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マイケル・ハドソンの視点

『米国はいかにして日本を滅ぼしたか』(No.64,65)、および     『日本政府は外貨準備高をいかに浪費したか』(No.74,75)

マイケル・ハドソン

日本企業の米国人社長が日米関係に関して独特の見解を持っているのと同様、米国のエコノミストやジャーナリスト、財界人もまた独特な見解を持っていることに彼は気づいた。このメモは、そうした彼自身、あるいは他者の見解を日本の読者に伝えることを1つの目的にしている。そうすることによって日本の読者は一般に報道されない「米国側の視点」に触れることができるのだ。米国人はフェアープレイの意識が強い。その米国人の多くが、米国の外交政策が他国にとって不公平で間違ったものであり、世界経済を誤った方向に導びき、それによって世界的な不動産バブル、金融バブルがもたらされていると感じているのは皮肉なことである。

米国の外交官は米国が行っていることは世界全体の利益のためだという言い方をするが、実際には一部の利益団体を保護していることが多い。我々はそのようなレトリックあるいは婉曲表現を、権力政治や外交的策略という現実的な言葉に置き換える必要がある。大半の米国人は一部の特別団体を保護すべきだとは考えておらず、ましてや米国の金融機関や不動産投機家を保護するために他の国を犠牲にすることも、米国の財政赤字を増加させることもすべきではないと信じている。

多くの米国人がプラザ合意に反対したのはこのためであった。プラザ合意は米国の金利低下につながったが、そうなったのも日本が貿易黒字分を米国財務省へ融資したことが原因であった。

何のために融資したのか。まず第一に、米国企業が米国経済を空洞化したために生まれた米国の貿易赤字を補填するためであった。第二に、米国の政治家が米国企業に対する課税を躊躇した結果生まれた財政赤字を補填するためであった。

結局、政治家の選挙結果を左右するのは資金力のある米国企業である。  企業からの政治献金は民主的政治過程の究極の民営化と言える。     皮肉にも、日本は米国に言われた通りのことを行ったに過ぎないのに、  現在、それに対する責めを受けている。 

大蔵官僚は米国の外交官から圧力をかけられたために米国への融資を増やし、さらに国内金利を低く抑えることで、日本の投資家に財務省への融資を誘発する状況を作り出したのであった。

米国では、レーガンおよびブッシュ政権下の「トリクルダウン」経済政策(政府資金を大企業に流入させるとそれが中小企業と消費者に及び景気を刺激するという理論)が悲惨な結果をもたらし、米国だけでなく日本を含む世界全体の経済状況を悪化させた。しかし、こういった状況がなぜ生まれたのかその因果関係について詳しい説明を受けた日本国民はほとんどいない。  これは米国の政策がもたらしたものであるが、米国だけでなく日本が現在苦しんでいる問題の本質にも係っている。そのために日本人にとってこれを理解することはとても重要なことなのだ。

この問題は政府の課税政策にも関係してくる。             古典経済学の要諦は、政府は投機ではなく投資と生産を促進すべきであるというものだった。政府の役割は、社会を犠牲にして不動産や株式市場から利益を手にする不労所得生活者ではなく、社会のために投資、生産を行う人々を奨励することにあるという考え方である。ところが今日の政府は、就労所得に対して所得税を課し、消費に消費税を課す一方で、不動産投機や金融取引に対する税金については減税している。               その結果、米国では、不動産部門の富が全体の3分の2を占めているにも拘らず、法人税をほとんど支払っていないという状況が存在するのである。  保険や銀行も同様に、収入の大半を積立金あるいはキャピタルゲインの増加に充て、非課税扱いにすることで、法人税の支払いを免れている。    大半の収入を消費で使いきる中流・下流階級の賃金労働者が税金を支払わされている一方で、不動産や金融投機の金利収入で生活する富裕者や大企業は税金を支払っていないというのが現状なのである。

所得に課税して不動産収入に課税しないという政策をとると、貯蓄や投資は不動産投機や住宅ローン融資、その他の金融投機に流れることになる。まさにこれが、日本のバブル、そして米国の国内および対外債務増加の原因なのである。

米国は貪欲を善しとする新経済学を採用し、脱工業化経済を目指した。これは、国民の1%が金融および不動産の百万長者になる一方で、残り99%の国民の生活水準が低下するという経済である。その結果、米国の所得はトップ1%の国民にますます集中するようになった。

これがウォール街の利益につながることは言うまでもない。       金融および不動産部門は広報機関を利用して、彼らにとって良いことはその他すべての人々にとって良いことづくめであるかのようにプロパガンダを行っている。彼らの描く構図では、自分達の利益の増加はトリクルダウンで社会全体に波及し、中流・下流階級をも救うはずであった。        しかし現実は、金融部門の富が拡大する一方で、残る99%の国民の借金は急増していった。クレジットカード、銀行、個人、住宅ローン、地方自治体、政府のすべての負債が増加していった。

もちろんこの裏では不動産および金融部門の投機家が自分達の富を利用して議会の政治的支配を買収し、自分達がさらに豊かになるよう働きかけている。米国では、エコノミストの大半が広報機関に雇われ、新しい「富の教会」を形成しようとしているのである。ノーベル賞委員会がこの新しい「富の教会」の”法皇”であるとすれば、ハーバード大学や、ロックフェラーが設立したシカゴ大学の経営大学院は、その”枢機卿会”とでも言えよう。

ここで作られた偏狭な経済理論は、学生や一般市民に「貪欲を善し」と教えてきた。この理論は、「見えざる手」によって、民間企業は公益に仕えるように操られている、というものであった。もちろん現実にはこの「見えざる手」は政治的賄賂と汚職を意味するに過ぎないが、神が市場を使って金持ちを救うとこの理論は説明している。明らかにこれは仏教や儒教の教えではなく、キリスト教の教えをもじったものに過ぎない。

