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社会会計によるマクロ経済学 第1回「『失われた30年』から脱却するための方法論」

1.はじめに:マクロ経済学の史的展開

1990年代初頭のバブル崩壊から30年が経過した。1990年代後半の金融危機を経て日本の長期停滞が続いている。その間、GDP、名目賃金が減少・停滞しただけでなく、20年以上にわたるゼロ金利政策、10年近くの異次元緩和政策にもかかわらず、未だデフレから脱却できたとはいえない。他方、2022年以降は世界的な資源価格の高騰と急速な円安も相俟ってコストプッシュ・インフレの兆しもある。名目賃金が伸び悩む中、欧米諸国並のインフレが加速するならば、スタグフレーション(不況下のインフレ)に陥るリスクさえ否定できない。

かつて2度の世界大戦の戦間期にも世界的な長期停滞があった。1929年10月に米国の株式大暴落に端を発する世界大恐慌の中、最悪時(1933年)には米国でGDP半減、株価8割減、失業率25%にも達した。

世界大恐慌に直面して、当時の経済学には政策的に為す術がなかった。なぜなら、元来、政治経済学として出発した古典派も、19世紀後半に登場した新古典派(今でいうミクロ経済学)も、「需要と供給の均衡点で価格と数量が決定される」という共通の「需要・供給モデル」を基本的枠組みとしていながら、いずれもマクロ変数(社会全体の集計量)としての総需要関数の存在を抜きにして理論構築がなされていたからである。

これに対し、ケインズは完全雇用を達成し、大恐慌から脱却するため、公共投資と設備投資を軸とする総需要管理政策を主張した。消費と投資からなる総需要関数と生産の総供給関数の交点で決定される「有効需要」の喚起を求めたのである。社会全体の総需要、国民所得、消費、投資、貯蓄といったマクロ変数を対象とする新しい経済学が「一般理論」(1936年)であり、これによりマクロ経済学が確立した。

戦後、ケインズ経済学とも称されたマクロ経済学は、1970年代のスタグフレーションへの政策的対応に失敗したこともあり、1980年代以降、合理的期待仮説からの批判に晒された。その結果、現代マクロ経済学は、「代表的個人」の予想や心理を数学的に解析する合理的期待仮説や限界効用説といった「ミクロ的基礎」による実物的景気循環(RBC: Real Business Cycle)モデルや動学的確率一般均衡(DSGE: Dynamic Stochastic General Equilibrium)モデルへと変質した。

しかし、「ミクロ的基礎」では、マクロ経済学の対象である社会全体にこれを適用する場合、誰の目にも見えない代表的個人の限界効用や合理的期待に依存する総需要関数や総供給関数から現実のマクロ変数を導くことは不可能である。それ故に現代マクロ経済学は、1990年代の日本のバブル崩壊・金融危機から続く長期停滞、1997-1998年のアジア通貨危機、そして2008-2009年の世界金融危機に際して、その予測も、原因分析も、政策的対応もできなかった。いわば1930年代当時の経済学と同様の失敗を繰り返したのである。

では、我々が直面する長期停滞という現実に対応できる新たなマクロ経済学はあるのだろうか。

実は、国際金融の実務の現場においても、ケインズは巨大な足跡を残している。ブレトンウッズ会議(1944年7月)に先立ち、ケインズは、米国の対英借款に伴う巨額の負担を軽減し、米ドルの基軸通貨化を阻止すべく国際決済同盟の発行する合成通貨「バンコール」を用いた貿易決済と資本取引規制の仕組みを提案していた。戦時中の英米両国の関係からケインズ案が実現することはなかったが、1945年12月に金との交換比率を固定した米ドルを基軸通貨とするブレトンウッズ(IMF/世銀)体制が発足した。

ブレトンウッズ体制は『国際貿易の拡大及び均衡のとれた増大を促進し、これにより経済政策の第一義的目標として全加盟国における高水準の雇用と実質所得の促進及び維持並びに生産資源の開発に寄与する』(IMF協定第1条第2号)ことを目的とする。その実現手段として、ケインズの系譜を受け継ぐストーン(1984年ノーベル経済学賞受賞者)が委員長を務めた国際連盟統計専門家委員会報告書(1947年)の序文において、(i)国民所得の測定と社会会計の構築、 (ii)銀行統計、そして(iii)国際収支統計という相互補完的な3つのマクロ経済統計の整備の重要性が指摘されている。特筆すべきは、ストーン自身の独自案(同報告書附属書)として、現在の国民経済計算体系(SNA: System of National Accounts)の原型となる社会会計フレームワークが提示されたことである。

