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なぜ雑談は大事なのか?

僕は論理的(垂直思考)に考える事が得意。。。
というかむしろ好きなんだと思います。

でも、2年くらい前からこれだけではダメだと感じていて、
それに対する考察をまとめて置こうと思った次第。

今回のポイント

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・POINT1:なぜ論理的思考だけではダメなのか?
・POINT2:なぜ雑談が重要だと考えられるのか?


そもそも、僕が論理的思考を好きな理由は、
問題に対して解を導く時に、ある程度までの所まで、
最短かつ容易に、解を並べる事が出来るからです。
(感情を割く手間がないとも言えるのかもしれません。)

例えば、
「突然仕事が飛んじゃったけど、どおしよう😢」
と悩むのはあまり意味がないと思うので、
以下のように考えてみます。

「仕事が無くなった事による影響を考えてみよう。」
「なぜ無くなったのか原因を考えてみよう。」

その後、(例えば)以下のような事実が判りました。

「2人分の仕事が空いてしまったけど、キャッシュフローは当面大丈夫。」
「クライアントの業績が悪く、継続発注が難しくなった。」

ここから、たどり着いた思考は以下のようなものです。

「空いた2人がどんな仕事をするのが良いのか考えてみよう。」
「このクライアント以外からの受注を考えなければいけない。」

あと、同時に以下のような解決すべき問題にも行き着きます。

「業績不振に気づかなかったのはなぜか?」


重要なのは、ここまでは余計な事にカロリーを割くこと無く、
スピード感をもってたどり着いているという点です。

ただ、ここで問題に気付きます。

「解の量(時間)」はいいとしても、
「解の質」クオリティはどうなってるの?

という事です。

つまり、自分が考えつく「解」は自分の経験を元に導かれた答えに過ぎず、
「解の質」が担保されていない=「最適解(モアベター)では無い」かもしれない、という事です。

スピード感を持って様々な解を導き出しただけでなく、プラスアルファ何か取り入れて、複合的に解の価値を高めないといけなさそうです。

つまり、論理的(垂直的)思考だけを取り入れるのではなく、
同時に前提条件を度外視したラテラル・シンキング(水平思考)を
用いて「解の質」を高めて行くのが重要であると考えているのです。

特に現代はVUCAの時代で、過去の経験が役立ち難く、
しかも商品やサービスは溢れていて、
差別化がとても重要かつ難しい時代です。

でも、つい論理的な考察だけを行い、
角度が低い、しかも差別化もない「解」を導き続けてないでしょうか?

このままでは何やら大変な事になってしまうかもしれません。

そこで、今後必要なのはラテラル・シンキングを適所に取り入れる事、つまり、偶然性を戦略的に取り入れる事だと考えたのです。

ここで、面白い研究を紹介しますね。

『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』
の中に記述があるのですが、広島大学が興味深い研究をしています。

研究概要
六角形を多数つないだ平面空間を用意します。その中に餌をおいておくと、餌を見つけたアリはフェロモンを出しながら巣まで帰って仲間を呼び、他のアリはそのフェロモンをトレースすることでエサまでのルートを知り、巣までエサを運搬します。

追尾するアリには、このフェロモンを正しく追尾できるマジメアリと、一定の確率で間違えてしまうマヌケアリをある割合で混ぜ、マヌケアリの混合率の違いにより、エサの持ち帰り効率がどう変化するかを調べています。

すると、マジメアリだけのコロニーよりも、間違えたり寄り道したりするマヌケアリがある程度存在する場合の方が、エサの持ち帰り効率は中長期的には高まることが判りました。

つまり、最初につけたフェロモンのルートが、最短ルートでなかった場合、マヌケアリが適度(?)に寄り道したり道を間違えたりする、つまりエラーを起こすことで、偶然最短ルートが発見され、他のアリもその最短ルートを使うので、「短期的な非効率」が「中長期的な高効率」につながりました。

僕はこの研究結果をみて感じました。

先行きが不確実で自分たちの経験があまり活かせない時代に、
リーダーが経験だけをもとに考えた”ゴール地点”
どれほど価値があるのか?と。

誤解がないように言っておきますが、
「リーダーだけでなく、他の人も考えるべきた。」
「リーダーの定めるゴールに価値がない。」
と言っているのではなく、
「ゴール地点を定めるのであれば、偶然性を盛込むべきだ。」
と考えているという事です。

そんなこんなで、
僕は偶然性を戦略的に取り入れるべきだと考えている訳ですが、
その一つの答えが「雑談」ではないかと思っています。

雑談の中から、思いもよらない偶然の「解の入口」に気づき、
それを取り入れることで「解の質」を高めていけるのではないか、
と考えているのです。

どうせ雑談をするのであれば、ここでも右脳(水平思考)をつかって、前提条件に捕らわれること無く話題をふりまき、左脳(垂直思考)でそれを整理・収束していけばよいのです。

そうすることで自分だけでは導けない「ニュータイプの解」
にたどり着いてしまおう!とか考えてたりするのです。

実際に

数年前から、うちの社員たちと(意識的に)雑談を始めています。

なるべくみんなと話せるように、時間と人数を区切って行っています。
(余談ですが、顔を半強制的に見させられるオンラインミーティングは結構雑談に向いているなと、なんとなく思います。)

※ちなみに、現在全社員がリモートワークで仕事を行っています。

雑談を始めてみて感じた事があります。

みんなの話す、好きなデザイン、好きなゲーム、新しいコンテンツやそれにともなう様々な偏愛エピソードはとても偶発的で幅広く、しかも楽しく積極的に展開されていきます。
(好きなことを話しているので、まあ楽しいですよね!)

つまり、みんなの中には「気づき」や「ひらめきが(無意識の状態で)」いっぱい詰まっていて、しかも大抵の人は発信する事が嫌ではないという事です。

雑談を通して、こちらが「ひらめき」「気付き」をGIVEしてもらうだけでなく、そこにはちゃんと「意味」や「価値」があるという事を教えてあげる、つまり情報をTAKEしてあげることで、双方向的に成長していける可能にあふれていると感じています。

自分の発信が有意義であることの自己認識は、何よりも承認欲求を満たし、しかも本人の自信につながるのではないでしょうか?
 
これら事が一番大きな気付きであり、
僕を成長させてくれたポイントでもあります。
(面白い雑談内容には事欠かないので、後日まとめて報告します。)

ただ以下のこと、
・目的を忘れ、ただ時間を費やしてしまう雑談の回数を減らす事
・「ひらめき」や「気付き」を拾う人のキャッチスキルの向上
は今後もっともっと伸びしろがあると感じています。

最後に

雑談を通して得られた気付きやひらめきが
既に意思決定に大きく影響をしていたりするのですが、
それはまたの機会に。。。

それでは良い一日を☀。
ザッツ・オール👍

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