貨幣と資本(第4回):第2章 先行研究のレビュー
2-1. トマ・ピケティ「21世紀の資本」
700ページを超える重厚な学術書でありながら、一世を風靡した「21世紀の資本」(2015, ピケティ)は、SNAの勘定科目体系に完全に忠実に「資本」、「国民所得」、「貯蓄」を定義した上で、世界の主要国の推計データから、かの有名な不等式「資本収益率(r)>国民所得成長率(g)」を導き出している。
この「r>g」の意味するところは、ピケティの言葉によれば「相続財産を持つ人々は、資本からの所得のごく一部を貯蓄するだけで、その資本を経済全体より急速に増やせる。こうした条件下では、相続財産が生涯の労働で得た富より圧倒的に大きなものとなるし、資本の集積はきわめて高い水準に達する」(p.29)とのことである。ピケティは、この「r>g」という不等式を「格差拡大の根本的な力」(p.27)と呼んでいる。
資本(国富)(K)
資本(K)とは、SNAの貸借対照表の中で、資産(非金融資産+金融資産)から負債を控除した純資産(正味資産)を意味する。本稿では、数式に用いる記号としてキャピタルの「K」とする。内閣府の「用語解説」も「正味資産、国富(Net Worth,National Wealth)」の項目で『一国全体の正味資産は「国富」とも呼ばれ、一国全体の非金融資産と対外純資産の合計に等しい』と記載している。
K=資本(国富)=資産(非金融資産+金融資産)-負債
このうち、対外純資産=金融資産-負債であるから、上記は次のように変形できる。
K=資本(国富)=資産-負債=非金融資産+(金融資産-負債)
=非金融資産+対外純資産
ピケティも、「資本」を同様に定義した上で、『「資本」と「富」もしくは「財産」という言葉は入れ替え可能で、完全に同義なものとして扱う』(p.50)と述べている。その上で、『非金融資産(土地、住宅、商業在庫、他の建物、機械、インフラ、特許、その他の直接所有されている専門資産)と、金融資産(銀行預金、ミューチュアル・ファンド、債券、株式、各種金融投資、保険、年金基金等々)から金融債務(負債)の総額を引いたものの合計』(pp.51-52)を「国富」、「国民資本」と定義している。[1]
国民所得(Y)
ピケティも、本稿の第5章「5-2. 資本蓄積(ΔK)を記述する5本の恒等式」で示す恒等式①及び②を用いて国民所得(Y)を計算する。
恒等式① GDP(国内総生産)≡総需要-中間投入
恒等式② 国民所得(Y)≡GDP(国内総生産)-固定資本減耗+外国からの経常収入(純)
その上で、ピケティはSNAには存在しない独自概念を導入している。それは国民所得(Y)を2種に分類した「資本所得」と「労働所得」である。ピケティによれば、「あらゆる産出は、何らかの形で、労働か資本に対して所得として分配されねばならない」(p.48)から、以下の恒等式が成立する。なお、本稿では、数式に用いる記号として資本所得(KY)はキャピタルの所得として「KY」、労働所得(LY)は労働(labor)の所得として「LY」を用いる。
国民所得(Y)=資本所得(KY)+労働所得(LY)
ピケティは、資本所得(KY)を「生産プロセスで使われた資本の所有者に対する支払い」(p.48)と定義した上で、例として「利潤、配当、金利、レント、ロイヤルティなど」(p.48)を挙げる。他方、労働所得(LY)は「労働者など生産プロセスで労働を提供した人に支払う」「賃金、給与、賞与、ボーナスなど」(p.48)である。
問題はここからである。SNAには国民所得(Y)という概念まではある。しかし、その内訳の資本所得(KY)の数値は直接的には存在しない。従って、ピケティといえども資本所得(KY)の金額は独自に推計する他はない。ピケティによれば、「国民経済計算に含まれるさまざまな額の資本所得を、法的分類とは無関係に合計して(地代、利潤、配当、利子、ロイヤルティ等々。公的債務の利子は除外した税引前の金額)」(pp.208-211)を算出したとのことであるが、その過程で恣意性が入る可能性がある。ピケティ自身もこのことを認めて、SNA上の国民所得(Y)を『資本所得と労働所得とに仕分けするのがむずかしい』(p.57)と述べている。
