JFK暗殺の首謀者は誰か 2 フランク 2023年7月17日 14:13 7月 16, 2023 第107回「JFK暗殺の首謀者は誰か」1-11-21-31-41-51-6ロバート・ケネディ・F・Jrは、ニューハンプシャー州に力を入れているこの数字は大地殻変動の表れでないか1-72-12-2ロバート・・F・ケネディ・Jrが「アメリカン・バリューズ」の著書を出す2-3ジャック→JFKのこと2-4JFKとRFKは、議員時代に、一緒にベトナムを訪問2-52-6JFKは、ベトナムの植民地時代の歴史について勉強。ベトナム史を4冊手に入れ、知り合ったフランス語に堪能な美人記者の助けを借りたその名はジャクリーンでロマンスが花を開いた2-7アイゼンハワーからフランスの援助要請を受け入れたと非難されJFKは、民主党内で孤立2-8ペンタゴン・ペーパーで南ベトナムの国家とその腐敗した政府はCIAが作ったものであることを暴露したCIAはベトナム国内の41の州のうち、20の州で影の政府を運営し官民軍のあらゆるレベルにスパイをおいた2-9アイゼンハワー大統領は685人の軍事顧問をベトナムに派遣ドミノ理論を展開しベトナムへの介入を正当化した2-10国防総省雄はJFKに3600人の地上部隊をベトナムに派遣することを要請したが、新任のJFK大統領はこの派遣に嫌悪感を示し、100人だけの軍事顧問を承認した「米軍はアジア本土に関係がない」「戦争部隊は断固として否定した」共産主義に弱腰だと、ジョンソン副大統領、マクナマラ国防長官、国務長官、国家安全保障顧問、色々な将軍の反感をかった2-11JFKの要請でジョンソン副大統領はベトナムを訪問視察後、軍事顧問や装備を送るだけでは不十分で勝利には、米軍の戦闘部隊が必要だと強く主張。JFKは、南ベトナムを支援することは出来ても、ベトナムのために戦うことは出来ないと断固として抵抗した2-12JFKは、テイラー将軍をベトナムに派遣させるテイラーの報告では、ベトナムの崩壊を防ぐには、当初は8000人規模の米軍が必要で戦闘部隊を6個師団(20万5000人)まで拡大する必要があると報告JFKは、既に1962年の春に、マクナマラ国防長官に1965年末までにベトナムから米軍を完全撤退させるよう命じていた1963年の夏から秋にかけてJFKのまわりは抵抗者だらけでコントロール出来ないことに気が付くJFKはCIAは悪性腫瘍のようだ、とてつもない権力を持ちながら、説明責任をはたしていない1963年10月、国家安全保障命令を発行。1965年末までにベトナムから米軍撤退するという命令を出した。1963年11月20日、テキサス州ダラスでベトナムからの撤退を公表した。2-131963年11月22日、ダラスで暗殺される(一連の流れと背景を理解すると誰が暗殺を企てたか理解できるね)(JFK、RFKは完全孤立無援状態だったんだ)11月24日、ジョンソン副大統領が大統領に昇格50万人の米兵ががベトナムに行き、58,000人の米兵が死亡2-143-13-23-33-43-53-63-73-8JFKの就任の3日前に演説バーナードバルークがアイゼンハワーを大統領に担ぎ上げた3-93-103-113-123-13スメドリーバトラー将軍連邦議会議事堂前で演説3-143-15 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #林千勝氏 #第107回 #ロバート・F・ケネディ・Jr #JFK暗殺の首謀者は誰か 2