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作家志望ADHDが家の中を片付ける act.1 はぐれた靴下の大群

片付けの記録をnoteに書き散らすことにした。
「act.0 洗面所に入りたい」はこちら。

計画通り、洗面所の次は洗濯物を片付ける。
タイトルは金子玲介風にしてみた。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000403272

もうすぐ「木村」発売日だ。楽しみ。

よく「洗濯物の山」というけれど、我が家にもそこそこ標高の高い山が存在する。
まあまあな訓練を積まないと登れないくらいには高い山だ。
我が家の構成メンバーの洗濯物に対する意識調査の結果はこうだ。

私▶洗濯機を回すのは好き、干すのは普通、たたむのは苦にはならない、しまうのは苦手
パートナー▶洗濯機を回すのは好き、干すくらいならコインランドリーにぶちこむ、たたむのは苦手、しまうのは苦にはならない
中学生▶なにもしたくない(言われればやる)
小学生▶なにもしたくない

なんと半数のメンバーが「なにもしたくない」と回答。前途多難。

洗濯物の山というのは、洗濯して乾いた状態の衣類やタオルなどだ。
つまり、洗う、乾かす、たたむ、しまう、の四つの工程のうち半分は終わっている。
我が家には、たたむのが苦ではない人(私)と、しまうのは苦ではない人(パートナー)がいるにも関わらず、なぜ残り二つの工程が残されたまま山となってしまうのだろうか。
私は、たたむのは苦ではない、とはいうものの、はちゃめちゃに元気な状態でないとたたむ気が起きない。
パートナーは、私がたたまないとしまうことができない。私がたたんでも、コンディションが整っていないとしまえない。
果たしてそれは「苦ではない」のだろうか。「苦」でしょ、どう考えても。

だいたい全自動洗濯機と名乗っておいて、自動なのはせいぜい洗って乾かすところまで。
我が家の洗濯機には乾燥機能はついていないので洗うところまで。
そのあとこそ全自動でお願いしたい部分ではないのか。
あっ、いえ、もちろん洗う工程だけでも自動でやっていただけて感謝しています。ありがとう。ありがとう。

さて、洗濯物をたたもう。
まずは、洗濯物をたたむ場所を確保するため片付けるという、一般的なご家庭では必要ないであろう工程が挟まるのが我が家だ。
とにかく足の踏み場もないほど散らかっている。
「act.0 洗面所に入りたい」でも書いたが、生ゴミや食べ残しなどは放置していない。
そこにあるのは鉛筆、ノート、ゲームのコントローラー、髪のピン、学校から来たプリント(いらないもの)、読み終わった雑誌、買った家電の空き箱……。
あらゆる生活の痕跡がここにある。
このままでは我が家のキッズも片付けできない人間になってしまう。
いや、なりかけている。
早く歯止めをかけなくては。

ちなみに、私の両親(特に母親)は神経質で整理整頓が上手というか、片付けないと気が済まない性質だったので、実家はどこもかしこも整然としていた。
今で言うミニマリストだったのだろう、無駄なものもほとんどなかった。
田舎なので家も大きく、それなりの部屋数があったが、何も置いていない部屋というのがけっこうな数あった。
だから私は、自分が片付けできないことに、高校を卒業して一人暮らしをするまで気づいていなかった。
実家にも自分の部屋はあったが、勉強机と本棚とベッドしかない部屋だった。
本の乱れは許さない性分なので本棚はいつでも整然としていた。
だから、パッと見た限りでは私の部屋は散らかっていなかったのだ。
でも、当然机の引き出しの中は混沌としていた。
よくある学習机で、お腹の正面に引き出しが一つと、右側に引き出しが三つついているタイプのものだった。
右側の引き出しの一番下は深くなっていた。
そこがいけない。
開けてはならぬ引き出しと化していた。
たまにその中で醸造されたなにかをこっそり捨てていた。
学校の机の引き出しはきれいだったと思う。
よく同級生の男の子が、引き出しの中に給食のパンを入れたまま忘れてカビさせたり、牛乳を入れて忘れてヨーグルト状のものが発見された。
そういったことは私の引き出しでは起こらなかったはずだ。
でもおとなになってから「あんたは学校のお知らせのプリントを持ち帰ってこないから困っていた」と母に言われた。
親にプリントを出さなかったという記憶がない。
出し忘れた、まずい……とあせった記憶が一切ないのだ。
プリントがあとから出てきたような記憶もない。
きれいだったはずの学校の机の引き出しはどこか異次元とつながっていたのだろう。