実は、むしろ労働所得(LY)を捕捉する方が容易である。というのは、SNAの2.国内総生産勘定の借方(左側)には、GDP(粗利)の分配として、直接的に労働所得(LY)に相当する「雇用者報酬」という勘定科目が設定されているからである。内閣府の「用語解説」でも、「雇用者報酬」は以下のように定義されている。「雇用者報酬は、生産活動から発生した付加価値のうち、労働を提供した雇用者(employees)への分配額を指すもので、第1次所得の配分勘定では、家計部門の受取にのみ計上される。雇用者とは、市場生産者・非市場生産者を問わず生産活動に従事する就業者のうち、個人事業主と無給の家族従業者を除くすべての者であり、法人企業の役員、特別職の公務員、議員等も含まれる」。
そこで本稿では、SNA上の「雇用者報酬」=労働所得(LY)と定義した上で、労働所得(LY)以外の国民所得(Y)を資本所得(KY)として算定する。数式は以下の通りである。
資本所得(KY)=国民所得(Y)-労働所得(LY)(SNA上の「雇用者報酬」)
資本/所得比率(β)=K/Y
上記のようなSNA上の資本(K)、国民所得(Y)[=資本所得(KY)+労働所得(LY)]等の概念と数値を確定させると、それぞれの数値の比率を導き出す数式を用いて財務指標分析を行う準備が整う。ピケティがその著書の中で最初に持ち出す数式が「資本/所得比率」である。ピケティは、「資本/所得比率」をギリシャ文字の「β」(ベータ)で表す(p.54)。
β=資本/所得比率=資本(K)÷国民所得(Y)=K/Y
βは、SNA上の資本(K)と国民所得(Y)から直接算定することができる財務指標である。「資本ストックを測る最も自然で便利な方法」(p.54)として、ピケティはこの資本/所得比率(β)を用いる。なお、資本/所得比率(β)は、定義上、後述のハロッド・ドーマー・モデルの「資本係数(capital-output ratio)」= K/Yと同一である。厳密に言えば、ハロッド・ドーマー・モデルの資本係数は限界概念であるが、通常、K/Y=ΔK/ΔYとの仮定を置くことにより、結局、ピケティの資本/所得比率(β)と等しくなる。
1994年から2018年までの25年間にわたる日本経済全体の財務諸表(貸借対照表、損益計算書及び純資産変動計算書)において、β(資本/所得比率)は平均値8.1を中心として、1994年末の9.1から2018年末にかけて7.7まで緩やかに減少している。ピケティによれば、2010年のイギリスとフランスのβ(資本/所得比率)は5から6程度とのことであるから、それと比較すれば日本はやや高めである。それは、イギリスやフランスに比べて、日本の生産性なり資本効率が低いことを意味している。
資本主義の第一基本法則: α=r×β
ここでいよいよピケティが「資本主義の第一基本法則」(p.56)と名付けた以下の数式(恒等式)が登場する。
α=r×β または β=α/r または r=α/β
ここで、αとrについては、以下の定義がなされる。
α=資本所得(KY)÷国民所得(Y)=KY/Y
「α」は国民所得(Y)の中で資本所得(KY)の占める割合(シェア)である。ピケティは、この国民所得(Y)に占める資本所得(KY)の割合(シェア)をギリシャ文字の「α」(アルファ)で表す。
r=資本収益率(rate of return on capital)=資本所得(KY)÷資本(K)
=KY/K=α/β
「r」は1期間中に資本ストック(K)が生み出す資本所得(KY)の比率である。ピケティは、資本収益率を小文字の「r」で表す。
この「資本主義の第一基本法則」の数式の優れている点は、ピケティの言を借りれば「資本収益率は、多くの経済理論で中心的な概念となる」(p.56)ところ、SNAの元データをこの数式、特にr=α/βに当てはめることによって、具体的な数値として資本収益率(r)を直接算出することができることにある。そして、ピケティの言う通り、「α=r×βという式を使うと、ある国全体、さらには全世界についてさえも資本の重要性を分析できる。また、個別企業の財務も研究できる」(p.59)のである。
ピケティは、700ページを超える大著を通じて「資本収益率(r)>国民所得成長率(g)」という不等式を論証し、これを「格差拡大の根本的な力」(p.27)と呼ぶ。資本収益率(r)も国民所得成長率(g)も、SNAから具体的数値を算出することができるので、比較しやすいという利点もある。また実際、日本経済の場合も、統計的事実として「資本収益率(r)>国民所得成長率(g)」が成立することが認められる。