筆者は、日本の長期停滞からの脱却という現代マクロ経済学に残された課題を解決するため、社会会計の観点からマクロ経済学を再構築すべきと考えている。

社会会計とは、政府の意思決定に伴う責任の体系である。会計学にあって、経済学にないものは、ロックのいう固有権(Property: 生命・自由・財産)を信託する委託者(trustor)、受託者(trustee=fiduciary)としての政府、固有権の実質的所有権者(主権者)である信託受益権者(trust beneficiary)としての国民という信託関係である(図表1参照)。

そして、会計基準の目的は、信託関係における会計責任(accountability)の明確化、殊に社会会計においては、受託者(政府)の信託受益権者(国民)に対する受託者責任(fiduciary duty)を数字で明らかにすることにある。

社会会計フレームワークに基づく1994-2019年の26年間分のマクロ経済分析によって、1990年代のバブル崩壊、そして金融危機に端を発する日本の長期停滞、すなわちGDP、賃金の減少・停滞、そして長期にわたるデフレの原因を分析することができる。一見すると膨大な数字の羅列にしか見えないかも知れないが、そこでは政府・日銀による財政・金融政策の結果とその責任の全てが明らかにされる。

それだけではない。日本経済を構成する事業会社、金融機関、家計、そして海外部門といった制度部門間でのあらゆる経済循環とマネーの動きが社会会計フレームワークに従って記録・表示されている。その数字の一つ一つが語るバブル崩壊、金融危機、それに続く長期停滞とデフレのストーリーに耳を傾けることによって、日本の長期停滞の正確な原因分析を行い、社会会計フレームワークに基づく様々なシミュレーションを実施した後、我々はこれらの困難を克服する真に有効かつ最適な処方箋を書くことができる。

なぜ経済学(現代マクロ経済学)は、1990年代の日本のバブル崩壊・金融危機から続く長期停滞、1997-1998年のアジア通貨危機、そして2008-2009年の世界金融危機に際して、その予測も、原因分析も、政策的対応もできなかったのか。逆に会計学(社会会計)ならどうして長期停滞や金融危機の予測、原因分析、そして政策的対応が可能となるのか。その疑問に答えるためには、両者の物事の見方や思考方法における基本的枠組みの違いから理解しなければならない。

2.経済学と会計学の基本的枠組みの違い

ミクロ経済学

アダム・スミスの「国富論」(1776年)を始祖とする経済学は、19世紀末にマーシャルの部分均衡モデル、すなわち「ある商品の価格と数量は需要と供給の均衡点で決定される」という需要・供給モデルを基本的枠組みとして一応の完成を見たとされる。現在、新古典派のミクロ経済学と称されるものである。

マクロ経済学

これに対して、同時期にワルラスが体系化した一般均衡モデルは、「市場における全ての商品の価格と数量は需要と供給の均衡点で決定される」と考える点で、一国経済全体を対象とするマクロ経済学の萌芽であったとも評価できる。

明示的に「マクロ経済学」という用語が定着したのは第二次大戦後のことだが、ケインズ「一般理論」(1936年)を解説したヒックスの論文「ケインズと『古典派』」(1937年)において、財市場と貨幣市場における需要と供給の同時均衡を表現するIS-LMモデルが提示された。

「ミクロ的基礎」による現代マクロ経済学

このように一国経済全体を対象とするマクロ経済学においても、ミクロ経済学同様、市場における需要・供給モデルが基本的枠組みとされている。従って、マクロ計量モデルは、需要と供給の均衡に向けた一定の調整経路とタイム・ラグを伴うマクロ変数(社会全体の集計量)間の相互関係を表す複数の構造方程式(連立方程式)から構成される。

ところが、マクロ経済政策の変更に伴う経済予測をする上で、「経験的に決定された構造方程式のパラメータ(係数)は不変」という暗黙の仮定が置かれていたため、1970年代以降の米国では社会状況の変化に連れて経済予測と実績値との乖離が拡大の一途を辿った。

