ローマ教皇ピオ12世がナチスによるユダヤ人殺害について詳細な情報を持っていたことが新たな書簡で明らかになった
午前7:19 · 2023年9月17日
https://www.timesofisrael.com/new-letter-reveals-pope-pius-xii-had-detailed-information-on-nazi-killing-of-jews/
イスラエル・タイムズ紙
ローマ教皇ピオ12世がナチスによるユダヤ人殺害について
詳細な情報を持っていたことが新たな書簡で明らかになった
ポーランドでの大量殺戮に関するバチカン公文書館文書は、
外交報告を検証できなかったためホロコーストを糾弾できなかった
という聖座の主張を覆すものだった
https://timesofisrael.com/new-letter-reveals-pope-pius-xii-had-detailed-information-on-nazi-killing-of-jews/…
ローマ(AP) -
新たに発見された書簡によれば、
第二次世界大戦当時の教皇ピオ12世は、
ドイツ占領下のポーランドで毎日6,000人もの
ユダヤ人とポーランド人がガス処刑されている
という詳細な情報を、信頼するドイツのイエズス会士から得ていたという。
今週末、イタリアの日刊紙『コリエレ・デラ・セラ』に掲載された
バチカン公文書館からの文書は、
ピオスの遺産と、現在頓挫している彼の列福運動についての議論を
さらに煽ることになりそうだ。
歴史家たちの間では、
ピウスがユダヤ人の命を救うために静かな外交を行ったと主張する
支持者と、ホロコーストの中で沈黙を守ったという批判者の間で、
ピウスの記録について長い間意見が分かれていた。
Corriereは、バチカンの使徒公文書館の研究者であり
アーキビストであるジョバンニ・ココが、
ピウス教皇の教皇職に関する新たに公開された
ファイルに関する近刊の本の中に含まれている、
ドイツ人イエズス会司祭からピウスの秘書への
1942年12月14日付けの手紙を転載している。
この手紙は、カトリックの反ヒトラー・レジスタンスの一員であり、
バチカンに極秘情報を伝えることができたドイツの教会関係者からの、
ナチスによるユダヤ人絶滅に関する詳細な手紙であったからだ。
ローター・ケーニッヒ神父からピウスの秘書で同じドイツ人イエズス会の
ロバート・ライバー神父への手紙は1942年12月14日付である。
ドイツ語で書かれたこの手紙は、
「親愛なる友人」とライバーに宛てたもので、
ナチスが戦前のポーランドにあった町ラヴァ・ルスカ
(現在はウクライナにある)から
毎日6000人ものユダヤ人とポーランド人を殺害し、
ベルゼク死の収容所に移送していたことを報告している。
2004年にオープンしたベルゼク記念館によると、
収容所で亡くなったユダヤ人は合計50万人。
同記念館のウェブサイトによれば、ラ
ヴァ・ルスカ出身の3,500人ものユダヤ人が
1942年の早い時期にすでにベルゼクに送られており、
12月7日から11日にかけて、同市のユダヤ人ゲットーは清算された。
「およそ3,000~5,000人がその場で銃殺され、
2,000~5,000人がベウジェツに連行された」
とウェブサイトは述べている。
ケーニヒの手紙の日付が重要なのは、
ピウスがバチカンへのイギリスとポーランドの特使から、
ポーランドでこれまでに最大100万人のユダヤ人が殺された
という報告を受けたのと同じ1942年のクリスマスの3週間前に、
信頼できるイエズス会の仲間からの手紙が
ピウスのオフィスに届いたことを示唆しているからである。
ピウスがこの手紙を見たかどうかは定かではないが、
ライバーはピウスの最側近であり、
1920年代にバチカンの駐独大使だったときに教皇に仕えていた。
ピューリッツァー賞受賞の人類学者デイヴィッド・カーツァー著
『戦争中のローマ法王』によれば、
12月中旬、バチカン国務院トップのドメニコ・タルディーニ司教は、
バチカンが情報を確認できていないため、
ナチスの残虐行為についてローマ法王は発言できない
とバチカン駐在の英国特使に語ったという。
「この文書の新しさと重要性は、
ホロコーストに関して、ピウス12世がドイツのカトリック教会から、
ユダヤ人に対する犯罪について正確で詳細な情報を
受け取っていたことが確実となったという、
この事実から来ている。
1947年11月、バチカンからのラジオ放送中、
マイクの向こうに現れた教皇ピオ12世。
教皇は、戦争で荒廃したヨーロッパのために食糧を節約した
アメリカ国民を賞賛した。
(AP Photo/Luigi Felici)
しかし、ケーニッヒは、自分自身と情報を提供した
レジスタンスの情報源の命を案じて、
自分が明らかにしたことを公表しないよう聖座に求めた
とココは指摘した。
来月、ローマの教皇庁立グレゴリアン大学で開催される大規模な会議では、ピウスの遺産と、新たに公開されたバチカンの公文書館からの暴露が
議論される予定である。
バチカン、イスラエルのヤド・ヴァシェム・ホロコースト研究所、
アメリカのホロコースト記念館、イスラエル大使館、
アメリカ大使館などが後援している。
バチカン国務長官であるピエトロ・パロリン枢機卿は、
10月9日から11日にかけて開催される会議の開会を予定している。
この会議には、カーツァー、ココ、そして2021年に出版された
『ピウス12世とユダヤ人』という自著で
ピウスとバチカンのユダヤ人や
戦争から逃れてきた人々へのケアを称賛した
バチカン国務長官のアーキビストである
ヨハン・イクスなどの研究者が参加する予定である。
ココ氏によれば、
ケーニッヒの手紙は実際には
バチカンの国家事務局公文書館で発見されたもので、
バチカンの主要な使徒文書館に引き渡されたのは
2019年になってからだという。
国家事務局の書類は整理されずに散乱しており、
ピウスの文書の一部はプラスチック容器に入れられ、
熱と湿気で傷んでいる屋根裏の保管スペースに保管されていたからだ。
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