1994年から2018年までの25年間にわたる日本経済全体の財務諸表(貸借対照表、損益計算書及び純資産変動計算書)において、資本収益率(r)は、平均値4.5%を中心として、1994年の最低値3.7%から徐々に上昇し、2005年に5.2%の最高値を記録した後、徐々に低下し、2018年には4.6%となっている。ピケティの推計でも、「フランス、イギリスともに、18世紀から21世紀にかけて、純粋資本収益率は、中央値にして年間4-5%、一般的には年間3-6%の間をうろうろしてきた」(p.214)とのことであるから、我が国の資本収益率(r)の算定は妥当なものと判断できる。
他方、国民所得に占める資本所得シェア(α)は、は平均値36.2%を中心として、1994年の33.9%から2004年に39.1%にまで上昇した後、2009年にはリーマン・ショックの影響で34.0%にまで落ち込んだ。その後、再び回復し、2018年には35.9%まで回復している。
2-2. リフレ派
リフレ派とは何か。原田泰・早稲田大学政治経済学術院教授の著書「日本を救ったリフレ派経済学」によれば、「リフレ政策とは、これまでのデフレによる弊害を解消するために、金融政策によって物価を上昇させる政策のことで、リフレーションを短縮した名称である」(2014、p.3)。そして、「日本銀行がインフレターゲット政策を採用し、消費者物価上昇率が2%になるまで断固として国債の買い切りオペを続ければ、物価が上昇し、実質金利が下がり、景気が回復するが、景気回復につれて、物価も名目金利も上昇する」(原田、2014、p.72)というバラ色の未来を語っていた。
同著は2014年11月に出版されたものだが、5年以上経過した2020年9月時点で消費者物価(総合[除く食料・エネルギー])は対前年比で0.0%。景気についても、コロナ禍以前の2020年1月に政府の「月例経済報告」で「景気は緩やかに回復している」という判断が示されたものの、実際には、その直前の2019年10-12月期の名目GDP(四半期2次速報値)は消費増税の影響もあり対前年比(季節調整・年率換算)でマイナス5.8%となっている。
日銀による異次元緩和政策
第3章で詳説するが、マネタリーベースを構成する日銀の貸借対照表上の負債科目として日銀券と日銀当座預金が存在する。このうち、従来、金額的に圧倒的に大きかったのは日銀券である。しかし、2013年以降のアベノミクスの一環としての日銀による「異次元緩和」の結果、現時点(2020年10月)で金額的に最大の勘定科目は日銀当座預金となっている。実は、今から12年前の2008年7月時点での日銀当座預金残高は7兆6,150億円に過ぎなかった。それが日銀の異次元緩和によって急増し、2020年10月20日時点で金融機関が保有する日銀当座預金残高は483兆3,875億円にも上っている。日本経済の何かが狂っている。10年余りでどうしてこのようなことが起こったのか。
異次元緩和政策の「失敗の本質」
その始まりは2013年4月4日。日銀は金融政策決定会合で、2年間で前年比2%の物価上昇率を目指す「量的・質的金融緩和」、別名「異次元緩和」の導入を決めた。マネタリーベースを2年間で倍増させるため、金融機関からの年間50兆円の国債購入(後に年間80兆円に増額)により、その代金としてこれと同額で日銀の貸借対照表上の負債に計上される金融機関の日銀当座預金残高を積み上げていったのである。
あれから8年。日銀の貸借対照表上の負債(貸方)側の「(日銀)当座預金」は、資産(借方)側で保有する「国債」の増加と貸借同額で毎年約80兆円のペースで増加し、その結果、マネタリーベースは急激に膨張した。他方、当初から筆者も指摘していたことだが、単に日銀が金融機関の保有国債を購入したとしても、金融機関の貸借対照表上の資産(借方)側で保有する「国債」が同額で「日銀当座預金」に振替わるのみであり、市中で流通するお金の総量であるマネーストックの金額は1円たりとも変動しない。
同じく第3章で詳説するが、主に日銀の負債(日銀券および日銀当座預金)として計上されるマネタリーベースと、市中で流通するお金の総量、具体的には主に市中銀行の貸借対照表上の負債(預金通貨や準通貨)として計上されるマネーストックとは、概念的にも、そして果たすべき経済的機能も全く異なるものである。リフレ派の経済学者は、意図的か否か、この点を見逃している。
結局、日銀による異次元緩和は、市中で流通するマネーの総量ともいうべきマネーストックにはいささかの影響も及ぼさなかった。複式簿記の仕訳のロジックからすれば、これは当然の帰結でしかない。では、なぜこのように愚かな金融政策が採用されたのだろうか。
貨幣乗数に関する誤解
