Vol.10 他己評価に左右されて生きてきた人生だった
最近、転職を検討する中で、「自分が本当にやりたいこと」について考えることが多い。
やりたいことを考える上で、
自分がこれまでの人生で本気で取り組めたことはなんですか?
その質問を考えた時に、
思い返すと、いつも何かに対して「見返してやる」「悔しい」「なんで俺はこんな感じなんだろう」と思うことばかりだった。
自分には妹がいる。
幼い頃、自分の父親はよく妹のことを褒め、自分のことは特に何も言わない。むしろ怒られてばかりだった。
妹は自分と違って、なんというか要領がいいタイプだった。
本人はどう思っているかわからないけど、自分にはない何かがあった。
そして、それを親父に褒められ、愛された。
今、大人になってみると、自分のことを愛していなかったということではないと思う。
父親には、おそらく見本になるような父親像がなく、どう接すればいいのかわからなかったのだと思う。
ここまで考えてたかも正直わからないが、自分には厳しかったのは事実だ。
そんな幼少期を過ごしたおかげで、自分は自分のことを「持たざるもの」だと認識するようになった。
そして、次は高校生になった時。
中学校を卒業する頃、自分の顔がとにかく嫌になっていた。
親の影響でジャニーズが好きだったのだが、自分はそんな人たちとは到底違うレベルだということに気がついた。
そして高校に入学した時、自分のそんな気持ちを知りもせず、周りが自分のことをブサイクいじりをし始めた。
本当に嫌だった。初めて、人のことを本気で嫌いになった瞬間だった。
もっと嫌だったのが、そんな周りのことを反論できず、ただ聞き流すことしかできなかったことだ。
そんな状況だったので、とにかく学校に行くのが嫌で、親に相談したりもした。
親に相談すると、「言い返せばいいじゃん」と言われた。
言い返せないから悩んでるのに。親なのに、そんなこともわからないのかと、絶望した。
それ以来、親に本音を話しても意味がないのだなと思うようになった。
別に、間違っているわけではない。でも、今の自分にとっての正解ではない。
ただ、「辛いね、自分は味方だよ」
そう言って欲しかったんだと思う。
そんなことがあって、自分の自己肯定感はマイナスになった。
そこから、自分の人生はいかにして人に認められるか、人に俺のことをすごいと思ってもらえるかが一つの軸になった。
それで挑んだ大学受験は、大成功だった。
高校の時、自分の成績はドベから3番目くらい。とにかく馬鹿にされたから、本気で嬉しかった。「見返してやった」と。
自分の妹が自分より偏差値が低い大学に行った時、心のどこかで嬉しいなと思ってしまったりした。
結局のところ、満たされていないのだ。
自分のことを愛せないからこそ、努力して愛せるようになりたいというモチベーションで頑張っているのだ。
そんな、人生をこれまで歩んできたからこそ、自分のモチベーションの根源は、劣等感にあるのだと思っていた。
あまりにも幼い時からこの想いが根づいたいたから、間違っていないが、よくよく考えてみた。
自分のことを認められるように、愛せるようになったら、自分はなにがしたいのだろうと。
一瞬、戸惑った。
満たされない自分がデフォルトだったから、満たされた後のことが想像できなかった。
そんな時、大学受験を成功させ自分の原体験だった妹との差や、父親からの接され方について、既に解決されているのに自分はまだ満たされない人生を歩んでいることに気がついた。
なぜだろう、そう考えていた時、自分の人生の軸が他己評価をもとにしていることが原因なのではないかと思うようになった。
今まで、人からどう思われたいかを第一にしていたから、自分がどうしたいかに本気で向き合うことが実はできていなかったのかもしれない。
だから、空っぽだし、いつまで経っても満たされないのかもしれない。
今日そんなことに気がついた。
思えば、5年後になりたい自分の理想像は
・同世代のトップになる
・5年後に年収1500万になる
・美女と付き合ってやりまくる
・自分に自信がある状態
・仕事ができるという自信と周りからの評価
・性別問わずリスペクトされ、異性からはモテる状態
などなど、とにかく周りに対して自分がどんな立ち位置かに重きを置いた目標設定になっていた。
悪くはないけど、仮に自分が五年後理想像を達成したとして、本当に満たされているのだろうか、と少し疑問を抱いた。
満たされていたとしても、心のどこかで自分に嘘をついていたりしないか
そんな気がした。
だから、本来的に自分の中にある、自分がやりたいことに意識を投下しよう、その上で今まで掲げていた目標を達成しようと思うようになった。
社会人として、大人としてある程度のコミュニケーションができれば、そんなに人に合わせなくてもいいし、考えなくてもいい。
人に人生をこれ以上左右されなくてもいい。嫌われてもいい
少しはそう思えるようになった気がする。
同時に、自分の劣等感に蓋をする必要もないということに気がついた。
俺は劣等感なんてない、
ではなく
劣等感もあっていいんだ、それをモチベーションにしてもいいんだ。
でも、自分のことを大事にして、本当にやりたいことを常に大事にして生きよう。
そうやって、自分のことを受け入れよう。
他己評価ではなく、自分が本当にやりたいことを軸に生きよう。
そう思った週末だった。