とにかく私の部屋もパッと見た限りでは、整頓されていた。

それが一人暮らしを始めたとたんに、奇妙なことが起こり始めた。
服が、服の山がどんどん高くなっていくのだ。
私一人分しかないはずの服が、いつの間にか床を埋めつくしていた。
本も順調に増殖していた。

一人暮らしをして、バイトを始めた。
お恥ずかしながら学費と家賃は親のすねをかじっていた。
当時は光熱費も今ほど高くないし、大学とバイトで家にいないのでそんなにかからないし夕飯はバイト先のまかないを食べていたので食費もたかが知れている。
生活費を支払って残ったバイト代は本と服に消えた。
初めての一人暮らし。
自由に買い物に行ける喜びで金銭感覚がバグった。
思うままに本と服を買った。
そのためにどんどん働いた。
ものがどんどん増えた。
実家では学習机の引き出しひとつにとどまっていた混沌が、部屋を侵食し始めたのだ。
社会人になって、手にする金額が増えたことによって、その暴走は歯止めがきかなくなった。

かくして、片付けられない人間が、ものに埋もれながら片付け続けるマッチポンプ生活が始まったのだ。

また盛大に話がそれた。

なんとか洗濯物をたたむスペースを確保した。
床に散らばっていたものを、ダイニングテーブルに載せたのだ。
こうしてダイニングテーブルの上にはチバニアンもびっくりの地層が積み重なって出現している。
あらゆる場所を片付けるたびに出てきた「なんだかわからないけど捨てるものではなさそう」というふわっとしたアイテムがここに集結して、さながらジェンガのように絶妙なバランスでこんもりとした山になっている。
高さをはかってみたらおよそ1メートル。
もう一年以上もダイニングテーブルで食事をとっていない。
ダイニングテーブルが使えないのでアウトドアテーブルを出してそこで食事をしている。
毎日がキャンプ気分だ。それはそれで楽しい。

洗濯物の山の次には、ダイニングテーブルの山を開墾することになるだろう。

今はまず洗濯物だ。脇目をふるな。雑念を捨てろ。
たたんでたたんでたたむのだ。
手を動かす者しかその頂きに立つことはできない。
二時間以上をかけ、洗濯物をたたみきった。
アイテム数が多いので時間がかかる。
なぜこんなにアイテム数が多いのか。

服が管理できないから着たい時に見つからない→見つからないから買う→増える→増えるから管理できない→管理できないから……。

という悪循環にはまっている。

そこで、ひとりでもこの悪循環から脱出させるべく、中学生の服を「たたまない」システムを導入した。

学校に着ていく服
部屋着、パジャマ
でかけるときに着る服
防寒着など季節もの

に大きく分類して、ほとんどをハンガーにかけた。
ハンガーにかけないのは肌着と下着と靴下だ。
それからハンカチ、タオル、帽子やマフラーなど。
それらは引き出しにぽいぽい放り込む。
ハンカチとタオルと肌着は軽くたたむけど、他はたたまない。
靴下は同じ靴下を何組か買って放り込む。
下着、帽子、マフラーはたたまない。

これで一人分ではあるが洗濯物をたたむストレスから解放された。
いずれ小学生にもそのシステムを導入する。
実はまだ小学生の部屋のクローゼットの中に詰め込まれた荷物を出していないので、それを出したらたたまないシステムを導入する。

さて、他の洗濯物もせっせとたたみ、せっせと収納する。

ここで、ある奇妙な現象に気づく。
かたいっぽ靴下の大群だ。
いや、待ってほしい。
かたいっぽ靴下が出てくるのは、あるあるだ。
とりたてて騒ぐことではない。
そこにないもうかたいっぽの靴下のゆくえはといえば。
テレビボードの下。
ベッドのマットレスの隙間。
はたまたなぜか通勤用バッグの中。
あらゆる場所に彼らは息をひそめている。
しかし経験則で見つけ出すことができる。

問題なのはその数だ。
大群なのだ。

かたいっぽ靴下だけを集めて、木爾チレンの作品よろしく「二人一組になってください」と声をかけ、組になったものは退場していただいた。
残ったかたいっぽ靴下の大群を、いたずらに数えてみた。

86足。

ということは、同じ数の見失った靴下(かたいっぽ)が家の中にひそんでいるのだ。
そんなに?
そんなに!?!?

かたいっぽの靴下を捨てることは、断じてない。
靴下が家からひとりでに出ていくこともないだろう。

食べちゃったのかな。
もうそれしか考えられない。
靴下、食べちゃった。

いや、それもないだろう。たぶん。

もうかたいっぽの靴下を探す旅が、今始まるーー。

二人一組になってほしい。
切実に。

次回は、ダイニングテーブルの開墾をする。




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