マクロ経済学にマネーストックがマネタリーベースの何倍かを示す「貨幣乗数(money multiplier)」という概念がある。マネタリーベースがその何倍のペースでマネーストックを産み出すのか、という意味で乗数(multiplier)という言葉が使われている。計算式は以下の通りである。
マネーストック=貨幣乗数×マネタリーベース
仮に貨幣乗数が一定であれば、日銀の貸借対照表上の負債であるマネタリーベースを増加させることにより、貨幣乗数を乗じた金額のマネーストックを産み出すことができると解釈できる。しかし、実際には、貨幣乗数は決して一定ではない。また現実的にも、マネーストックの金額がこのように単純な計算式で決定される訳もない。日銀と銀行の連結貸借対照表上の負債であるマネーストックの増減については、第3章のマネーの第二視点で詳述するが、日銀と銀行から成る金融システムとその外部の経済主体(事業会社・個人・政府等)との間での金融取引、すなわち投融資や預金通貨の発行等に関する複式簿記の仕訳のロジックによってのみ知ることができる。
更に、複式簿記とは無縁のリフレ派の経済学者は、異次元緩和による日銀の国債大量購入の波及経路を以下のようなものと想定していた。
(原因)期待インフレ率の上昇→実質金利(名目金利-期待インフレ率)の低下→民間需要の喚起・需給ギャップの改善→(結果)実際のインフレ率の上昇
要は、「風が吹けば桶屋が儲かる」式に、リフレ派の経済学者の想定する「(原因)期待インフレ率の上昇→(結果)実際のインフレ率の上昇」といった「異次元緩和」の波及経路には様々な仮定や願望が入り混じっていた。金融政策において「期待が実現する」などというのはいかがなものだろうか。少なくとも神ならぬ人間が、人々の心の中にある「期待」という掴みどころのないものを政策的にコントロールすることは不可能である。筆者も好きな自己啓発本の一冊に「思考は現実化する」(1999、ナポレオン・ヒル、きこ書房)がある。自己啓発本ならわかるが、金融政策としてリフレ派の言う「(原因)期待インフレ率の上昇→(結果)実際のインフレ率の上昇」という論理は、アルミ合金や炭素繊維で作られている飛行機が飛ぶのは、乗員乗客の皆が「飛行機よ、飛んでくれ!」と祈っているから飛行機が飛ぶというくらい、無理があるのではないだろうか。
出口政策における日銀当座預金への付利
日銀当座預金への付利とは何か?
従来、金融機関が保有する日銀当座預金には利息が付かなかった。要は、ゼロ金利である。しかし、リーマン・ショック直後の2008年11月以降、日銀は緊急・暫定措置として、日銀当座預金のうち、いわゆる「超過準備」に0.1%の利息を付す「補完当座預金制度」を導入した。これを日銀当座預金への「付利(ふり)」と呼ぶ。ちなみに「超過準備」とは、金融機関(日銀の「取引先」)が負債として受け入れている預金等の一定比率(準備率)以上の「法定準備預金額」を日銀当座預金として預け入れることを義務付ける準備預金制度の下、更にその「法定準備預金額」を超過する日銀当座預金を意味する。
その後、2016年1月に「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」が導入されたことにより、「超過準備」部分を含め、日銀当座預金は3階層に分割され、それぞれの階層ごとにプラス金利、ゼロ金利、マイナス金利が適用されることとされた。2018年3月末時点で日銀当座預金残高は378兆円に上る。日銀当座預金に対する付利は、「法定準備預金額」(同時期に9.8兆円)までは0%、「超過準備」については大半に0.1%、一部に0%とマイナス0.1%が適用されている。
日銀による「異次元緩和」の開始から7年が経過した2020年3月末時点で、日銀の貸借対照表は既に異常な膨張を示している。借方(左側)に計上する日銀が保有する国債の残高は485兆円。同時点での国債発行残高(普通国債等の内国債の合計額)が987兆円であるから、国債発行残高の約半分(49%)を既に日銀が保有していることを意味する。他方、日銀が金融機関から国債を買い上げる際、その代金として金融機関の保有する日銀当座預金の口座残高の金額を記帳することで決済する。その結果、日銀の貸借対照表の貸方(右側)に計上する日銀当座預金の残高も、同時点で395兆円にまで肥大化している。リーマン・ショックの直前、僅か12年前の2008年7月時点での日銀当座預金残高が7兆6,150億円に過ぎなかったことを思えば、「異次元緩和」が如何に異常な金融政策であったかが理解できよう。
出口政策において付利引き上げは必要か?
