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【シェアハウス】続・お風呂の話【じこにっき】

前回から引き継いでお風呂の話を通して、人と住むことについて。
画像は、前回画像に使用したテーマ性がよくわからないタオルと一緒に友人がくれた、撥水加工ハリハリのタオルです。

お風呂の話から、何を持ってして人を信じているのだろう。とふと思った話です。

本来知らない人間が苦手なんですけど、名前も知らない人と一軒家に住んでいます。顔も結構ぼんやりです。

いわゆるアパートメントタイプのシェアハウスとも違って、本当にthe日本家屋。キッチンとか共用部分があって、それぞれの部屋がぎゅうぎゅうに詰められている。そんな所です。

そんなに親密なご近所付き合いはしていないのですが、会えば挨拶したり、コミュニティボードでのやりとり(苦情も含む)で言葉を交わしたりする程度の距離感です。

名前が全くわからないので、宅配便の人がきて、誰々さんのお荷物です。と言われてもわからない。入れ替わりの激しい場所でもあるので、気がついたらお隣さん違う人になっていたりとか。
だからきっと行動が名前になっていくのだなとも思ったりしました。
プリン差し入れの人。よく宅配使う人。ハウスのヌシ。とか。
話が逸れました。



前回お風呂事情について書きましたが、脱衣所の仕切りがカーテン一枚なんです。着替えてる横を名前を知らない人が通る。

名前が全くわからない、そんな人たちと、カーテン一枚越しに接していても、滅多な事がなければ加害されないだろうという、ある程度の信頼を置いている。
そんなことに気がついたというお話です。導入が長。


知らなくても信頼している。
それは女の人だからある程度信じているところがある。
あんまり記号で見たくはないのですが、女性専用ハウスを絶対条件にしていたのは、やはり安全性を考慮したからです。
ただ単純に力の差異が少ないっていうのもあるし。

なんかあったときに、勝てる可能性あるかどうかと言うのは正直重要。

でも実際、女性だから安全ということももちろん無い、ということも分かっていて。
やはり人は、関わってみなければ分からない。

知らなくても、ここに暮す意思というものが一致していれば、一緒に暮らせる。
私は家という空間だけを共有する一時的な家族関係のようなものだと思っていて、とてもサラッとしてて改めて求めていたちょうどいいバランスを得られたなと思っています。
自分の部屋があれば、人とも住めるんだと自信にもなりました。

知らないからこその安心感のようなものはあって、だから繋がれる事もある。
だけどなんにせよ、いい距離で過ごすためには、見える範囲を広げて相手を知らなければならないなと最近の人間関係の中で感じます。他人に対して非寛容な部分が自分には多いなあと。けど許しちゃいけない事もある。

失敗ばかりで、わからないなんて、当然で、それでも接する人の事を知りたいと思うこと。やっぱり大事だなと。
最近10年来の友人の意外な一面を見て、この人こんな人だったんだ…と発見したりして、人ってやっぱり面白いですね。
だからこそ、他人との境界線を意識しなくてはならないなと思います。私は全然平気でも相手はそうじゃ無いことが多い。相互理解できる人間関係作りを諦めたらいけないですね。
知らなくても安心は得られるけど、なるべく知りたいと思うことに対して、恐れずにいたい。

根暗とて、オープンハートで生きようと改めて思ったりしました。
人間関係に怯えるよりも、信じた方が自分にとっても、他人にとってもいいんじゃ無いかと。そして、そんな自分を作っていきたいななどと。そんなところでまとめます。

さて、次回はやっとこさ、水の話をします!

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