肩書きをなくしたときに見えるもの
今の私は肩書きというものを持っていない。
今までは当たり前のように、特に意識もせず、
肩書きというものを持っていた。
小1〜大4まで持っていた学生という肩書き。
大学を卒業後手に入れたOO会社という肩書き。
そして、今。肩書きを捨てたわたし。
肩書きをなくしたときにみえるもの。
それは何か。
何者でもない、社会から疎外されたように感じる孤独な自分だった。
なくした代償は大きかった。
だが、これでよかった。
ひとはなくさないと、本当に大事なことがみえない。
なくしたものは大きいが、逆に得たものも大きかった。
それはありのままの自分を受け入れてあげること。
失敗しても、どれだけかっこ悪くても、認めてあげること。
恐れていてはなにもできない。
人間は一人で生まれ、一人で死ぬ。その中で、私たちは人と関係を持ちながら、生きていく。そうでないと生きられない。
続く縁もあれば、当然、切れる縁もある。だが、生きている間、自分という存在は切りたくても切れない、一生向き合い続けなければならないのだ。
今、わたしが立ち止まれているのは周りに支えられているからだ。
そうでないと生きられない。
かっこ悪いし、ちっぽけだ。
だけど、これでいい。
でもこのままではいられない。今度はわたしが周りの人に寄り添えるように、自立したい。
だから、動くんだ。音のなる方向へ。
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