このような「異次元緩和」を永遠に継続することは不可能である。そこで、異次元緩和からの出口政策が経済学者や実務家の間で議論されるようになった。その中で、経済学者や実務家の多くが「将来、異次元緩和からの出口政策として、市場金利の上昇局面で日銀当座預金の付利も引き上げざるを得ない」と主張している。彼らに共通する論旨はこうである。日銀の貸借対照表上、日銀が資産(借方)として国債を保有する以上、それを支えるために負債(貸方)側にある日銀当座預金の残高(規模)を維持しなければならない。市場金利の上昇局面では、金融機関は日銀当座預金を取崩し、利回りのより高い有利な運用先に対する貸付・融資を行う。従って、日銀当座預金の残高(規模)を維持するためには、市場金利の上昇に合わせて、日銀当座預金への付利の金利を引き上げる必要があるというのである。
具体的な例を挙げる。代表的なのは、日銀の白川片明・元総裁による以下の記述である。『この議論をいわゆる「出口」に即して考えてみよう。議論の本質に焦点を絞るために中央銀行が債務超過になるケースを取り上げる。さらに、国債の売却は行わず、付利金利の引き上げで対応するケースを考える。この場合、債務超過が発生するとすれば、2つの要因で発生する。ひとつは中央銀行保有国債の評価損であり、もうひとつは付利金利引き上げに伴って生じる逆ざやによる期間損益の赤字である。(中略)問題はここにとどまらない。まず、中央銀行は当座預金の付利金利を引き上げなければならない。景気・物価情勢が改善しても付利金利を引き上げなければ、インフレが起こるからである』(白川、2018、p.399)。
経済学者も負けてはいない。小黒一正・法政大学経済学部教授は、『では、金利が正常化した場合に、付利を長期金利よりもずっと低い状態に維持すると、何が起こるだろうか。結論を先に述べると、統合政府(政府部門+日銀)で見ると、それは預金課税と同じになる。(中略)たとえば、市場の名目金利が3%に上昇すると、市場で裁定が働き、長期金利(=10年物国債の金利)や貸出金利も3%に上昇していくので、日銀は付利を3%に引き上げる必要が出てくる』(林(他)、2018、小p.118)。
また、みずほ総合研究所のエコノミストによる共著「シナリオ分析 異次元緩和脱出:出口戦略のシミュレーション」の「V 日銀 1 出口における日銀の収支予想」(高田(編著)、2017、pp.123-142)においては、「付利を中心とした政策金利の動向」が出口戦略シミュレーションの前提とされている。言い換えれば、異次元緩和からの出口政策として、市場金利の上昇局面で日銀当座預金の付利の引き上げが当然の前提とされているのである。
日銀当座預金の増減要因と付利金利
しかし、僅か12年前の2008年10月までは日銀当座預金の付利そのものが存在しなかった。政策金利や市場金利がどれだけ上昇または下落しようが、日銀当座預金は常にゼロ金利というのが金融実務における常識だった。そして、この常識は現在でも通用する。先に例示した「将来、異次元緩和からの出口政策として、市場金利の上昇局面で日銀当座預金の付利も引き上げざるを得ない」という主張は、根本的に間違っている。それは複式簿記のロジックから導かれる恒等式に関する無理解から生ずる誤解に過ぎない。
第3章のマネーの第二視点、そして第5章の5-2. 借入(Debt Finance)による投資の特殊理論で詳説するが、SNAの3-3.金融勘定において以下の恒等式⑥’が成立する。
恒等式⑥’ 銀行の金融資産(投融資)の変動≡マネーストック増殖額(ΔM)
この恒等式⑥’はマネーストックに関するものであるが、これを日銀に限定して書き換えると、以下の恒等式⑥”が得られる。
恒等式⑥” 日銀の金融資産(投融資)の変動≡マネタリーベース(日銀券+日銀当座預金)の変動
