんな意味合いの言葉だった気がする。当時の私に、その言葉は深く刺さった。刺さったまま抜けなかった。私のことだ。私のこれは、ただのエゴか。そう思ったら、何が本当で何が嘘か、この選択は正しいのか、私の話なのに分からなくなってしまった。別に誰かに話すつもりなんて無かったけれど、「やめた方がいいかもね」と誰かに言われたらやめられる気がして、担任にこぼした。それなのにあんな真っ直ぐな言葉を、光を、私の暗闇に投げてくるもんだから、意図せず救われてしまった。今までのこと全部、馬鹿みたいだと思った。全員が納得する理由なんか、探さなくていい。そんなものを探している間に、大事な命が尽きてしまう。進みたい時に、進めるだけ進んで、怖くなったら足踏みをして、帰ってくればいい。私たちは多分、もう少し許されてもいい。17の夏の話。

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