マクロ計量モデルによる経済予測が実績値と乖離するのであれば、その原因はモデル構造(構造方程式とパラメータ)そのものにあるのではないか。いわゆる「ルーカス批判」(1976年)において、彼は「マクロ経済政策の変更がなされる場合、『合理的期待(rational expectations)』の変化に伴い、モデル構造自体に変化が生ずる結果、そのモデルに基づくマクロ経済政策の評価もできなくなってしまう」と批判した。その結果、1980年代以降、マクロ経済学の世界は一変し、不動のモデル構造とされる「ミクロ的基礎(micro-foundation)」を持たないマクロ計量モデルは駆逐されていった。

ミクロ的基礎では、市場における唯一人の「代表的個人(representative agent)」の存在を仮定する。代表的個人はミクロの経済主体の総和である。従って、マクロ変数は単純なミクロの集計、すなわち「ミクロの相似拡大」とされる。

政策変更に伴う合理的期待の変化の影響を受けない代表的個人の効用、選好、技術、情報等、本来、観測不可能な概念から導かれる最適化経路を不動の構造方程式(ミクロ的基礎)として数学的に設定した上で、政策変更等のショックが生じた場合のマクロ変数(例えば、国民所得、消費、貯蓄、投資等)へのインパクトを予測するのが、現在、主流の実物的景気循環(RBC: Real Business Cycle)モデルや動学的確率一般均衡(DSGE: Dynamic Stochastic General Equilibrium)モデルである。

RBCモデルは、その名の通り実物面(real)のみに分析対象を限定し、金融面(financial)の取引・事象を排除した。また、DSGEモデルにおいて、そのモデル構造(構造方程式)にマネーストック(流動性)に関する内生変数やパラメータを含む場合もあるが、社会全体の信用リスクの顕在化、すなわちバブル崩壊や金融危機に伴う「不良債権」の発生を唯一人の代表的個人からなるミクロ的基礎(構造方程式)に組み込むことは論理的に不可能である。従って、RBCモデルやDSGEモデルに代表される現代マクロ経済学が、2008-2009年の世界金融危機に際してその予測も、その後の政策的な対応もできずに欧米でも厳しい批判に晒されたのも当然のことだった。

会計学

同じく一国経済全体の経済循環を対象とする社会会計は、複式簿記の原則を基本的枠組みとする。具体的には、国連機関等のSNA(System of National Accounts)と呼ばれる社会会計の基準、すなわち複式簿記の原則に準拠してマクロ経済統計が作成・開示されている。現在、日本においても内閣府がSNA2008年基準に基づき、1994年から2020年までのデータを「国民経済計算年報」として作成・開示している。

また、国内的な実物面(real)での経済循環だけでなく、金融面(financial)に関する資金循環統計(Flow-of-Funds Accounts)、対外取引に関する国際収支統計(Balance of Payments)のいずれも複式簿記の原則に従って作成され、首尾一貫してSNAに接続されている。

従って、複式簿記の原則に基づく社会会計フレームワークによって、対外取引も含め、一国経済全体の経済循環の実物面(real)と金融面(financial)の全てがカバーされるのである。

社会会計フレームワークの場合、調整経路なしで借方[debit]と貸方[credit]の同時均衡が常に成立する。従って、均衡に向けた一定の調整経路とタイム・ラグを前提とする上記需要・供給モデルの基本的枠組みと比較すれば、以下の点で決定的に異なっている。

①    各制度部門(または各経済主体)の予想や心理(合理的期待や限界効用等)による需要と供給の均衡に向けた調整経路とは一切関係なく、各制度部門、そしてSNAの勘定体系全体で常に同時的(simultaneously)な「貸借一致」、すなわち多数の会計恒等式(accounting identity)が成立する。

②    一国経済全体の取引・事象を複式簿記で記録する社会会計の場合、世界に唯一の「代表的個人」だけではなく、必ず取引の相手方(売主・買主、債権者・債務者、委託者・受託者等)が存在する。従って、ある制度部門で発生し、貸借記入される取引・事象は、同時にその相手方となる他の制度部門においても貸借を逆転させた水平的複式仕訳(horizontal double-entry)として記録される。

その結果、社会会計フレームワークにおいては、一つのマクロ変数(例えば、財政政策による政府最終消費支出)が変化する場合、SNAの各制度部門、そして勘定体系全体で瞬時にドミノ式の複式仕訳が発生すると同時に、会計恒等式上、残高調整項目(Balancing Items)であるGDP、国民所得、貯蓄、資本蓄積、資本(国富)等へのインパクトを観測可能な金額で正確にシミュレートすることができるのである。

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