上記の経済学者や実務家は、超過準備への付利の引き上げ→日銀当座預金の残高(規模)の維持→日銀の金融資産(保有国債)の残高(規模)の維持、という一方向の因果関係のみを暗黙の仮定(tacit postulate)として置いている。しかし現実には、恒等式である以上、逆方向の因果関係、すなわち日銀の金融資産(保有国債)の残高(規模)の維持→日銀当座預金の残高(規模)の維持もまた当然成立する。恒等式⑥”は、超過準備への付利金利の水準とは一切関係なく、常に必ず成立するのである。
実際、日銀はホームページ上で毎営業日、「日銀当座預金増減要因と金融調節」に関する情報を更新しているが、当然のことながらそこでは超過準備への付利金利の水準など一切言及されていない。第3章で詳述するが、日銀当座預金の増減要因は、①銀行券要因、②財政等要因及び③日銀による金融調節の三つに限定される。そして、日銀当座預金の残高を減らすことができる手段は、いずれも付利金利とは無関係の①銀行券要因及び②財政等要因を除けば、③日銀の意思決定による金融調節(資金吸収オペ)しか存在しない。そして、現在、イールドカーブ・コントロールと称して長期金利を抑圧している日銀が、金融調節(資金吸収オペ)として保有国債を市場に放出し、日銀当座預金の残高を減らすことも考えられない。そんなことをすれば、長期金利の暴騰と国債価格の暴落を招くのは確実だからである。
逆に言えば、金融機関側の意思決定によって日銀当座預金全体の残高を減らすことは不可能である。例えば、ある金融機関が他の金融機関との間で日銀当座預金を通じて資金決済を行う場合、ある金融機関が自らの日銀当座預金を取崩して他の金融機関の日銀当座預金に振替えたとしても、日銀の貸借対照表の貸方側の日銀当座預金全体の残高は1円たりとも変動しない。敢えて言えば、①銀行券要因として、金融機関は、日銀当座預金を日銀券の形で取崩(引出)した上で、その日銀券を貸出先に交付することによって利回りのより高い資産(貸付金等)にすることはできるが、その場合、日銀の貸借対照表の負債(貸方)側では、日銀当座預金勘定から金利ゼロの発行銀行券(日銀券)勘定に振替がなされるのみであり、日銀の貸借対照表の負債残高(貸方)の金額(マネタリーベース)は1円たりとも変動しない。
このように複式簿記の仕訳のロジックからすれば、そもそも日銀当座預金の増減と付利とは無関係である。従って、市場金利の上昇局面にあっても、日銀当座預金への付利引き上げの必要は生じない。
なお、ややテクニカルだが、現在の政策金利は、日銀が金融機関に貸出する際の金利である公定歩合ではなく、短期金融市場において日銀が金融調節(オペレーション)でコントロールする無担保コール翌日物金利であるから、同じく市場金利の上昇に合わせて、日銀当座預金への付利の金利を引き上げる必要があると主張する論者もいる。しかし、考えてみればすぐにわかることだが、日銀が資産(借方)側で金融調節(オペレーション)を通じてコントロールする無担保コール翌日物金利と、負債(貸方)側の日銀当座預金への付利の金利とは全くの別物である。政策金利と日銀当座預金への付利を混同してはならない。
また、「金利が正常化した場合に、付利を長期金利よりもずっと低い水準に維持すると、(中略)それは預金課税と同じになる」との主張もある。しかし、預金の元本に対する「預金課税」と、預金金利がゼロ金利に近いという状態とはその意味が全く異なる。現状でも銀行預金の金利はほぼゼロ金利に近い状態であるから、「預金課税」という文言は、本来、預金の元本が目減りする場合に限定して解釈すべきである。
[1] 但し、上記のうち、株式については注意を要する。株式会社の発行する株式は当該株式会社の資本を構成するものであるから、株式保有者の立場から見れば、本来的には当該株式会社の負債に対応する金融資産には該当せず、むしろ非金融資産として分類すべきものである。SNAでは株式を「持分・投資信託受益証券(Equity and Investment Fund Shares)」という金融資産として分類しているが、ピケティもこれに準じたものと推察される。