別れを惜しむ時
はじめてのnoteです。
今までは様々な方の考え方を学ばせていただいたり、自分の知識を広げる為に読む事が殆どでした。
今回とある出来事から初めてポストしてみようと思い立ちました。
タイトルは「別れを惜しむ時」
「別れ」といっても様々ですが
人間四十にも近くなると色々な「別れ」を経験します。
また会う機会はある「別れ」
もう会えないと思われる「別れ」
物理的に二度と会えない「別れ」
細分化はまだまだありそうですが、ふと思い付くくらいではこんな感じでしょうか。
近年、親族や知人等で先述の所謂三番目にあたる
「別れ」が非常に多いです。
40年も生きていれば統計上、当たり前なのですが、
そのひとつひとつには本当に考えさせられます。
いつも通り朝起きて、日常を過ごしていく
毎日は同じではないけれど何か得ているのか。
特に非常事態宣言以降そのような日々を過ごしていたように思います。
話は戻り先日、社会人になって本当にお世話になった方が急逝されました。
入社直後、社会人として何も分からなかった私を指導していただき、同時に事務員として業務面でサポートをしていただいた方でした。
当時、同部署の先輩社員の家庭でトラブルが生じ
後輩である私に代役として仕事が振られた事がありました。
当時の上司はトラブルの内容もそのトラブル自体も私に説明無く当面の仕事を割り振りました。
私も若く、理由を教えてもらえない事に納得が出来ず
不貞腐れていたのでしょう。(言われなくても忖度しろというメッセージだったのかもしれません)
その時、その方は私を呼び出し、理由を教えてくれました。但しそれは知らない事にするという約束前提で。
普段は明るく、周りの人を笑顔にするその方は
私の父と同じ歳で、冗談交じりに私を会社内の息子だとよく言っていました。
それから16年。
まさかこんな早く「別れ」が来るなんて
人伝てに連絡を受けた時、ショックと同時にこのコロナ禍でお通夜には参列したいが可能なのか?
会社から代表者が参列の場合は諦めなければならないのか?
そもそも家族葬になってしまわないか?
しかし当日、私の予想を覆す結果になりました。
会場には当時の同僚や引退した方々、代表者の参列ではなく各人が集うものでした。まさに故人の人柄、人望を目の当たりにした感覚でした。
それでも昨今の状況から参列を控えた方も居たようです。
悲しみは拭えませんが、故人の遺影写真はあの当時皆を笑顔にした頃そのままのもので、自分が死んだらこういう風になりたい。皆に見送られて、少なくとも皆が集まる機会を作りたい。
そう思わせてくれた故人には最後の最後まで憧れを抱きました。
家族や周りの方々に感謝の気持ちを忘れずに
当たり前の事を日々積み上げる大切さ。
大事な事を最後まで学ばせていただきました。
本当に有り難う御座いました。
御冥福をお祈り致します。