レッテルまみれの世の中で

樹木希林さんがついこの間亡くなって、彼女の新聞広告だったりとか彼女が残した言葉がツイッターとかのSNSで拡散さた。

彼女の言葉はずっしりと重みがあって、人々が心の中で我慢しながら思っている事を的確に且つ柔らかく、どこか親しみがもてるような表現できる人だと思う。
彼女が残していった言葉は、亡くなった後より人々の心に届いていった。

そんな自分も以前この動画を見たときに、自分が我慢してた事や悩んでいたことがスッキリした。

僕はこの動画を見てが「レッテル」という言葉をまず第一に思い浮かべた。
レッテルに悩んだ時期があることを同時に思い出す。



父親の仕事の関係で2カ国に移住したことがある。
そう俗にいう帰国子女である。
高校受験に合わせて中学3年生の時は日本に帰ってきて、地元の中学校に通うことになった。

そこで「帰国子女」というレッテルが邪魔をする。

当時の担任の先生は女性の方でいわゆるベテランの先生だった。あまり笑う事もなく、自分の信念・プライドが高い方だった。
先生は「帰国子女」というのは英語はもちろん他の学問でも優秀な人。という概念を持っている方だった。確かに周りの友達は勉強できる子が多いし、一流大学に通っている子も本当に多い。でも僕は昔から勉強が物凄く得意なわけでは無いし、中の下くらいだと自負してるくらい。

「私の知っている帰国子女は優秀なはずだけど、
あなたの成績を見て失望しました。」
第一声にこれを言われる。自分にしては良くできたと思う。(5教科平均70点くらい)
帰国子女のみんながみんな勉強できるわけでは無いし、先入観を押し付けられるのが本当にしんどかった。その後もずっと「帰国子女なのに」とかぐちぐち言われて
「帰国子女」ってことだけで勉強できるとか英語がネイティブ並みに喋れるとか言われるけど、帰国子女みんながそうでは無いって事を分かって欲しい(笑)

他の誰でも無い、「私」を楽しむ。
わたしは、私。

帰国子女になりたくてなったわけじゃ無いけど、いった国にはたくさん友達もいるし、本当に色々な経験ができたと思う。周りからは色々言われたし、帰国子女っていう響は好きじゃなかった。帰国子女は優秀っていう世間の固定概念も好きじゃなかった。

でも周りの意見を気にしている暇なんないし、
帰国子女の福本とは一生付き合っていかないといけない。
でも帰国子女でも自分らしくこれからも過ごしていきたいと。
優秀でも英語も完璧にできない、
自分らしい帰国子女。他の誰でも無い帰国子女の自分を楽しむ。

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