「貪欲を善し」とする経済学の特徴は、その内部論理にあるのではなく、むしろそこで教えない点にある。米国の経済学の学生は負債や不動産に関してほとんど何も学ばない。古典的政治経済学が何世紀にもわたって不動産、特に賃貸料(不労独占収入)が時間とともに増加する傾向を取り上げてきたことを考えると、これは驚くべきことである。経済学の履修過程からそういった視点を取り除くことで、経済学の歴史が全く無視され始めたのである。現在の経済学の授業では、フランスの重農主義者やデイビッド・リカード、ジョン・スチュアート・ミル、ヘンリー・ジョージやその批評学者の理論については教えない。数学やデータを使った経済モデルに関する授業がほとんどである。そしてそのデータには不動産や負債、さらには国際収支のデータさえ含まれていない。

米国人は、”Garbage in, garbage out” (GIGO)(信頼できないデータからの結果は信頼できないという原則)という表現をよく使う。経済学のモデルが実世界を全く反映していないとすれば、その目的は一体何であるのか。今日の米国のエコノミストは、経済学を「科学的」なものにするには、世界が実際にどう機能しているかを反映する必要はないとさえ考えている。重要なのは、現実的であろうとなかろうと、仮説が一貫したものであることだけだ、というのが彼らの主張なのである。結果として、経済学は自然科学からはほど遠いものになった。経済学が2世紀前に言われていたような「倫理学」であるとすれば、それは見せかけの倫理学に過ぎない。この非現実的な新経済学の仮説によって、日米経済が正常に機能しているかのように映し出されているのである。

こうして新しい米国式狂気が始まった。米国式、と呼んだが、英国でもサッチャーが有権者に「我々は不平等を誇りにしよう」と言ったとされる。そしてこのシカゴ大学経営大学院の新経済学で最初に影響を受けたのがチリだった。チリのピノチェト率いる軍事的独裁政権は自由市場に反対する者をすべてサッカー場に集め、撃ち殺した。こうしてチリ国民には「自由市場」に反対するどころか、賛成する以外に選択の余地がなかったのである。その一方でサッチャーとレーガンは貪欲を善しとする考え方を国民に教えるには、反対者を殺さずとも、洗脳すれば良い、と心得ていたのである。

日本国民もこのような新しい考え方に洗脳されてしまうのであろうか。これこそこのメモが取り上げている問題なのである。

目的の1つは、米国のエコノミストが数学を使って作り出す経済モデルが実世界を反映するものではないことを指摘する点にある。経済モデルは均衡、つまりすべての人がそれぞれの賃金で雇用され、またすべての生産物がそれぞれの価格で売りつくされるという仮定に基づく。そこでは、国際収支は全く考慮されず、国際収支勘定やその分析についても経済学の授業ではほとんど教えられていない。したがって、国によっては構造的な国際収支の赤字または黒字を抱えているという事実、さらには構造的な財政赤字または黒字を抱えているという事実を全く無視しているのである。

米国の経済学のこういった欠落は、日本にとって極めて重要な意味合いを持つ。まず第一に、多くの日本人が米国の有名大学で教育を受け、博士号を取得している。これは日本の問題の悪化ではなく改善につながると信じているからであろう。第二に、日本人は、米国のエコノミスト、あるいは経済学のレトリックを使う外交官の主張を鵜呑みにし、崇拝しているようだ。日本人が米国のエコノミストや外交官が米国(実際には特別利益団体)の利益よりも日本の利益を念頭において日本にアドバイスしていると信じているのだとすれば、それは大きな間違いである。

彼はこのような見解を持つ米国人の友人に、米国の外交官が日本に奨励することではなく、彼らの目から見た日米関係、日本の問題の本質を指摘するよう依頼した。それが今回私が書いたメモにつながったわけである。No.64および65は、日本がプラザ合意で米国のアドバイスに従った結果、バブル経済を生んだ過程を説明するものであった。

No.74および75では、国際収支の問題、日銀が貿易黒字、国際収支の黒字を外貨準備高と金準備高としてどのように保有しているか、その外貨準備高を米国財務省への融資によりいかに目減りさせているかといった問題を取り上げた。

私が今後執筆を予定しているメモには次のようなものがある。新経済学有利の観点から、日本の国家債務の問題について取り上げる。さらに、日本の不動産バブル、および日本の税制によるバブル再燃の可能性、米国の経済外交官が使うレトリックなどである。

こういった題材はメディアにはあまり取り上げられていないため、読者の多くには難しく感じるかも知れない。

しかし、日本が米国の植民地主義の足枷から外れ、国家的な独立を勝ちとるには、こういったテーマを理解することが必要不可欠であると考える。

例えば、No.74と75で取り上げた外貨準備高の話題、日本が米国政府への融資(財務省証券)という形で外貨準備高を保有しているという事実は、歴史上、独立国家がこれ程まで搾取されたことがなかったことを考えれば、日本がその事実に気づくことは極めて重要である。この事実を知る人が増えれば増える程、多くの人にとって馴染みのない外貨準備高や財務省証券といった専門用語に対する理解も深まるはずである。

日本が国際金融の世界でいかに搾取されているかという事実は、日本人はもとより、他の諸国や米国の経済学部の学生にさえ秘密にされている分野なのである。

このような背景から、読者に馴染みのない世界を平易な言葉で簡潔に伝えることが困難になるのである。今後予定されている私の小論が、読者の理解に少しでも役立てば幸いである。


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