湯船がないと生きていけないと思ってた。
画像は友人が何を思って私にくれたのか全く分からないバスタオルです。今絶賛使ってます。
テーマ性がよくわからないですが、よく水分を吸うので重宝してます。笑
と言うわけで、今回はお風呂の話です🛀
2回目の日記です。このブログではシェアハウスに引っ越した事で起こった最近の自分の変化のようなものについて書きたいなぁと思います。
湯船の絵文字を使いましたが、ウチ、湯船がないんです。
シャワーだけ。
しかも、ちょうど学校にあった掃除用具入れくらいの大きさ。狭い。※追記。掃除用具入れはちょっとちがいました。ひとまわりくらいはでっかい。
そして、脱衣所スペースは廊下に面していて、カーテンで仕切られているだけ。
お風呂自体にはあるけど、脱衣所には鍵とかないんです。ガバガバのセキュリティ。因みに念のため補足すると、女性専用ハウスです。
着替えてる時とか、よくカーテン一枚挟んで真横を同居住民さんが通ります。
友人に話すと、大抵私には無理と言われますが、私も無理だと思ってました。
部屋を借りる時もすごい悩んだんですよね、湯船がない生活をしたことがなかったので。
でも、実際に使ってみたら、直ぐあったかくなる。あったかい。
なんせ狭いからなんですけれど。
しかも、長風呂しなくて済む。シャワーもいいなと。
それが、今の自分には合ってるって一回の使用で気がついた。
実家のお風呂はそれなりの広さだったからか、寒かったんですよね。それに対して、不便なんてそれまで感じたことがなかったのに、寒かったのだと気がついて、狭いシャワーの温度は今の私にすごく合っていたとも気がついた。
根本的な人間性とか、本質って私は変わらないと思ってるんですけど、元からある陰と陽の因子のようなものは多かれ少なかれ、必ずあって、性格って比率なんじゃないかと思っていて。
性格を明るくしたいってわけじゃなくて、今までと違った比率の自分を作りたい。その為には今までの自分がこうだったから、こういうことしかできないってわけでもなく、核たる自分との付き合い方と、未知の自分への投資が次第なのかなぁと。
それを自分の望むように、また、人と一緒に生きる中で育てていく事が大事なことなんじゃないかなって思っています。
最近は次から次へと新しい人との人間関係とか、自分の能力に凹む事が多いのですが、特に心は挫けるまでは行ってなくて、触れるものを増やしていこうと思っていたりします。
囚われていたものから解放されるには視野を広くみる事で、それは何よりも、経済的自立が大事だったのだと、改めて今思っています。シェアハウス始めてよかったです。
一人でも生きていける、そして周囲の人と生きているという感覚、両方ともを感じる事が、今できています。
ただ経済的自立とは言っても、食料品の仕送りは頼んでなくても送ってもらっていて、正直それに頼らざる得ないところもあるので、これを頼り以外の気持ちで受け取れるようになるぞという気持ちです。
米を炊く女だと誰にも思われてなくて、レトルトご飯いっぱいくるのが不服です。レンジ依存ですが、自炊してます。
なのでやっぱり、あくまでもシャワーを例として今の環境にいたいと思うのは、「今」の私なので、何年後かには湯船の生活をしたい。
なぜかというと、壁一面の本棚の家に住むのが夢だから。壁一面の家は湯船があるはず。ここにいたままでは壁一面は無理そうなので。
なくても生きていけるって気がついても、したい事を追っていたい。輪を大事にしながら、自分の範囲を守りたい。
自分でい続けながらも、割とどこでも生きていけるって気がしていて、そういう思い込みって大事だと思うので。
今、湯船が恋しい時は、近くの銭湯に行こうと思ってます。このご時世なのでしばらくは行けませんが。
まだ一回しか行ったことないなぁ。
と、締めましたが、次回もお風呂関連の話から始まって、他人と住むということについて。
2リットルの水の話をする予定でしたが、次々回になります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?