「やらない力」が重要だった
惰性でダラダラやってしまう漫画、動画、ゲームといった娯楽の類を禁止したら、自分は一体どうなるのだろうか?
そもそも、そんなことが可能なのか?
という実験を今年のはじめから試している。かれこれ3週間くらいになるだろうか。たまに失敗して、気づいたら四千頭身の漫才でケラケラ笑っていることもあった。それでも惰性で過ごす時間はたしかに減った。自分でもやればできるもんだと驚いている。
ケリー・マクゴニガルさんの著書『スタンフォードの自分を変える教室』では、
という3つの意思力が紹介されている。
自分はいままで「やる力」に多くのエネルギーを使っていた。
今日はこの仕事をやるぞ!
今日はこれだけの文章を書くぞ!
今日こそは運動するぞ!
という感じで気合を入れるのだが、なんとなく不完全燃焼で一日を終えることが多かった。
どうも「やるぞ!」だけではうまくいかないらしい。そこで意思力の使い方を変えてみようと思い立ち、今月は「やらない力」を意識してみることにしたのであった。
「やらない力」を使い始めてほどなくして、一日が長いと感じた。時間を忘れるほど没頭できる休憩を禁止してしまったから、やることがなくて退屈しはじめたのだ。
やらなきゃいけないことは沢山あるのに退屈なのだ。しばし退屈を持て余していたところ、おもむろに自分は不思議なことをし始めた。
やることがないと自分は文章を書き始めるらしく、自然と文章のアウトプットがはかどるようになった。
漫画を禁止されると自分はkindleを読み始めるらしく、自然と積ん読が消化されはじめた。
「やらない力」に意思力を使ったら、いままで「やる力」でがんばっていた「文章を書く」とか「読書」といった行動を、がんばらなくても自然にやりはじめたのだ。
なんだ、自分はちゃんと文章が書きたいし、本を読みたいと思っていたのか。と嬉しくなった。
Twitterで「好きなことのはずなのに時間がとれない」という悩みをよく見かける。この悩みの裏には「本当に好きなことだったらどんなに時間がなくてもやるでしょ」という信仰がある。
そして「自然と身体が動かないから、そこまで好きじゃないのかもしれない」という疑いが育っていく。
本当にそうなのだろうか。
もしかしたらあなたの時間は、強すぎる刺激に奪われているのかもしれない。その可能性に少し、思いを馳せてみてほしい。
疲れているときにはお酒が飲みたくなったり、甘いものが食べたくなる。「やらない力」が働かず、自制が効かないからだ。そんなとき手元には数秒で摂取できる快楽がある。触れるだけで気持ちよくなれるスイッチがあれば動物はそれを延々と押し続けるだろう。
スマホを触っているうちに、気づけば「自分だけの時間」は終わっている。
毎日ヘトヘトになるまで働いて、ようやく時間があいても「意思力」はカラッカラだ。意思力がなければ「やる力」も「やらない力」もはたらかない。
何か書くならちゃんと書きたい。大切な本はしっかり読みたい。好きだからこそちゃんと向き合いたい。そのためのエネルギーが必要なのだ。
「好きなことをしたい」という想いがないのではない。快楽をもたらすものが身近に多すぎるのだ。
だから「やらない力」が求められるのだ。
かこう!かこう!今日こそかこう!
といくら「やる力」を振り絞ってもうまくいかないのなら、
刺激から距離をおこう
と「やらない力」を発揮するだけでもしかしたらいつもと違う光景がみえてくるかもしれない。
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